雨・雷・嵐のち秋晴れ

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 智也の忠告からしばらくして、芳也が二階の自室に戻った気配がした。藤崎は、ハアと大きな溜息をつくと、覚悟を決めて立ちあがった。
 藤崎にとって、長兄の存在は両親よりも恐かった。兄の部屋の前まで来ると、もう1度大きく深呼吸をして、ドアをノックした。
「兄さん……裕也です」
「入れ」
 その一言で、とても怒っているのが解った。藤崎は背筋を伸ばすと、静かにドアを開けた。
 椅子に座って、咥え煙草で腕組みをして、憮然とした顔でこちらをジッとみる兄の姿があった。藤崎はドアを閉めると、何も言われていないのに、おとなしく兄の前の床に正座した。兄はしばらく黙って見つめていたが、大きく煙を吐き出すと、灰皿に煙草を押し付けて火を消した。
「なんで呼ばれたか、解っているよな」
「はい」
「昨日、どこに行ってたんだ?」
「……友達の家です」
「友達って誰だよ……慎吾じゃないんだろ」
 藤崎は黙ったままうつむいていた。
「母さんに聞いたけど、無断外泊は昨日が初めてじゃないんだって?」
「無断じゃないです。昨日はちゃんと出掛けに母さんに泊まるって言いました。いつも帰らない時は、電話しています。今まで無断外泊はしたことありません」
「だけど行き先は言わないんだろ? そういうのは無断外泊に入るんだよ」
 兄の強い口調には、二の句を告げさせない迫力があった。藤崎はまた黙り込んでしまった。
「母さん達も、智也もお前には甘いから好きなようにさせているけど、オレは違うからな……高校生のクセに何考えているんだ! 一人前に朝帰りか? 友達とか嘘ついているんじゃない! 女か?」
「違います」
「女の所だろ!」
「違います」
「嘘つくな!」
「嘘じゃありません」
 確かに嘘はついていない。決して女のところではないのだから……。
「じゃあ、どこに行ってるんだ!」
「……言ったって、兄さんの知らない人だよ。いいだろう! オレだって子供じゃないんだ! もう兄さんに話したくないプライバシーだってあるよ! そりゃ、高校生で半人前かもしれないけど、ちゃんと毎日学校には行っていて、サボッたりしている訳じゃないし、成績だって下がってないし、母さんにだってちゃんと泊まるときは連絡しているし、誰にも心配も迷惑もかけていないじゃないか! 兄さんが知らないからって、イチイチ兄さんにオレの付き合っている人間関係を全部教える必要はないだろう! 例えもしも女がいたとしても、兄さんには関係ないじゃないか! 放っておいてよ!」
 藤崎が、すごい勢いで怒鳴ったので、芳也は少し驚いた様子で聞いていたが、最後まで聞き終わると、怒りでわなわなと肩を震わせた。
「生意気言うな!」
 藤崎の顔を、力いっぱい平手で叩いたので、藤崎は吹き飛ばされて床に転がった。藤崎は、頬を押えながら起き上がると、キッと兄を睨みつけた。口の端が切れて、血が滲んでいた。
「なんだその顔は!」
「……こればっかりは、譲れないから……兄さんがなんて言おうと、オレがやりたいようにやるから……」
「この野郎!」
 芳也は、弟の胸ぐらを掴んで引き起こすと、もう1度殴ろうと右手を振り上げた。
「兄貴!」
 そこへ智也が慌てて飛び込んでくると、振り上げた芳也の右手を掴んで制した。
「止めるな!」
「兄貴! もういいだろう! プロ野球選手の鍛えた右腕で本気で殴ったら、いくら兄弟でも洒落にならないぜ!」
「あんた達!! 何時だと思っているの! 近所迷惑でしょ! いい加減にしなさい!!」
 階下から母親の叫び声がした。芳也は、チッと舌打ちして胸ぐらを掴んでいた手を緩めて、振り上げていた腕も下ろした。
 藤崎は兄の手を振り解くと、ダっと部屋を飛び出して、自分の部屋に駆け込んだ。バタンと荒荒しくドアを閉めた。芳也は、悪態をつきながら椅子にドカッと腰を下ろすと、イライラとした様子で煙草に火をつけた。
 それを智也は腕組みをして、壁に寄りかかって呆れ顔で見ていた。
「……なんだ?」
 芳也は不機嫌そうに智也を見た。智也は、苦笑して肩をすくめてみせた。
「いや……ちょっと驚いたんで来ただけだけどね」
「オレが裕也を殴ったからか? 甘やかすなよ」
「まあそれもだけど……裕也が、兄貴に歯向かうなんて初めてだったから……それもあいつがあんなに怒鳴るなんてさ。それに驚いて見に来たんだよ。兄貴だってそれに驚いて、ムキになったんだろ? いつもは軽いビンタぐらいのくせに、あんなに殴るなんて……」
 それを聞いて、芳也は気まずい表情になって、一服煙草をふかした。
「ちょっとやりすぎたとは思うよ……後で謝っておくよ」
「別に謝らなくてもいいと思うけど……というか、ちょっと放っておけば? オレからしたら、兄貴のほうが裕也に対して過保護で一番甘いと思うけどね……」
「うるさいな……お前、裕也の外泊先知っているんだろ?」
「いや、相手はなんとなく知っているけど……場所は知らないよ……」
「誰だよ」
 智也はクスリと笑った。
「ほら、それ……裕也が言っていただろ? 言っても兄貴は知らない人だって……オレもよく知らない人だよ。知っているのは、あいつが超ぞっこんで、かなり惚れ込んでいるって事ぐらいかな」
「あいつが……そんなにいい女なのか? 年上か?」
「まあ、すげえ美人だね……年上だよ」
 智也はニヤニヤと笑いながら言った。芳也は呆れ顔になった。
「半人前だけど、もう巣立ちの準備を始めたって事じゃない? 兄貴も諦めなよ……まあ外泊が良いとはオレも言わないけど……確かにあいつの言う通り、学校にはちゃんと行っているみたいだし、成績も下がってないし、素行が悪い訳でも無い……むしろ、この間の中間考査は、学年トップで 成績上がっているみたいだし……あいつさ、なんかずっとオレ達のせいで比較されたりして、スポーツに対してトラウマがあったみたいで、いつも何にも打ち込めないのを悩んでいたみたいだけど、なんか今は、目標が出来たみたいだぜ、前より勉強しているみたいだし……K大に行くっていってるし……」
「そうなのか?」
 智也はコクリと頷いた。
「あいつはオレ達と違って、頭いいからさ……頭脳戦では負けちまうぜ。さっきのあいつの言い分に、ぐうの音も出なかったろ?」
 智也がそう言って、楽しそうにひゃっひゃっと笑ったので、芳也は面白くなさそうに、煙草の空き箱を投げつけた。
「贔屓目かもしれないけどさ……あいつは、恋愛で盲目になって身を持ち崩すタイプじゃないよ、むしろ糧にして自分を高めて行くタイプじゃないのかな? 本気みたいだし……それに、あいつはあいつなりに、その恋愛の事で色々悩んでいるみたいだし……さすがにオレにも言わないけどね。でもこれから大変な事がいっぱいあるとと思うけど、オレは見守って行くつもりだよ。あいつがこれからどうやっていくつもりか、ちょっと興味あるしね」
 芳也はそれを聞いて、フンと鼻を鳴らした。
「たく……色気ばっかり一人前につきやがって……反抗期だなんて生意気だよ」
「寂しい?」
「うるさい」


「その顔……どうしたんだ?!」
 学校に着くなり、校門で藤崎とバッタリ会った氷上が、驚きの声をあげた。右の口元が切れて紫に腫れ上がっていた。頬も心なしか腫れているようだ。
「兄貴に殴られた」
「芳兄ちゃん?」
 藤崎はコクリと頷いた。
「どうして〜〜〜……そりゃ色々と厳しい人だけど、そんなに殴るなんて……喧嘩したの?」
「いや……ちょっと怒らせただけだよ。でも大丈夫」
「ならいいけど……」
『恋愛の事かな?』と氷上はちょっと思った。しかしあえて口には出さなかった。
「あ! そうだ……文化祭だけどさ、今年、眞瀬さんとか木下さんとか招待しようと思うけど、どう思う?」
「え? な……なんで?」
「え? だって別に誰を呼んでもいいんでしょ? 去年は1年生で、高校の文化祭がどんな感じか解らなかったから呼ばなかったけど、ウチの文化祭面白いじゃん。木下さんも来たがっているしさ……木下さんって、すげえ裕也のファンなのな」
「そんなんじゃないよ……」
 藤崎は、気乗りしない様子で、そっけなく返事すると、校内へと入っていった。氷上は不思議そうな顔で、それを見送ったが、突然ハッとした顔になった。
「ま、まさか……裕也の不倫相手って……木下さんじゃ……」
 氷上の中では、完全に『不倫』と決めつけられているようだった。もっとも普通「禁断の恋」と言われて、そう思うのが当たり前の反応だろう。
 そして明日は土曜日。その謎が、藤崎の口から開かされるのだ。氷上は急にドキドキしてきた。
「今夜眠れないかも……」
 別に面白がっているつもりはない。ただ藤崎とは中一以来の長い付き合いだが、恋愛事の話を藤崎から聞くのは初めてだった。
 考えて見ると、今まで「●●組の××さんが好き」とかそんな話をするのはいつも氷上で、藤崎が好きな子の話は聞いた事がなかった。多分秘密にしていた訳ではなく、本当に今までいなかったんだろうと思う。
「という事は……初恋?」
 いや、中学以前は知らないから、小学生の時に初恋はしているだろうし、さすがにそれはないだろうとは思うけど……。氷上は、心の準備をしておくことにした。
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