雨・雷・嵐のち秋晴れ

モドル | ススム | モクジ

  4  

 土曜日の午後1時、氷上の家に藤崎が迎えに来た。
「あら……裕也ちゃん久しぶりね。しばらく見ない間に、随分背が伸びたのね。どれくらいあるの?」
 氷上の母親が、優しい笑顔で出迎えてそう尋ねてきた。
「185cmあります」
「まあ……どうりで見上げるはずだわ。慎吾はもう止まっちゃったんじゃないかしらって心配しているのよ」
 彼女の言葉に、藤崎はクスクスと笑った。
「止まってないよ!! もう……地道に伸びているんだからさぁ。暖かく見守っていてよね」
 氷上は口を尖らせて抗議しながら靴をはいた。
「じゃ、行ってきます」
「行ってらっしゃい」
 二人は並んで玄関を出た。考えて見ると、休みにこうして二人で出掛けるのは久しぶりだ。
 9月に2回映画に行ったりしただけで、学校行事も忙しかったりして、最近は全然休みの日に一緒に居る事がなかった。まあ藤崎に恋人ができて、そっちが忙しいならなおさらだろうと思った。どこに行くのか決めてなかったけど、藤崎の行く先に黙ってついていった。近くのバス停からバスに乗って、吉祥寺駅前に着いた。ここまではいつもの二人の行動範囲だ。しかし藤崎はそのままJRの駅の中へ入っていった。
「どこに行くんだ?」
「新宿まで出ようよ」
「う……うん」
 話をするだけだから、てっきり吉祥寺のスタバとかドトールあたりで、コーヒーを飲みながらとか、井の頭公園を散歩しながらかと思っていた。バスの中でもそうだったけど、JRの中でも、藤崎はずっと黙ったままだ。なんだか緊張しているようにも見える。
「ごめん……吉祥寺だと、誰か知っている人に会いそうだったから……」
 電車の中で、突然藤崎がポツリと言った。
「う……ううん、別にいいよ。気分転換にもなるしさ」
 氷上は普通に答えたが、内心はとても驚いていた。そんなに周囲を警戒するほど深刻な話なのだろうか? そう思ったら、ちょっとこっちまで緊張してきた。
 新宿駅に着くと、藤崎は東口を出て、いつも待ち合わせでごったがえしているアルタ前を通って、一見宛ても無い様に歩いていた。氷上ははぐれないように、一生懸命後についていった。
「ここ、入ろう」
 突然藤崎が足を止めてそう言ったのは、大きなカラオケ店の前だった。
「カ……カラオケ?」
 あまりにも意外な場所なので、とても驚いたが黙って後に続いた。小人数用の狭い個室に案内されて、ふたりは黙ったままソファに座った。
 時々壁越しに、どこかの部屋から漏れてくる歌声が、小さく聞こえる。氷上はなんだか居心地が悪かったが、藤崎の反応を待って、おとなしく座っていた、
「ごめん。ずっとどこにしようか迷ってて……結局こんな所にしちゃった」
 藤崎がボソリと言った。
「いや……でもここなら誰の邪魔も入らないよな。せっかくだから景気付けに歌でも歌うか?」
 氷上が明るくそう言ったが、藤崎は微笑するだけだった。その時ドアが開いて、店員がアイスティーを二つ運んできた。入る前に注文しておいた分だ。
 店員が出ていって、これでもう完全に邪魔者はいなくなった。藤崎は、アイスティーを一口飲んで、小さな溜息をついた。
「この前の話だけど……」
「う、うん」
 いよいよかと思って、氷上はゴクリと唾を飲み込んだ。
「慎吾……これからする話を聞いて、もしもお前がオレを軽蔑したり、友人でいられないって言ったとしても、仕方がない事だと思っているから、 どうか無理しないで聞いてほしい。ただ慎吾には話しておきたかったから話すんだ。誰にも聞かれたくないってこの間言ったけど……それは本当の事で、もしも学校で誰かに知れたら、大問題になると思うし……家族にも知られたくないんだ。オレが子供じゃなかったら……誰にはばかることなくいられるんだけど……今のオレには何の力もないから……ただの高校生だから、誰かに知られたら……相手にも迷惑をかけてしまうから……だからすごく用心している」
「うん」
「本当は、慎吾に話すのもすごく迷ってて……それで今まで言えなかったんだけど……慎吾を信じていないからじゃなくて……その、慎吾の立場が……すごく微妙なんだ。オレの親友としてだけじゃなくて……相手の人の事……慎吾も知っている人だから、その人と慎吾の関係もおかしくなっちゃうかもしれないと思って……」
 それを聞いて『やっぱり木下さん?』と氷上は思って、心臓がバクバクと鳴り出した。
「だ、大丈夫……オレも色々と考えていたんだ。裕也がすごく悩んでいる事解ったし……オレ、たぶん何の力にもなれないと思うけど……だけど……何を聞いたとしても、お前を嫌いにはならないと思うって……それだけはなんか確信があるから……大丈夫だから……もしよかったら話してよ」
 氷上の言葉に、藤崎はコクリと頷いた。
「オレ、すごく愛している人がいる。その人もオレの事を愛しているって言ってくれている。オレはまだ17歳だし、ままごとみたいな恋愛に人は見るかもしれないけど、本気なんだ。例え世界中から反対されても、絶対諦める気はない……一生愛しつづけるつもりなんだ……そんな恋愛を今している」
「うん」
 とてもとても真剣な眼差しで話す藤崎に、氷上は圧倒されてしまっていた。こんな藤崎を見るのは初めてだと思った。
「オレの方が好きになって、告白して、付き合い出したんだ。その人はずっと大人で……オレ、相手にされないかもって思っていたけど……オレの真剣な気持ちを受けとめてくれて……今は本当にオレの事を愛してくれている」
 藤崎はそこまで話しながらも、まだ少し躊躇があるのか、なかなか相手の名前を言い出せないで居るようだった。氷上は辛抱強く聞いていた。まあ、親友の贔屓目でなくても、藤崎はハンサムだし、格好良いし、学校でもモテモテなのは知っている。こんなに女の子達に人気あるのに、彼女を作らないなんてもったいないとさえ思っていたくらいだ。二人で原宿を歩いていると、よくスカウトに声をかけられるが、それは氷上だけでなく、藤崎が目当ての時もあるくらいだ。
 そんな藤崎が、こんなに真剣な眼差しで愛を告白したのだとしたら、グラリとこない女性はいないだろうと思う。例えそれが人妻であってもだ。と、氷上はぼんやりと考えていた。
 藤崎はまたアイスティーを飲んで、気を落ち着けていた。
「その人は……慎吾もよく知っている人なんだ」
 やっと名前を出すらしい。氷上はギュッと汗ばむ拳を握り締めた。
「その人の名前は…………眞瀬さん……眞瀬凌介さん」
 やっとの思いで、藤崎はその名前を口にした。
 一瞬静かな時が流れた。
「は?!」
 すごく間を外して、氷上がようやく声をあげた。自分が聞いた名前が聞き間違いかと思ったからだ。
「今……誰って言った?」
「眞瀬さんだよ……バイト先の……」
「またまた〜〜〜……嘘だ〜〜〜」
 氷上は乾いた笑いでそう言ったが、藤崎はあいかわらず真面目な顔で、どうやら聞き違いでも、嘘でもないらしい。
「眞瀬さんって……女の人だっけ?」
「いや……男だよ」
「え? え? ……男だよね……え? じゃあ……裕也……それって……ホモ……」
 そこまで言って、氷上はハッとなって、慌てて両手で口を塞いだ。「ホモ」と自分で言っておきながら、氷上はすぐに後悔してしまったからだ。自分の口から出たとはいえ、それはすごく差別的な言葉に聞こえてしまった。
 しかし藤崎は何も言わずに、少し間を置いてから話しを続けた。
「眞瀬さんの事愛しているけど……自分がホモかどうか、正直、今も解らないんだ。今まで男を好きになった事なかったし、今も男には興味ないんだ。眞瀬さんだけ特別なんだと思う。というか……眞瀬さんを好きになった後、男を好きになっちゃった事に気がついた。眞瀬さんへの気持ちに関しては、性別をあまり意識した事ないよ。歳の差はよく気にするけど……」
「ごめん、オレ、変な言い方して……その、ちょっと想像をあまりにも超えていたからびっくりしちゃって……そうか……眞瀬さんなんだ……」
 氷上はその名前を復唱して、しみじみと理解した。
「なんか……びっくりしたけど……今はすごく納得している。眞瀬さんなら……なんか解るよ……好きになるの……そうか……裕也と眞瀬さんがねぇ……」
「男同士でって、気持ち悪い?」
 氷上はプルプルと首を振った。
「ううん……オレ、そういう偏見は無いよ。この間までお世話になっていたアメリカの叔父さんもゲイでさ、恋人と同棲していたんだよ。オレその人とも仲良くなったし……本物のゲイのカップルを見たのも、一緒に生活したのもはじめてだったけど……最初は驚いたけど、全然普通だったよ……その辺の普通のカップルと一緒だった」
 氷上が全然あっさりとしているので、藤崎は気が抜けたような顔になった。
「なんだ〜〜〜……オレ、全然知らないからさ、裕也との事、眞瀬さんに相談しちゃったよ」
「うん、聞いた」
「ったく〜〜〜……ふたりとも水臭いな。じゃあ何? オレの代わりにバイトに行って、それからすぐ告白しちゃったの?」
「うん、2週間くらいしてからかな……オレは一目惚れだったと思う」
「そっか、それまで1度もバイト先に、裕也は来た事なかったもんな……あれが初対面だったんだ。でも眞瀬さん……何人も恋人がいるって聞いていたんだけど……あっ……」
 氷上は余計な事を言ったと思って、再び慌てて口をふさいだ。まったくもって、時々自分でも嫌になるくらいいつも「一言多い」と思う。思っている事をすぐ正直に口に出してしまう性格を治した方が良いと思うのだが、なかなか上手くいかないのだ。
「うん、知ってる……オレと付き合う事になって、全部清算してくれたんだ」
「ウヒャア〜〜〜!! なんだ、裕也ってば、すげえ眞瀬さんに愛されているんじゃん!!」
 藤崎は、真っ赤になってうつむいた。氷上は楽しそうにニヤニヤと笑った。
「あ〜〜〜……オレ明日、バイトに行ったら、眞瀬さんをからかっちゃうかも……」
「やめろよ」
「エヘヘヘ……解らないよ」
 二人は、すっかり気持ちがほぐれて、笑いあった。
「オレさぁ、なんか裕也が『禁断の恋』をしているんじゃないかと思ったからさ……てっきり『不倫』なのかと思ってたんだよ。だからさ、もしかしたら、相手は木下さんなのかとも思ってさぁ」
 氷上はそう言って大笑いした。
「そんな……木下さんはそんな人じゃないよ。悪いじゃないか」
「いや、すっごい裕也を気に入っているからさぁ、真顔で告白したら、もしかしたらもしかするかもじゃんか」
「バカ」
 二人はしばらく笑いあった。
「がんばれよ! オレ、応援するから!」
「うん……ありがとう」
「よし! オレがお祝いの歌を歌ってやるよ!」
 氷上は、歌の本をパラパラとめくった。藤崎は、本当に安心した顔になって、それを見守っていた。
 今、しみじみと氷上と出会えて良かったと思っていた。本当に、親友と呼べる無二の相手だと思った。
モドル | ススム | モクジ
Copyright (c) 2016 Iida Miki All rights reserved.
 

-Powered by HTML DWARF-