「インファ姉さまが、ず〜〜〜っと昔からタンレンを好きだったなんて、思いもよらなかったなぁ〜……兄上はご存知でした?」
「いや」
シィンワンの私室に遊びに来ているヨウチェンが、落ち着き無く部屋の中をウロウロと歩き回りながらそんな話をするのを、シィンワンはソファに座ってお茶を飲みながら静かに聞いてポツリと返事した。
「そりゃあタンレンはすごくすばらしい方だし、いい男だし、好きになる気持ちはわからないでもないけど……歳が父上と同じくらいっていうのが……おじさんだよ?」
「そうだな」
ヨウチェンはまだウロウロと歩き回っている。腕組みをして独り言なのか、シィンワンに何か答えを求めているのか、とにかく落ち着き無くブツブツとしゃべっている。シィンワンは静かにただ聴いていた。その一方で何か心に浮かんでは消えるものがあって、それをジッとみつめているようでもあった。
周囲の反対を押し切ってシュレイとの愛を貫いたタンレン。そのシュレイと死に別れたタンレン。そして長い沈黙を破って結婚を決意したタンレン。
親子ほどの歳の差のあるタンレンをずっと好きだったインファ。それはシュレイという恋人が居る頃からずっと慕い続けていたという。死に別れた恋人との思い出を持つタンレンとの結婚を望むインファ。
親子以上に歳の離れたラウシャンと結婚したシェンファ。
親が決めた相手と結婚をしたメイファン。
自由な恋愛思想を持つヨウチェン。
父王フェイワンと龍聖。
色んな愛の形。
「兄上?」
とても近くで呼びかけられてハッとなった。見ると目の前にヨウチェンの顔がある。不思議そうな顔で覗き込んでいた。
「兄上はどう思う?」
「どう思うって?」
「インファ姉様の事……本当にそれでいいのかな?」
「お前は反対なのか?」
「反対っていうか……歳も違うしさ」
「それならラウシャンとシェンファ姉様だってすごく歳が離れているけど、幸せそうじゃないか」
「あれはお互いに大恋愛の末だからだろ? タンレンはインファ姉上の事を好きなわけじゃないし……第一、タンレンはまだシュレイを忘れていないんじゃないのかな?」
「忘れないとダメなのか?」
「え?」
シィンワンの返事にヨウチェンは少し驚いた顔をした。
「絶対忘れないとダメなのかな? 思い出として覚えている事は罪なのかな? そしたらもう他の人を愛してはいけないのかな?」
「兄上?」
「姉様はそれもすべて承知でタンレンを好きだといっているんだ。それならば別にいいんじゃないのかな? それにタンレンが不実な事をすると思うか? インファ姉様を不幸にすると?」
シィンワンの問いかけに、ヨウチェンは困ったような顔で口をつぐんでしまった。
「この話をタンレンがもしも受けるとしたら……きっと間違いなく姉様を幸せにしてくれると思うよ……もしもそのつもりが無いなら、いくら姉様の申し出でも断ると思う。タンレンはそういう人だ」
シィンワンはそう言うと、何度も頷いてみせた。まるで自分に納得させるかのようだった。
「兄上は解るの?」
ヨウチェンがまだ少し不満そうに尋ねるので、シィンワンは少しばかり考え込んだ。ヨウチェンをジッとみつめてから、一度視線を外した。
「姉様がどんな気持ちでタンレンを思っているか……タンレンがそれをどう受け入れるか……それは当人同士にしか解らないと思うけど……人それぞれ、色んな愛の形があるのだし、他人から見ておかしいと思うような事であっても、恋愛って理屈じゃないからそう簡単には答えは出ないんじゃないかな?」
シィンワンはそこまで言うと再びヨウチェンをみつめた。ヨウチェンはポカンとした顔をしている。それを見てクスリと笑った。
「ヨウチェンは意外と晩熟だね」
言い返してやったとばかりにシィンワンはニヤリと笑って見せたので、ヨウチェンはプウッと頬を膨らませた。
タンレンは、インファを妻に娶った。
最初にフェイワンからその話を持ちかけられた時、一瞬驚いてからしばらく考え込み、やがて微笑を浮かべて「こんな光栄な話はありません」と答えたという。
二人の式は、前例に無いほどの早い展開で準備された。それはインファの願いで「シィンワンが眠りに着く前に」との計らいだった。
「姉様、私はこんな幸せそうな花嫁を見たことはありません。これで安心して眠りにつけます」
シィンワンが花嫁衣裳に身を包んだインファをそっと抱きしめながら言ったので、いつも強気なインファがシィンワンの胸にしがみついて泣いていた。ふと視線を動かすと、そんな二人をとても穏やかな顔でみつめるタンレンの姿があった。その瞳がとても優しかったので、シィンワンは「大丈夫だ」と確信して、心がとても温かくなった。
愛の形はひとつとして同じではない。そしてひとつとして間違いはない。他人から見たら間違った形のものであっても、当の本人達にとってはそれが真実に違いないのだ。
シィンワンはそんな答えに辿り着いた。
自分自身の愛の形はまだ解らない。自分がリューセーの事をどんな風に愛するか解らない。だけどひとつだけ解る事は、母・龍聖の事を思うと心の奥がホッコリと暖かくなる。きっとそんな風に「シィンワンのリューセー」の事を思う事が出来れば、愛せるような気がしていた。
あんな風に、自分のリューセーがいつも幸せそうに笑ってくれるのならば、その為ならばどんな事だってしたいと思う。きっとそれが自分の愛し方。
「父様は、母様との事は運命だと思いますか? 母様がこの世界に来てくれたのは運命? それとも偶然?」
シィンワンは父王にもその問いを後にしてみた。フェイワンはニヤリと笑ってから「運命だ」と答えた。
「母様も運命だと言われました」
「当然だ」
自信満々に笑って答えるフェイワンに、シィンワンは笑って頷いてみせてから、納得したようにそれだけで去ろうとしたが、ふと足を止めてもう一度尋ねた。
「父様にとって、母様はただ一人の方ですか? 母様以外に思いを寄せた方は居ましたか?」
「いや、オレはリューセーだけだ。後にも先にもな……生涯ただ一人だ」
「母様は昔付き合った方がいるそうですよ」
シィンワンがわざと意地悪くそう告げたが、フェイワンは余裕の笑みを浮かべて「知っているよ」と答えた。
「え?」と逆に驚いたシィンワンに、フェイワンは笑ってみせた。
「そんな事でオレが嫉妬すると思うか? リューセーが過去に何人もの者と付き合おうと、何人の者がリューセーを愛そうと、そんなものはまったく関係ない。オレがリューセーを愛する気持ちには、まったく関係のない話だ。それこそリューセーがオレの事を愛していなくても、それでさえも関係のない話だ。オレがリューセーを愛している。全身全霊をかけて愛している。この気持ちに代わるものはない」
フェイワンは穏やかに、だがとても情熱的な瞳でそう語った。
「シィンワン、いつかお前もそれが解る日が来るだろう」
情熱的で深い父の愛
豊かで穏やかな母の愛
二人の姉、シェンファは父の愛に似ていると思った。インファは母の愛し方に似ている。
「私は……」
どんな風にリューセーを愛するだろう……。
北の城。古いその城は、初代竜王が築いた城だ。そして代々竜王の儀式が行われる城でもあった。
100歳の誕生日を迎えたシィンワンは、儀式を行うために来ていた。父王フェイワンと母リューセーと共に。
これが親子にとっての永遠の別れでもある。
次期竜王となる皇太子は、100歳となり成人を迎えると眠りにつく。それは同じ時代に二人の竜王が存在してはならないからだ。現竜王が崩じて自分の時代が来るまで、ここで眠りにつきその時を止めるのだ。
新しき竜王は、若き王として竜王の座に就かなければならない。現王が元気でその治世がまだ長く続くならば、眠りにつかなければならないのだ。
現王が崩じる時に目覚める……つまりそれは父王の『死』を意味する。つまりシィンワンはフェイワンの死に目に会うことは叶わず、またフェイワンも、シィンワンが王位に就くその姿を見ることが出来ないのだ。それは太古からの慣わしであった。
すべての儀式を終え、身支度を済ませたシィンワンは、眠りにつく為の部屋の前で、両親と最後の別れを行った。
フェイワンと龍聖は、ずっと何も言わずに長い時間シィンワンを愛しむ様にみつめていた。離れがたい気持ちは皆が同じであった。
やがて龍聖が両手を広げてシィンワンをギュッと強く抱きしめた。
「愛しているよ、シィンワン」
「母様」
シィンワンもまたその体をそっと抱きしめた。やがてゆっくりと体が離れていく。龍聖はせつなげな顔をしながらも笑って見せた。
「シィンワン」
フェイワンの呼びかけに、シィンワンはジッと父王の顔をみつめた。フェイワンは右手を差し出した。その手に握手で答える。大きく力強い手だった。幼き頃より尊敬し、ずっと憧れていた父の手。
「お前の良き国を作れ」
「はい、父様」
シィンワンは強く握り返して頷いた。
やがて時が来た。シィンワンは二人に別れを告げて、厚く重い扉を開き部屋の中へと入って行った。この扉を閉めればそれが永遠の別れであった。
「父様、母様、私は私の国へ旅立ちます。どうかその時までお健やかにお過ごしください」
二人は微笑んで頷いてくれた。シィンワンは泣きそうになるのをグッと堪えると笑みを作って見せた。
「君のリューセーによろしくね」
扉を閉めようとしたときに龍聖がそう声をかけたので、シィンワンは笑って頷くとパタリと重い扉が閉じられた。
シィンワンが新しき竜王として目覚めるのは、それから約100年の後の事である。