雨が止んだら

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「ご迷惑をお掛けして、すみません」
 三角巾で首から吊っている左腕のギブスが痛々しい姿で、氷上慎吾がペコリと頭を下げていた。
「慎吾くん……それどうしたんだい……」
 眞瀬は驚きのあまり、しばらく馬鹿みたいに口を開けて呆けてしまっていた。ハッと我に返り氷上の側へ歩み寄った。
「体育の授業で、ちょっと……怪我しちゃって……」
 氷上は苦笑して、ペロリと舌を出した。
「大丈夫なのかい?」
「ええ、骨にひびが入っただけですから、1ヶ月で治るそうです。左だし、とりあえずの日常生活にはそこまで不自由しないんですけど……ここのバイトは無理かと思うんです。片手では包装とかできないし、レジのお金も数えられないし……」
「いや、それは仕方ないよ、急な事故だし……それよりひどい怪我でなくてよかったよ」
「すみません。ご迷惑をおかけして……」
 氷上は、眞瀬の経営する雑貨店でバイトをしていた。母親と眞瀬が知り合いだったので、バイトを探していた時に、母親が頼んでくれたのだ。眞瀬は快く引き受けてくれて、それ以来もうすぐ1年になる。今では仕事にもすっかり慣れて、看板娘ならぬ看板息子だ。
 そして今日怪我をした為、バイトが出来なくなったので、謝りに来ていたのだった。
「すみません! 全部オレのせいなんです!!」
 いきなり店中に響き渡る大きな声に、眞瀬はビクッとした。
 それまで氷上の後ろに隠れる様に立っていた藤崎が、1歩前に出て深々と頭を下げていた。
「裕也、だからあれはオレがボーッとしていたのが悪いんで……お前はオレを助けてくれたじゃないか」
「いや、だけどそれで怪我させたんだから、全然助けになってないよ。オレはどこもどうもなってないのに……オレって、変に丈夫だから、結局頭もタンコブだけだし……」
「だけどあそこで助けてくれなかったら、みんなと壁とのサンドイッチになって、もっとひどい怪我していたかもしれないんだから……先頭にいた安井君は脳震盪起こしてたじゃないか。そんな勢いの連中に激突されていたらどうなっていたか……これくらいで済んで助かったよ」
「だけど……」
「それにこの腕だって、オレがボーッとしていて、変な体勢で転んだからたまたまこうなっただけで、事故だよ、事故! 裕也が責任感じる事ないんだって!」
 藤崎は、その大きな体を縮こめて、しょげこんでいた。
「あの、えっと……ごめん、慎吾君、彼は?」
 眞瀬は、今一つ状況を把握できずに困惑していた。氷上と藤崎を交互に見ては、不思議そうな顔をしていた。
「あ! すみません、こいつ、オレの親友で藤崎裕也っていいます。オレのこの怪我は、ただの事故なんですけど、こいつ自分のせいだって、変に責任感じてて、今日オレがバイト先に謝りに行くって言ったら、一緒に謝るからってついてきたんです」
「へえ……」
 眞瀬はその藤崎の行為に少し好感を持って、マジマジと彼を眺めた。
 短く刈られた真っ黒の頭と、少し日に焼けた顔、背は眞瀬より少し低いくらいか同じくらいだろうが、肩幅もありガッチリとした体格のせいか、ずっと大きく見える。目元が涼しく、眉がキリリとしていて、なかなか男前だった。
 見るからにスポーツマンといった感じで、今時の高校生らしくない子だな……という印象を受けた。
「じゃあ仕方ないね、腕が治るまでは休んでもらおうかな……だけどさすがに急だから困ったな……」
「すみません。あの……やっぱりクビですか?」
「いやいや、それくらいじゃクビにはしないよ、慎吾くんは、普段の仕事振りがいいからね、お客さんの評判もいいし……君が続けられるまでは続けて欲しいと思っているよ。ただその間の短期バイトの人がすぐにみつかるかな〜? と……」
 眞瀬は優しく微笑むと、ちょっとだけ困った様に顎に右手を添えて考え込む仕草をした。
「あ、あの! オレが代わりに働きます!!」
「え?!」
 氷上と眞瀬は、同時に驚きの声をあげて藤崎を見た。彼は、まったくもって真剣な様子だった。
「オレじゃダメですか? 慎吾が復帰できるまで、代わりに働きます。」
「あ、いや……君が良いというのなら、こちらは別にかまわないけど……」
 眞瀬はチラリと氷上を見た。
「裕也、なにもそこまで責任を感じなくてもいいよ……そりゃ、ありがたいけど……でも……」
「いや、責任とかなんとかじゃなくて、それは置いておいたとしても、親友のお前が困っているんだから、助けるのはあたりまえだろ? オレがちゃんと役に立つかは、働いて見ないと解らないけど……猫の手くらいにはなると思うよ……力仕事も出来るし」
「裕也……」
 氷上は、かなり感動しているようだった。眞瀬は、ふたりの友情を微笑ましくながめていた。
「いいじゃないか、お友達の好意は素直にうければ? ウチも助かるよ」
「え、でも……あ、はい……そうですね。眞瀬さんにこれ以上迷惑はかけられないし、じゃあ、裕也……お言葉に甘えるよ」
「ああ、まかせろよ」
「さあ、とにかく今日は帰っていいよ、怪我したばっかりなら、慎吾くんも体に障るだろうし……藤崎君だっけ? 送っていってあげたほうが良い……仕事は明日からお願いしていいかな?」
「はい、よろしくお願いします」
 ふたりは、眞瀬に深々と頭を下げた。

 ふたりは、しばらく黙ったまま帰り道を歩いていた。
「眞瀬さんだっけ? 良い人だな」
 先に口を開いたのは、藤崎だった。二人分のカバンを抱えて、氷上の歩調に合わせて歩いていた。
「うん、良い人だよ。すごく、前にも話したことあると思うけど、若いのにお店を2つも持ってて、すごくヤリ手なんだ。見かけはそんな感じに見えないけどね、それにハンサムだと思わない? 女性客にモテモテでさ〜〜〜」
 氷上は、笑いながら答えた。藤崎も微笑み返してうなずいた。

「本当にすみませんでした」
 藤崎が再び頭を下げていたのは、氷上の両親の前でだった。送っていったついでに、事情を話して謝っていたのだった。
「いや、くわしく話をきくと、別に裕也くんのせいではないじゃないか。ぼんやりしていた慎吾が悪いよ、君が気にする事は無い、それにこの怪我は偶然の事故だしね、転び方が悪かっただけで、それは君がどんなに気をつけようとも防げた事じゃないんだし、気にする事はないよ。第一男の子なんだから、これくらいの怪我はね」
 氷上の父親は、笑いながらそう答えた。
「そうよ、裕也ちゃんは気にしないでいいのよ……慎吾はもうちょっとカルシウムを取らないとダメね」
 美しいブロンドの美しい母親は、少女の様な微笑を浮かべて、おっとりと答えた。
「あはははは……」
 氷上はその真中で笑っていた。
「ところで慎吾、ぼんやりしてたって……そう言えば、昨夜ずっと部屋の明かりが点いていた気がするが……またプラモを朝まで作っていたわけではないだろうな?」
「ヤベ! 矛先が変わった」
 氷上は、イタズラっ子の様にペロリと舌をだした。
「あの……お医者さんが、今夜は熱が出るかもしれないからって、薬をもらいました」
 藤崎は話を反らすように、カバンから薬袋を取り出して、氷上の母親に手渡した。
「まあ、ありがとう>裕也ちゃんは本当にしっかりしていて頼りになるわよね、今日も本当にありがとう>夕ご飯を食べていかない?」
「あ、いえ……僕はこれで……慎吾、辛い様なら無理しないで明日休めよ。いちお、また明日の朝寄るから」
 藤崎は、そう言ってもう1度両親に頭をさげて玄関を出た。
「ほんとうにごめんな! 裕也! もう気にするなよ!」
 慎吾は右手を大きく振って見送った。

 終業のチャイムと共に、藤崎はカバンを片手に、教室を飛び出した。
「藤崎! 部に寄っていかないか?」
 廊下で、サッカー部員に声をかけられた。
「ごめん! しばらくは部活の応援できないんだ! またな!」
 藤崎はそう言いながら駆けて行った。

 藤崎はドアの前に立つと、そっと中を覗いた。客の姿は見えなかった。小さく呼吸を整えて、ドアを開いた。
「こんにちは! 藤崎です!」
 元気にそう挨拶して、ペコリと頭を下げた。
「ああ……いらっしゃい」
 眞瀬は小さく笑って、奥から出迎えた。
「どうぞこっちへおいで」
 眞瀬に手招きされて、少々緊張気味の藤崎は、店の奥へと入っていった。
「とりあえず荷物はカウンターの中に置いて貰えるかな?」
 眞瀬はそう説明しながら、入れ替わりに出入口へと向うと、ロールスクリーンを下ろした。
「あ、あの……」
 藤崎はキョトンとなって、その様子を眺めていた。
「ああ……今日は31日だろ? 毎月月末は棚卸で休みにしているんだよ。丁度よかったんだ。そろそろ君がくる頃だろうと思って、ちょっとだけ入口を開けていたんだよ。プレートが『CLOSED』になっていたの気づかなかった?」
「あ、そ……そうなんですか、すみません」
「別に謝る事じゃないよ。おもしろい子だね」
 眞瀬はクスクスと笑った。 さっきから眞瀬は、面白くて仕方が無い様だった。
「さてと……改めて、この店の主人の眞瀬凌介です。35歳、ちなみに独身。よろしく」
 眞瀬はニッコリと笑って、右手を差し出した。
「あ、藤崎裕也です。よろしくお願いします。」
 藤崎は、慌てて握手に応じた。
「とりあえずこの店の事と、君の仕事の説明をするね……まあ掛けて」
 眞瀬は椅子を勧めた。 藤崎はおとなしくそれに従って椅子に腰を掛けた。 眞瀬も向いに座った。
 眞瀬は、店の営業内容や営業時間、藤崎の勤務時間などを簡単に説明した。
「オレは普段は、外出してて閉店前くらいしか戻ってこないんだけど、君が慣れるまで1週間は、ずっとこの店にいるから安心してね」
「はい、ありがとうございます。出来るだけ早く仕事を覚えます」
「うん、がんばってね。じゃあ、一通り仕事の手順を教えようかな」
 眞瀬は、ひとつひとつ丁寧に、藤崎に指導した。商品の説明や、レジの打ち方など、一度には覚えられないだろうなと思いつつも、とりあえず説明していた。
 すると藤崎は、言われた事を聞き逃さない様に、せっせとノートに書き取っていた。
 藤崎のあまりにも真面目で真剣な様子に、説明していた眞瀬も感心していつのまにか、ずっと眺めてしまっていた。ふと藤崎が気づくと、じっと眞瀬が自分を見つめている。
「あ、あの……」
 藤崎は思わず、頬を赤らめた。
「あ、ごめんごめん……いや、それにしても、君って本当に真面目だな〜と思ってね」
 眞瀬は、ニッコリと微笑んで言った。
「いえ、そんな事ないです」
 藤崎は、困った様にもっと赤くなってうつむいた。
『それに純情だし』と眞瀬は、心の中で楽しそうにほくそ笑んだ。
 最近見ないタイプの子だった。なんだかちょっと新鮮だった。
 氷上慎吾も、一見ハデな外見に似合わず、中身はとても普通の男の子だし、仕事も真面目にするし、素直でいい子だと思う。でもこの藤崎裕也君は、それとはまた違うタイプで「超」がつくほど真面目で実直なようだ、その上「からかい甲斐」がありそうなのだ。これはしばらく楽しめそうである。
「そういえば、慎吾君はその後どう?」
「はい、夕べやっぱり熱が出たみたいで、今日は学校を休みました」
 藤崎は真面目な顔に戻り、少し表情を曇らせた。
「昨日の話だと……体育の授業で怪我をしちゃったんだよね。君のせいとか言っていたけど……慎吾君は君に助けられたって言っていたし……どういう事?」
「実は……」
 藤崎は、事の詳細をくわしく話した。
「そう、それは不運だったね。だけどやっぱりそれだと別に君のせいじゃないじゃないか……それにしても、慎吾君は……彼らしいというか、らしくないというか……」
 眞瀬はクスクスと笑った。
「オレは、普通の人より丈夫過ぎる程丈夫で、慎吾とは体の作りが違うんだからって、帰ってから親に叱られました」
 そう言って、藤崎は困った様に頭を掻いた。それを聞いて、眞瀬は吹き出して大笑いした。藤崎は、最初びっくりした顔をしていたが、つられてテレ笑いをした。
「あははは……ごめんごめん……いや、確かに君は丈夫そうだな〜と思ってさ。何かスポーツしているの?」
「ええ、まあ……していると言えばしているし、していないと言えばしてないかな〜……」
 藤崎は、何と答えていいか困ってしまってポリポリと頭をかいた。
「特定のクラブには所属していないんです。色々な運動部から、助っ人を頼まれたりしたら、試合に出たりしています」
「へえ、助っ人を頼まれるなんてすごいね! 万能なんだ」
「万能と言えば聞こえは言いのですが……まあ、器用貧乏っていう事でしょうか? スポーツは何でも一通り出来るし、割と良い線活躍できる自信はあるんですけど……でもどのスポーツでも特に才能を発揮できない気がして……特にどのスポーツを一番やりたいという興味もないし……」
「ふうん、そういう事ってあるんだね。まあオレの友人にも、似たような人物がいるけどね。スポーツだけじゃなく、学問もなんでもオールマイティーにこなせる癖に、嫌味なくらいに『興味がない』なんて涼しい顔して言う奴が……」
 と言って、東城の顔を思い浮かべた。が、ああ、やだやだと思い首を振る。
「やっぱり……嫌味になりますかね?」
 藤崎が、ちょっと不安気に尋ねてきた。
「いやいや、君は全然嫌味じゃないと思うよ。嫌味にみんなが思わないから、助っ人も頼まれるんじゃないのかな? 君って多分人気者なんじゃないかと思うけど……」
「人気者は慎吾ですよ。あいつは本当に性格良いから、みんなに好かれているんです」
「君も好き?」
「もちろん大好きです」
 彼は、キッパリと爽やかな笑顔で答えた。
 ああ……同性に対して、こんなに爽やかに「大好きです」と語れる彼のなんと汚れの無い事だろう……と、ちょっとまぶしさに目がくらみそうになった。
「どうかしましたか?」
「あ、いや……なんでもないよ。あれ? もうこんな時間だ。じゃあ今日はこの辺で帰って良いよ。仕事は明日から本格的にがんばってもらうけど……いいかい?」
「はい! がんばります」
 藤崎は元気に答えると、立ち上がって深々と一礼した。
「明日からよろしくお願いします」
「こちらこそ頼むよ」
「はい」
 藤崎は、もう一度頭を下げると帰っていった。 眞瀬は、ニコニコ顔が元に戻らない。藤崎との出会いは、とても新鮮な感覚を覚えた。明日からとても楽しくなりそうである。
 眞瀬は、鼻歌交じりに、やりかけていた棚卸表の続きを書き始めた。
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