雨が止んだら

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 藤崎は先程からずっと落ち着きが無かった。なぜなら、向かいに膝を突き合わせて座っている眞瀬が、ギュッと藤崎の両手を握り締めてきたからだ。
「あ、あの……」
 藤崎は真っ赤になって眞瀬を見た。眞瀬もジッと藤崎をみつめている。その視線に、更に顔が火照った。
 なぜなら今日の眞瀬は、とにかく色っぽいのだ。少し酒を飲んでいる様だし、藤崎をからかっているのか、やたらと先程から絡んでくる。
「暑いの? ずいぶん顔が赤いけど……」
 眞瀬はそう言って、握っていた手を離し、藤崎の頬を触ってきた。
「も、もしかして、眞瀬さん……オレをからかっています?」
 藤崎はちょっとドギマギとしながら、尻ごみ気味になって尋ねた。
「ん? からかうっていうのはね〜〜〜、こういう事だよ」
 眞瀬はニッコリと微笑むと、チュッと軽く藤崎にキスした。
「わ!なっ……な……なに……」
 藤崎は真っ赤になって、口を抑えた。
「なにって……スキンシップ……ん? 初めてだった?」
 眞瀬はクスリと笑った。
「ま……眞瀬さん!!」
 藤崎が真っ赤になったまま、思わず怒って叫んだ口を、眞瀬は再び唇でふさいだ。暖かくて、柔らかな眞瀬の舌が、藤崎の歯の間を割って入ってきた。藤崎の舌に絡み付く、それはとても心地のよい愛撫だった。
 藤崎は、思わず眞瀬の体を抱き寄せた。無我夢中で、眞瀬の唇を吸った。長く深いキスの後、名残惜しげに2人の唇が離れた。藤崎をみつめる眞瀬の目が、うっとりと濡れている。
「眞瀬さん……」
 藤崎が眞瀬を再び抱き寄せようと、手を伸ばした時、眞瀬の両手が藤崎のベルトの留め金に添えられた。カチャカチャとベルトをはずし、ファスナーに手をかける。
「あ、ま……眞瀬さん……それは……」
「クスッ……ずいぶん苦しそうだよ……こんなになって……」
 眞瀬のその言葉に、藤崎の昂ぶりが更にズクリと熱を帯びた気がした。
「あ、だ……だめです……そこは……」
「大丈夫……気持ち良くしてあげるから……」
 ズボンの前を開け、下着をずらすと、中からとても勢い良く藤崎の昂ぶりが弾け出た。
「クスクス……元気だな……」
 眞瀬はそう言って、藤崎のそれに手を添えると、口に含もうとした。
「わ……ちょ……ちょっと待って……ま……眞瀬さん!!」

 ガバッと、すごい勢いで、藤崎は跳ね起きた。シーンと静まり返った部屋は、見覚えのある部屋だった。飾りっけの無い、物の少ない藤崎裕也の自室。外は、ようやく空が白み始めた頃だった。
 藤崎は、しばらくの間放心状態でいた。全身に汗をかいていた。心臓が激しく波打つ。やがてようやく我に返ると、頭を抱え込んだ。
「オレ……なんであんな夢……」
 ハッとなり、恐る恐る掛け布団を持ち上げて、パジャマのズボンの中も確かめた。
「はぁ……」
 藤崎は、頭を抱えたまま大きなため息をついた。

 辺りに誰もいない事を確認して、洗面所でジャバジャバと下着を洗い始めた。
『情けない』と、藤崎は唇を噛んだ。乱暴に洗いながら、小さくため息をつく。
 夢を見て、元気になってしまう自分の息子の若さ加減も情けないが、その見た夢というのが……
「ほう……自分で自分の物を洗濯するなんて、なかなか感心だな〜〜〜」
 背後からの思いがけない声にギクリとなり、一番見つかりたくない相手に見つかったと、つくづく悔やんだ。恐る恐る振りかえると、洗面所の入口でニヤニヤと笑う青年が2人。藤崎の兄、長兄の芳也と、次兄の智也だった。
「よ……芳兄、智兄……お……おはよう……」
 藤崎はこわばった顔で、懸命に取り繕うと笑顔を作った。
「な〜〜に洗ってんだよ、青少年」
 長兄が、ニヤニヤと笑いながらそう言った。
「あ、え……あの……」
「感心だな〜〜〜裕坊は……かあさ〜〜〜〜ん!! 裕がね〜〜〜!!」
「わ〜〜〜!やめてよ! 智兄!!!」
 藤崎は、慌てて次兄に飛びかかった。
「わ、こら! 濡れる濡れる」
 次兄は、笑いながら藤崎を羽交いじめにした。ふたりの兄は、楽しそうに笑っている。
 高校では、長身で体格の良い藤崎も、ふたりの兄には到底かなわなかった。背も兄の方が大きいし、体格も良い。なにしろ長兄・藤崎芳也はプロ野球選手だし、次兄・藤崎智也は前回のオリンピックで銀メダルを獲った柔道家だ。
「いやあ……オクテだオクテだと思っていたんだが……お前もとうとう……で、どんな夢見たんだ?」
 長兄が笑いながら尋ねた。藤崎は、真っ赤になって黙り込んでしまった。
「あんたたち! 起きているなら、早くご飯を食べなさい! 裕也! 遅刻するわよ!!」
 台所から、母の叫ぶ声が聞こえる。男所帯の藤崎家は、いつもにぎやかだった。
「はい!」
 藤崎は慌てて洗った下着を絞ると、洗濯機に放り込んだ。兄達はそれを見て、ゲラゲラとなおも笑いつづけていた。
 藤崎は恥ずかしいのと、くやしいので真っ赤になったまま、兄達を押しのけて、台所へと向かった。

「はあ……」
 藤崎は、授業にも身が入らず、ため息ばかりをついていた。ぼんやりと黒板を眺めている。
 バイトを初めて20日。ようやく仕事にも慣れ、包装も出来る様になったし、よほどむずかしい注文をする客でもないかぎりは、応対も一人で出来る様になった。最初の1週間、付きっきりで丁寧に眞瀬が教えてくれたからだ。
 眞瀬の事はもちろん好きだった。優しいし、大人だし、何でも話せる人だった。自分の兄達とは比べ物にならないほど、兄らしい頼りになる人だ。そんな風に慕ってはいるが、それ以上でも以下でもないはずだった。
 なのに、なぜ昨夜あんな夢をみてしまったのだろうか……藤崎は、今までHな夢を見て下着を汚してしまうなんて事はした事がなかった。
 そりゃ、年頃だからそれなりにHな話やHなビデオには興味があるし、友人達と雑誌を回し読みした事もある。
 だが日頃、健全にスポーツで汗を流しているおかげで、それほど欲求不満だという訳でもない。今まで彼女いない歴17年だし、オクテと言われても仕方ないのかもしれないけど、自分自身としては、硬派を通しているつもりだ。いや、何にせよ、昨夜の夢は一体何だというのだろうか。
眞瀬さんとあんな……自分であんなことを望んでいるとでもいうのか? 男同士なのに……。
 夢の中の妖艶な眞瀬の顔を思い出した。カァーッと頬が熱くなる。あんな夢を見てしまって、今日もバイトがあるのに、どんな顔をして会えばいいのだろうか……。藤崎は頭を抱え込んで、大きなため息をついた。
「どうした藤崎、体調が悪いのか?」
 先生が、心配そうに声をかけた。
「あ、いえ……大丈夫です」
 藤崎は、ハッとなって顔をあげた。
「なんだ、お前らしくないな……じゃあ、この問題を解いてみるか?」
「あ、はい」
 藤崎は慌てて立ち上がると、黒板の前に向かった。

「裕也、マジでどっか具合が悪いんじゃないのか?」
 昼休みに、氷上が心配そうに尋ねてきた。
「ん、大丈夫だよ……なんでもない」
「だけどなんか元気がないぞ? バイト……キツイ?」
「え!? いや、全然、そんな事ないよ、もう仕事も慣れたし、眞瀬さんが親切にしてくれるから」
「そお? うん、眞瀬さんは本当に良い人だよね」
「う……うん」
 藤崎は、眞瀬の話題になると、ちょっと気まずい様子で、視線を逸らした。その藤崎らしからぬ様子に、氷上は不思議そうに首をかしげた。
「そ、それより、お前こそ最近元気が無いな……腕が痛むのか?」
「ううん」
 氷上はちょっとスネた様子で、口を尖らせながらおやつに売店で買ってきたチョココロネのビニール袋をビリリと破った。
「腕は痛くないけどさ……何が辛いって、片手じゃプラモが作れないんだよ。オレが2週間以上プラモを作れないなんて、想像できるか?!」
 あまりにも氷上らしい悩みに、藤崎は思わずプッと噴出した。
「あ! 笑ったな!!」
「ごめんごめん」
 藤崎は、氷上の屈託の無さにつくづく救われる気がした。そして、それに比べると、自分はなんてみっともないんだろうと思った。バイト先の親切なオーナー(♂)をおかずに、いやらしい夢を見て、興奮するなんて……
 藤崎の表情が曇る。
 氷上は、藤崎の様子がおかしいと思ったが、何も聞かなかった。話したい時にきっと話してくれると信じていたからだ。
「食べる?」
 氷上は、ニッコリと笑って、食べかけのチョココロネを藤崎に差し出した。
「いや、いいよ、お前が食えよ」
「うん」
 氷上は、無邪気に頬張っていた。
 藤崎はそれを眺めながら、心の中でため息をついた。
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