雨が止んだら

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 眞瀬は先程仕入れてきたばかりの、ポップなデザインのイタリア製ドレッシングミキサーが入った箱を開けながら、鼻歌を歌っていた。
「あら、眞瀬さん、とてもごきげんですね」
 奥からパートの木下が、エプロンを外しながら眞瀬に声をかけた。
「ん? そお?」
 眞瀬は、そうかな? という顔をしたが、やはりご機嫌な顔だった。木下はクスクスと笑いながらエプロンを畳んで、バッグに入れた。
「ええ……最近とてもご機嫌じゃないですか、ニコニコしてたり、鼻歌歌ったり」
「今までは不機嫌だったかい?」
 眞瀬は女性客がキャーキャー言いそうな、穏やかな微笑みを浮かべてウィンクした。木下はパート歴2年で、そんな眞瀬にもすっかり慣れて免疫もついていたので、動じなかったが代わりに再び楽しそうに笑った。
「あの子のせいね?」
「ん?」
「慎吾君の助っ人の子……藤崎君って言ったかしら?」
「ああ……そういえば、まだ木下さんには会わせてなかったね」
「ええ残念だわ、入れ違いで……今度、夜にでも子供を連れて覗きにこようかしら」
「ハハハ……土日に都合がつけば、彼との懇親会でも開こうか? 渋谷支店の子も呼んでさ」
「そうですね」
 眞瀬の雑貨店は、ここ吉祥寺の本店と、渋谷の支店と合わせて2店舗あった。輸入雑貨と国内の和風なオリジナル雑貨を扱い、すべて仕入は眞瀬自身が行っている為、彼独特のセンスの良い品揃えと、他の店には無いカラーで、若い女性に人気があった。もちろん若い女性に人気があるのはそれだけではなく、オーナーである眞瀬がその人気の半分以上を占める原因でもあった。
「それじゃ、今日はこれで上がります」
「はい、お疲れ様でした。また明日もよろしくお願いします」
「はい、お疲れ様です」
 木下は、主婦だ。4歳になる息子を保育園に預けていて、6時までに迎えに行かなければいけない事情から、パート時間は4時までだった。それから藤崎が来る6時までの間は、いつも眞瀬が店番をするのだ。
 店番をすべてバイトに任せるという訳でもなく、自分が全部切り盛りするという訳でもなく、眞瀬の感性で人を雇い、その人の働ける都合で勤務時間を決めて、足りない分は自分がやろう……なんていう一見経営者としては、かなりアバウトな所も、眞瀬らしい所なのだろう。おかげで、今まで店員とのトラブルもなければ、客の店員に対する苦情もなく、アットホームな雰囲気で、店のカラーにもなっている。これが眞瀬流なのだろう。
 それにしても、眞瀬が「最近ご機嫌」と言われたのは、木下だけではなかった。昨夜も恋人のひとりである卓巳からも言われたばかりだ。
「また新しい恋人ができたんだ……」
と、ちょっと拗ねた口調で言われた。
 眞瀬は、恋人と呼べる関係の相手が、現在3人いる。それは、多分一般的に言う「恋人」とは違うかもしれなかった。『来る者拒まず、去る者追わず』がモットーの眞瀬だ。
 もちろん好みというのはあるのだし、誰でも付き合うという訳ではないが、一夜限りの相手なら、それこそ星の数程いる。その中でも、自分と相性が合って、「お互いに束縛しない関係」という利害が一致した相手だけ恋人にしていた。
 だから、複数の恋人が出来たとしても、お互い納得の上の事だった。
 眞瀬にしたって、恋人達が自分以外と浮気をしたからといって、別に怒るつもりもなかった。しかし現状としては、眞瀬の恋人達の方が、付き合っている内に眞瀬に夢中になり、自分だけの物に出来ない辛さから、やがて去っていくというパターンが多かった。
 眞瀬の恋人の一人・卓巳もまた眞瀬に夢中になっていて、内心は自分以外の恋人の事など認めてなかったし、眞瀬がこれ以上新しい恋人を作るなど許したくなかった。だがそれを口に出しては、眞瀬に嫌われると思い我慢していたのだ。
「まさか! 新しい恋人なんか作ってないよ、ヤキモチ焼き屋さんだね」
 眞瀬は笑いながらそう言って、卓巳の額に軽くキスした。卓巳は、それでも納得していなかったが、それ以上は何も言わなかった。そんな事を思い出しながら、眞瀬は首を捻った。
「そんなに最近ご機嫌かな??」
 自分では自覚がなかった。木下は、それを藤崎のせいだと言う。卓巳は新しい恋人が出来たのだと勘ぐっている。
 う〜〜ん、確かに藤崎の事を、かなり気に入っているのは否定しないけど……眞瀬はまた首を捻った。
 確かに、眞瀬は藤崎が来るようになって以来、一緒に店番をするのが楽しみになっていた。10日前から、藤崎をひとり残し、渋谷の店まで閉店確認に行くようになったのだが、その間も、早く本店に戻りたくてそわそわしていた。
 それは、藤崎をひとりで残すのが心配だからなのだと自分では思っているのだが……、こうして改めて考えてみると、藤崎はとてもしっかりしていて、真面目で仕事の覚えも早く、心配する事など何もないはずなのだ。
 氷上もかわいい弟の様に思っていて、大好きだったが、こんな気持ちになった事はなかった。
「なんで、オレはこんなに藤崎を気に入っているんだろう……」
 恋愛の対象では決してなかった。第一好みとは違うし、押し倒したいなんても思えない。それに力技では負けそうでもある。
「何考えてんだか……」
 眞瀬は苦笑しながら頭をかいた。
「すみません、これください」
 女性客が品物を持ってレジに来た。
「はい、ご自宅用ですか?」
 眞瀬は、ニッコリと営業用スマイルになって応対した。眞瀬の微笑みは、女性客のハートを鷲掴みにする魔力があった。それはもちろん眞瀬のルックスの良さもあるのだが、彼が女性にまったく興味が無い為、相手に下心を一切感じさせない所にも、虜にさせる要因があるのかもしれなかった。
 一通り客の流れが途切れた所で、ふうと一息ついて時計をチラリと見た。5時半を指している。あと30分で藤崎が来るはずだ。
 眞瀬が藤崎を気に入っている所のひとつに、純朴すぎるほどの素直さがあった。とにかく何でもすぐに信じるのだ。だからついついからかってしまう。そしていつも面白いようにひっかかってくれるし、その反応がまた素直なのだ。それがかわいくて、楽しくて仕方が無いのだが……
「それだけだよな?」
 眞瀬は誰に問うでもなくつぶやいた。大きな図体をして、男らしい顔立ちで、中身が純朴でかわいいのだから、眞瀬にはめずらしい天然記念物を見る様な感覚だった。
「大型犬だな」
 そう思ってクスリと笑いながら、棚に並んでいる小さな陶器製の犬の置物を並べ直した。その中のシェパードを手に取った。
「これだな」
 眞瀬は満足気に高さ10cm程の陶器製シェパードを手のひらに乗せて眺めた。精悍な外見と、従順で真面目な印象の所が、藤崎にそっくりだと思った。値札をはずすと、カウンターまで戻り、レジの上に飾った。これは多分、後で木下からの良い突込みどころになりそうなのだが、眞瀬はこんな行動すらも自覚がないのだ。


 藤崎は、カバンに教科書を詰め終わると、小さく溜息をついた。
「本当に大丈夫か? バイト……行きたくないんだろ?」
 氷上が心配そうに声をかけてきた。藤崎は慌てて笑顔になった。
「馬鹿、何言ってるんだよ、別にバイトは嫌じゃないよ……むしろ楽しくて仕方ないくらいさ。慎吾の怪我が治っても、戻る所がなくなっているかもだぞ」
「そうか?」
「さ、早く行かないと遅刻しちゃうな……じゃあな!」
 藤崎はそう言って、帰っていった。氷上は、心配そうな顔でそれを見送った。

 藤崎は吉祥寺の駅を出て、眞瀬の店に向う道のりがとても遠く感じられた。1歩進むごとに足がとても重くなっていく気がした。
「眞瀬さんの顔が見れないよ……」
 藤崎は泣き言のように漏らした。本当なら、今日のところはサボりたいくらいだった。だけど、氷上にあんなに気にされてしまっては、どんな理由をつけようとも休むわけには行かなかった。
 藤崎裕也17才。17年間生きてきて、こんなに人に会いたくないと思った事も、こんなに自分が嫌になった事もなかった。もちろん今朝の様な事も始めてだ。そんな事を考えながら、重い足取りで歩いていると、もう目の前に店構えが見えてきた。
 とにかく、眞瀬に変に思われないように、平静を装わなければならない。藤崎は、大きく深呼吸をしてドアを開けた。
「こんにちは」
「こんにちは、ごくろうさま」
 眞瀬が、優しい笑顔で出迎える。藤崎は、ドキンと心臓が跳ね上がった。
「今日もよろしくね」
「は、はい」
 頬が上気するのを感じながら、眞瀬に悟られないように、少しうつむき加減で足早に店の奥に行くと、カバンを置いて、ブレザーを脱いだ。
「ほんと……オレ、どうしちゃったんだろう……」
 藤崎は困惑しながら、胸を押えた。ドキドキと早鐘のように打っている。
「落ち着け……オレ」
 藤崎は自分に言い聞かせながら、ネクタイをはずして、エプロンをつけた。エプロンは、別にこの店の制服ではないのだが、氷上や藤崎の場合学校帰りの為、制服のままだと店番にはちょっと……という訳で「男の子だから恥ずかしいと思うけどごめんね」と眞瀬に言われて、つけるようにしていた。
 再び深呼吸をして、カウンターへと向った。眞瀬がレジの前で、伝票チェックをしていた。
「今日、入荷した新商品が4点あるんで説明するね」
「あ、はい」
 眞瀬が丁寧に、商品の説明をした。藤崎は、いつもの様に、それを聞きながらノートにメモした。チラリと見ると、眞瀬の綺麗な横顔があった。
長い睫毛と、スッと通った鼻筋、動く唇が柔らかそうだった。
こんな綺麗な男の人を見たのは初めてだと、最初に会った時に思ったのを思い出した。美貌の意味での美人なら、芸能人にもいるし、慎吾だって綺麗な顔をしていた。だけどそれらとは違う綺麗さだと思った。
「ん? どうしたの?」
 眞瀬が藤崎の視線に気づいて、藤崎を見てニッコリと微笑む。
「オレにみとれてた?」
 眞瀬はからかうように言った。
「え!?」
 藤崎は、再び心臓が跳ね上がった。みるみる内に顔が真っ赤になる。
 ちょっと軽いからかいのつもりが、いつもはちょっと赤くなってうろたえるであろうくらいの反応のはずなのに、想像以上に激しく反応したので、眞瀬はあれ? と思った。
「あの……」
 眞瀬もどうフォローしていいのか少し躊躇した。しかし藤崎は、その時すべてを悟った気がした。
「オレ……」
「ん?」
「オレ……」
 眞瀬は恐る恐る藤崎の顔を覗きこんだ。
「……眞瀬さんが好きだ」
「え?!」
「オレ、眞瀬さんが好きです」
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