雨・雷・嵐のち秋晴れ

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玄関を開けると、スラリとした長身のモデルばりの男が立っていた。眞瀬の親友(本人達は腐れ縁と呼んでいる)の東城貴司だった。
「よお、ひさしぶりだな。元気そうじゃないか」
「どうしたんだ一体……」
 驚く眞瀬を他所に、東城はいたってマイペースで、玄関に入ってくると、さっさと靴を脱いで上がり込んだ。
「ちょ、ちょっと……貴司……」
 どんどん勝手に中へと入っていく東城の後を、眞瀬は慌てて追いかけた。
「ここに来るのは2年ぶりだが、あんまり変わってないな」
 東城はそう言いながら、コートを脱いでソファに掛けた。
「何勝手に上がってくつろいでいるんだよ。一体どうしたんだ。急に……」
「親友が尋ねてきたって言うのに、随分つれないじゃないか。迷惑か?」
「そ、そうじゃないけど……まさか、オレに会うために来たって訳でもないだろう?」
「客に茶もださないのか?」
 眞瀬の問いかけを無視して、東城はソファに腰を下ろすと、ニヤリと笑って言った。眞瀬はカチンときながらも、キッチンへ向うと、コーヒーを煎れ始めた。
「仕事で近くに来たんだ」
 ようやく東城が眞瀬の質問に答える気になったらしい。カップを並べながら、眞瀬はチラリと東城を見た。
「すぐ近くに建設中の高層マンションがあるだろう……あれの現場を視察に来たんだ」
「ああ……あれ、貴司の会社の持ち物だったんだ。ここより高くなりそうだな」
 眞瀬はコーヒーを運んでくると、テーブルの上に置いて、東城の向かいに座った。
「ああ、35階建てだ。今流行りのデザイナーズマンションになる」
「うへえ……この不景気に億ション? 大丈夫なの?」
「今マンションはよく売れているんだ……それも高層が人気だ」
「ふうん」
 眞瀬はコーヒーを飲みながら東城の話をおとなしく聞いていた。
「それより、どうなんだ?」
 東城もカップを手に取ると、唐突に聞いてきた。
「何が?」
 眞瀬は、真剣に意味が解らなくて、キョトンとなりながら聞き返した。
「まったく……散々人を呼びつけて、グタグタと告白されたのなんだのって、相談してきておいて、その後の結果報告も無しってのはひどいんじゃないか? あれから5ヶ月にもなるんだぞ」
「あ……」
 眞瀬は、本当に忘れていたらしく「しまった」という顔をした。
「ご、ごめん」
 東城はフンと鼻をならすと、チラリとキッチンの方を見た。
「どうやら上手くやっているみたいじゃないか。お前が料理ねえ……変われば変わるもんだ。今日は彼氏が来るのか?」
「あ、うん……」
 眞瀬は気まずい顔になって、コクリと頷いた。
「それでさっきは、オレの来訪を迷惑そうにしていた訳だ……用が無いなら早く帰ってほしいんだろう」
 東城は、いじわるそうな表情で言った。
「そ、そんなんじゃないけど……」
 図星を刺されて、眞瀬はうろたえた。
「オレを紹介してはくれないのか?」
 東城はニヤリと笑った。
「変な事する気じゃないだろうな?」
「誰に? お前に? 彼氏に?」
「裕也に……」
 その言葉に、東城はフンと鼻で笑った。
「そうだな。高校生というのも、なかなか面白いかもしれないなぁ……何しろお前が夢中になっているくらいだからなぁ」
「や、やめろよ! そんな事を言うんなら、もう帰れよ」
「鍋……いいのか? たまには火加減とか見たほうがいいんじゃないか?」
「あ……」
 東城に話を反らされたが、眞瀬は慌ててキッチンへと向った。蓋を開けて中をかきまぜた後、火を止めた。
「ったく……」
 眞瀬は恨めしそうに東城を見た。東城が自分をからかって楽しんでいるのは十分解っている。こういう男なのだと言う事は、もう長い付き合いで、誰よりも良く解っていたはずなのだ。確かに、彼の事をすっかり忘れて、何もフォローしなかったのは、眞瀬のミスだと思う。放っておいたばかりに、彼の意地悪魂を触発しまくっているのだろう。
 わざわざからかう為に、出向いて来るほど、彼が暇な体では無い事は知っているが、仕事で近くまで来たのなら、休憩する時間を割いてでも、からかう為に足を伸ばすくらいの事はする奴なのだ。ここはおとなしく彼に従って、裕也を紹介しておいた方がいいかな?と思った。多少何か言われそうだが、それも覚悟の上でいた方が良い。ここで無理に追い返したら、後々がもっとややこしくなりそうだ。
「もうそろそろ来るとは思うけど……ハッキリ時間を約束している訳じゃないから……お前こそ仕事の途中で、時間は大丈夫なのか?」
 無駄とは思いながらも、一応聞いてみた。
「ご心配なく……なんなら、このまま夕飯までご一緒させてもらってもいいくらいだぞ。そういえば、お前の手料理なんて食べた事ないな」
「それは随分お忙しい事で」
 眞瀬は憎憎しげに嫌味のひとつも言ってみた。こいつなら、本気でいやがらせの為に、夕食までいるだろう。今日は最悪の日だとつくづく思った。
「恋をすると、綺麗になるって、女性の誉め言葉に良く使うが、なるほど確かに、ただの誉め言葉じゃないかもしれんな」
 突然真後ろからの声に、眞瀬はびっくりして振りかえった。何時の間に来たのか、東城が眞瀬の後ろに立っていて、冷やかすような笑みを浮かべていた。
「なんだよ……それ……」
「色気が出て、綺麗になったって誉めているんだよ」
 東城はそう言いながら、眞瀬の長めの後ろ髪を手に取って指に絡めた。
「よせよ……からかうなよ」
 眞瀬はその手を振り払う。
「クスッ……身持ちまで硬くなったんだ。そんなにあの坊やは、上手なのかい? 娼婦の様に快楽に貪欲なお前の体を満足させて、淑女の様に貞節を守らせてしまうほどに……」
 東城は、眞瀬の線の細い顎を右手で掴むと、クイッと東城の方へ少し上向けにさせた。
「貴司……そんなからかいはよせよ。度が過ぎるぞ……そんなにオレの体に執着がある訳でもないくせに、わざとそんな風に卑らしい言い方をして、オレをけしかけたって……あんまり面白くないぞ」
 眞瀬はキッと真顔で東城を睨みつけた。
「そうか?」
 東城は、顔色ひとつ変えずに一言そう答えた。
 眞瀬は、カッとなってその手を振り払うと、リビングに大股歩きで行き、ソファに掛けてある東城のコートを手に掴んだ。
「紹介しようと思ったけど、今日は辞めておくよ。貴司がそんなんじゃ会わせられない……そりゃ今まで色々相談に乗ってもらったり迷惑かけたのに、何の連絡もしなかったのはオレが悪いと思うけど、今日の貴司は悪ノリが過ぎる……悪いが今日は帰ってくれ」
 凛とした顔でそう言い放つと、掴んだコートを差し出した。東城は肩を竦めて見せたが、眞瀬の所に歩み寄ると、差し出されたコートを受取った。
「失礼したな。悪ノリ……か?」
 東城はクスリと笑った。眞瀬は、キュッと唇を引き締めて東城の目を真っ直ぐに見つめ返した。
「本当に……」
 その先の言葉を何か言いかけたが、東城は言葉を飲み込むように口を閉ざして、口の端をニヤリと上げた。踵を返して、玄関へと向うかと思った瞬間、グイッと眞瀬の腕を掴んで引き寄せた。
「え?」
 眞瀬はすっかり意表を突かれて、グラリと態勢を崩すと、東城の腕の中に倒れ込んだ。東城の大きな腕に抱きとめられて、大きな手が眞瀬の首を掴むと、強引に唇を重ねてきた。
「ん……んん……」
 強く唇を吸われて、眞瀬は我に返ると、夢中で抵抗した。もがいて両手をバタバタと動かそうとしたが、右腕はしっかりと脇でガードされて、左腕は強く掴まれていた。顔を反らそうにも、首根っこを右手で掴まれ押え込まれてビクともしなかった。強引に歯の隙間を割って、東城の舌が滑り込んでくる。熱い舌が、咥内を愛撫し、眞瀬の舌に絡み付いてきた時、一瞬グラリときそうになった。
 このキスは知っている。傲慢で、強引で、荒荒しくて、熱いけど、冷たい東城のキス。
何度も何度も、このキスを受け入れてきた。しかし眞瀬は、もっと違うキスを知ってしまったから……。
 テクニックではやはり東城には敵わないと思った。久しぶりにこのキスを受けると、つくづくと懐かしく思い知らされる。誰もが体の芯まで痺れてしまうようなキスだ。だが、眞瀬はもっともっと熱いキスを知っている。
 テクニックでは決して与えられる事の無いあの熱さは、藤崎の愛のあるキスだ。眞瀬を誰よりも愛してくれる情熱の熱さは、体も心も溶けてしまう程なのだ。
 眞瀬は、必死で理性を取り戻すと、再び抵抗を試みた。押さえ込まれている右腕を、必死で動かして、思うように動かせないので大した力にはならないが、東城の胸を叩いてみた。左の手首を強く掴まれている為、手の先が痺れて冷たくなっていた。
「んんっ……」
 眞瀬が抵抗すればする程、東城は更に濃厚に唇を吸い舌を絡めてきた。眞瀬は痺れて引きずられそうになる意識を必死で保った。
 その時、ドサッという物音がして、二人はハッとなり、やっと東城が唇を離した。二人が音のする方を見ると、ダイニングのドアの所で、カバンを床に落とすほど、驚いて呆然と立ち尽くす藤崎の姿があった。
 眞瀬は、あまりのショックに息が止まり、全身の血が音を立てて引いて行くような気がした。東城は、顔色ひとつ変えずに、冷静な眼差しで藤崎をみつめていた。
「ゆ、裕……也」
 やっとの思いで、眞瀬はその名前ほ口にしたが、喉がヒュウヒュウとなって、言葉がかすれてしまった。眞瀬の体が小刻みに震えているのに気がついて、まだ腕を掴んで束縛したままの彼を、東城はチラリと見た。眞瀬の顔面が蒼白になっている。
 こんなにうろたえる眞瀬を見るのは初めてだと、東城は冷静に思っていた。藤崎は、ハッと我に返ると、落としたカバンを掴んで、慌てて外へと飛び出して行った。
「裕也!!」
 眞瀬は悲痛な声でその名を叫んだ。
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