雨が止んだら

モドル | ススム | モクジ

  6  

「よお……悪いな、呼び出して」
「いや、何をいまさら」
 バーのカウンターで、一人先に飲んでいた眞瀬が、後から来た東城に気づき手をあげた。東城は眞瀬の隣に座ると、バーボンを注文した。
「で、また何か愚痴か?」
 東城は、微笑を浮かべて眞瀬を見た。
「ん〜〜」
「それとも……オレの体が恋しくなったか?」
「ばっ……」
 馬鹿と叫びそうになって、東城の冷やかし気分満々の顔を見て思いとどまった。
「違うよ」
 眞瀬は口を尖らせながら、カクテルを一口飲んだ。東城は出されたバーボンのグラスを受取ると、カランと氷をまわした。
「で、なんだ?」
「ん……」
 眞瀬は言葉を選んでいるのか、なかなか切り出せずに口篭もった。東城はそれ以上催促するのはやめて、バーボンを飲んだ。しばらく二人は、沈黙のまま酒を飲みつづけた。
「ブラッディーマリー」
 眞瀬は、3杯目のカクテルを注文した。東城は黙っている。
「困ってるんだ」
 眞瀬がようやく口にだした。
「ん……?」
 東城は、先を促すように小さく相槌をうった。
「その……告白されて困ってるんだ」
「はっ……」
 東城は眞瀬の思いがけない言葉に、驚きとも笑いともつかない声を出した。
「なんだって?」
 東城は改めて聞き返した。
「だから……ある人物から先日告白されたんだよ。それで困っているんだ」
 眞瀬はちょっと気まずそうな顔になって、東城をチラリと横目に見た。頼んだブラッディーマリーが、眞瀬の前に差し出されて、それを手に取る。
「おいおい、それは一体どういう事だい? 凌介くん」
 東城は、笑みを浮かべながら呆れたような口調で言った。眞瀬との付き合いも20年近くになるが、彼の口から「告白されて困っている」等と言う言葉は1度も聞いた事がなかった。冗談としか思えないのだが、眞瀬のこの様子を見ると、かなりマジな話らしい。それ故に、何度も聞き返すしか東城にはできなかった。
「だから……告白してきた相手が……その……どう対応して良いか解らない相手で……厄介なんだよ」
 眞瀬も東城が呆れている理由は解っているだけに、言いよどんでいたのだ。だが相談する相手は、東城しか思い浮かばないのだから仕方がない。
「なんだ? 取引先のホモデバラオヤジとかか?」
「『ホモデバラオヤジ』ってなんだよ」
 眞瀬は、思わず吹き出した。
「その方が、何百倍も断りやすいよ」
 眞瀬はそう言って、溜息混じりにカクテルを飲んだ。
「ウチのね……バイトの子なんだけどさ……」
「女か?」
 眞瀬は、首を振った。
「男だよ」
「何か問題でも?」
「高校生なんだ……まだ17才だよ」
「いいじゃないか」
 東城は笑って言った。
「よくないよ! オレ達の半分だぞ? 場合によっちゃ親子って言っても問題無い年齢だよ」
「歳を気にするなんて、お前らしくないな……あのハーフの坊やかい?」
「いや<違う……慎吾君の親友で……慎吾君が怪我してバイトを休んでるから、代わりに来てくれているんだよ」
「ふうん<たまには若い子もいいんじゃないか? お前も更に若返るぞ……まあ今でも35歳には見えないんだから、そう歳を気にしなくてもいいだろう」
「第一、店の子には手を出さない主義なんだ」
 眞瀬のムキになった言い方に、東城は思わずふきだした。
「なんだよ」
「いや、そこまで言い切るんだったら、何も悩むことなんてないだろう、断れば簡単だ。歳も若過ぎるし、店の子だし、断る理由はいくらでもそろっているんだろう?」
 眞瀬は、ウッとつまってしまった。東城は解っていながら、眞瀬の反応を楽しんでいる。2杯目のバーボンを頼んで静かに口に含んだ。
「これからも働いてほしいし……ひどい断り方をして傷つけたくないんだよ。良い子なんだ」
 眞瀬は、ぶつぶつとつぶやいた。東城はその言葉に、片眉を上げた。
「かわいいのかい?」
「かわいいよ……」
 東城は、ふうんと鼻をならした。
「か、かわいいって、性格がだよ……ルックスは……違う」
 眞瀬は、東城が呆れた顔をしているので、慌てて訂正したが、それが益々墓穴になっているとは思って無い様だ。東城は笑いそうになるのを堪えて、質問を続けた。
「なんだ? ルックスは悪いのか?」
「いや<ハンサムだよ……すごく端正な顔立ちなんだ、背も高いし、スポーツマンで……頭も良いみたいだし、性格もいいからモテると思うよ」
 それを聞いて東城は、再び片眉を上げて、呆れたような顔になった。
「凌介……それはノロケか?」
「え?」
 眞瀬はキョトンとした。東城は大きな溜息をついた。
「お前、告白されて満更でもないんだろ? その子の事……結構気に入ってるんだろ?」
「え!? な……何言ってんだよ!! そんなんじゃないよ」
「じゃあ、何を悩んでいるんだ?」
 東城はつくづく呆れ果てたように尋ねた。これでもかなり我慢してやっているつもりだ。
「だから……裕也は……その子の名前なんだけど……すごく良い子なんだよ……今時珍しいくらい純情で、女の子とも付き合ったことが無いくらいウブな子なんだよ……なのに、オレを好きになったって……なんかマジな顔で告白されちゃって……オレも今まで色々からかったりしたから……彼がそんな風に意識してしまったのはオレのせいかな?って責任感じているんだ……断り方によっては、トラウマになっちゃうかもって……なんか色々悩んじゃって……なあ……どうしたらいいと思う?」
 東城は、その話を呆れた顔でポカンとなって聞いていた。彼にこんな顔をさせる人間は滅多にいないだろう。しばらく放心状態で聞いた後、東城は頭を抱え込んで大きく溜息をついた。
「あ……あのなぁ……」
 呆れる余り、何と言えば良いのか、さすがの東城も言葉が出てこない。見ると、眞瀬はいたって真剣な顔で、すがる様に東城を見ていた。東城は、ぱくぱくと言葉にならない言葉を綴って口を開閉させられた後、一口バーボンを飲んで自分を落ち着かせた。
「お前は、高校生か! いや……小学生以下だな……」
 ようやく出た言葉がそれだった。
「恋愛初心者でもあるまいし、何が『どうしよう』だ……そんなウダウダ言うんだったら、とっとと食っちまえ」
「く……食えるわけないだろう!!遊びで付き合えるような子じゃないんだよ」
 その言葉に、東城は苦しそうに唸った。
「面倒くさいな……そんな事をオレに相談する事自体間違っている。女も男もオレはOKだが、面倒な恋愛だけはごめんだ。知っているだろう」
「知っているよ。オレだって面倒なのは嫌だよ……だけど、お前しか相談できる人がいないから……」
 眞瀬はスネた様につぶやいた。東城は、仕方ないという顔になって、舌打ちした。
「凌介……ハッキリ言わせて貰うと、お前のこれは相談じゃないし、オレもこんな相談には乗れない、なぜなら、お前が求めている答えは、もうお前の中にあるんだし、オレに言えることは2つしかないからだ」
「貴司……」
「オレが言えることは、『付き合う』か『振る』の2つだ。だがどっちを言っても、お前は否定するし納得しないだろう。愚痴は聞いてやる、だが相談事は解決してやれない」
 眞瀬は唇を噛んでうつむいた。東城は、バーボンを飲み干した。カランと氷が鳴る。
「凌介……たまには恋に真剣に悩んで翻弄されるのもいいんじゃないか?」
「え?」
「その子……真剣だって言ったよな。若いから恋も一生懸命なんだろう。お前もそんなに早く結論をだそうなんて、無理に大人の格好をつけなくてもいいんじゃないか? お前だって、心底迷惑なら、相手が誰だろうと断っていたはずだろう。断ろうと思えば断り方なんていくらでもあるはずだし……別に付き合えとか、食っちゃえとか言ってるんじゃなく……真剣な恋っていうのに、真っ向から応じて見るのもいいんじゃないか? って言ってるのさ。それが本当にしんどくなったら、それこそ『大人のズルさ』でかわして逃げることもできるだろう。その子だってもしかしたら『若さ故の過ち』で一時の気の迷いかもしれないし……場合によっては、傷つける事になったとしても、失恋という試練が大人になるために必要な時もあるんだしな。その子の真剣な気持ちに受けて立つくらいにならないと、お前の負けかもな」
眞瀬は、東城の言葉を真剣に聞いていた。
「貴司」
「ん?」
「お前って……結構良い奴なんだな」
「殴るぞ」
 眞瀬は、ギュッと東城に抱きついた。東城は、特に動揺もせず受けとめた。
「好きだよ……貴司」
「惚れた?」
「ばか」
 しばらくそのまま抱きついていた。東城は、優しく眞瀬の髪をなでた。
「ありがとう……自分でなんとかしてみるよ」
「ああ」
 眞瀬は、穏やかに深呼吸をした。東城の広い胸から、煙草の匂いと東城愛用のエゴイストの香りがした。
「このままホテルにいくか?」
「……残念、今日はお前とは寝ないよ」
 眞瀬は笑いながら答えた。東城もからかっただけで、別に断られるのを承知で言ったのだ。しばらく二人で飲みなおした後、店の前で別れた。

 眞瀬は、自分の部屋に戻ると、冷蔵庫からミネラルウォーターの瓶を取り出して、無造作にグラスを手に取ると、電気も点けずに、真っ暗なリビングに行き、窓辺の床に座り込んだ。
 月の明るい夜だった。高層マンションの12階に眞瀬の部屋はあった。近くに高い建物が無いため、いつもカーテンを開け放していた。天井まである広い窓に月明かりが蒼く指し込む。
 グラスにミネラルウォーターを並々と注いで、一気に飲み干した。ふうと息をつきながら、口元をぬぐった。今日のシーンが、脳裏にプレイバックする。
「オレ、眞瀬さんが好きです」
 とても真剣な顔で、あんまり真っ直ぐな目でみつめて言うので、とても動揺してしまった。
「なんの冗談だい」なんて軽くかわせたはずなのに、動揺して一瞬言葉を失い立ち尽くしてしまった。
「男なのに……変だと思うでしょ? 気持ち悪いでしょ? すみません……だけどオレ……本当に眞瀬さんに惚れているみたいなんです。自分でもどうしたらいいのか解らないくらい……すみません」
 彼はそう言って、深々と頭をさげた。そこで「いや、オレもホモだから全然OKだよ」なんて言葉も言えなかった。
「あ、謝らなくてもいいよ……あの、なんて言ったら良いのか……好いてくれるのは嬉しいけど……オレは……」
「すみません」
「いや、その……と、とにかく、ちょっと考えさせてくれないかい? 突然の事で……オレもどうしていいか解らないから……」
 ああ……と、眞瀬は、思い出した途端、深い溜息をついた。
 なんて馬鹿な返事をしたんだろう。あんなに動揺するなんて、自分らしくないと思う。それも間抜けな返事までして……東城の言う通りだと思った。告白されて満更でもなかったのだ。むしろ新鮮なトキメキを感じたのだ。
「どうすべぇ……」
 眞瀬は、ミネラルウォーターの瓶を額に当てた。ひんやりと冷たくて心地よかった。
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