ビジネスマン的恋愛事情 〜なんでもない冬の日〜

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西崎聡史は、彼の人生の中で一番幸せな年の瀬を迎えていた。愛する人とふたりきりで、愛する人の家で過ごしているのだ。
12月27日の仕事納めの後から長い10日間の休みに入る。28日から1月6日まで、西崎は柴田の家に居候する事になった。


25日のクリスマスを大阪で過ごした後、とんぼ返りで会社に出社した西崎は、ほとんど徹夜状態ではあったが、幸せな疲労だった。午後になって、会社に戻ってきた柴田と、アイコンタクトを取ったりして、またまた幸せな気分になった。その上「一緒に帰ろう」という社内メールが、柴田から来たりして、西崎はかなり浮かれたりした。
柴田が一緒に帰ろうと言ったのには、目的があった。西崎の方は、すっかり先週の内に仕事を片付けていたので、6時には帰れる状態になっていた。
後は明日、大掃除をして仕事納めをするだけだ。
柴田も早々にコンベンションの報告書を仕上げたようで、西崎が帰り支度になっているのを確認して、先にオフィスを出て行った。
東西線の神楽坂駅で落ち合う約束になっている。柴田の家の近くだ。
15分ほど時間を見てから、西崎もオフィスを後にした。東西線の大手町駅まで足早に歩いて、地下鉄に飛び乗った。神楽坂までの距離が、近いようで遠く感じる。
駅の数を指折り数えながら、柴田が待っていると思うだけで、口元が緩んでしまう。ようやく神楽坂について、改札へと急いだ。改札を出て、階段を上がった所に柴田の姿があった。
「お待たせしました」
階段を2段飛びで駆け上がってきた西崎が、息をはずませながらそう言うと、柴田はニッコリと笑いながら振り向いて首を振った。
「そんなに待っていないよ…会社から駅までは、わざとのんびり歩いたし、電車もわざと1本乗り過ごしたからね…お前がきっと走ってくるだろうと思ったから、そんなに待たないだろうと思ってね」
柴田はクスクスと笑った。ああ…犯罪的にかわいいと、西崎はめまいがしそうだった。
「えっと…これからどうします?真っ直ぐ柴田さんの家に行きます?」
「ああ…ごめんね、お前はほとんど寝ていないから疲れているのに…とりあえず何か食べないか?この辺は、路地裏に名店が多いんだよ」
「ええ…そうですね、時間もいつもよりかなり早いし」
柴田の案内で、路地裏の割烹料理店へと向った。小さな店だったが、かなり古くからある老舗と言った感じの所だった。
「へえ…こんな所があるんだ…なんか小京都みたいですね」
「うん…昔はもっとこんな店がたくさん軒を連ねていたそうだよ…ここは白子尽くしのコースが、すごく美味しいんだ」
「わ!…ぜひそれにしましょう!!」
二人はおなかいっぱいご馳走を食べると、今日のところは本当に食事だけと言った感じで、早々に店を後にした。
「本当に美味しかったですね…また来ましょうね」
「そうだな」
二人はゆっくりと柴田のマンションへと向った。部屋に入ると、西崎をソファに座らせて、柴田は書斎へと消えた。しばらくして戻ってくると、「はい」とプレゼント包みを渡した。
「え?」
西崎は驚いた顔で柴田を見た。
「これを渡したくてね…わざわざ呼びつけてごめん。明日でも良かったんだろうけど…私もちゃんとプレゼントを用意していたんだよ…先に貰ってしまったから…早く渡したくて…ほら、今日は大阪から真っ直ぐ出社しただろ?」
柴田が、少しテレ臭そうな顔で言ったので、西崎は飛びあがるほど喜んだ。
「開けてもいいですか?」
「ああ…西崎からのプレゼントに比べると、ずっと安い物で恥ずかしいんだけど…何をあげればいいのか…解らなくて…」
「わぁ…これ…パーカーじゃないですか…」
パーカー社製の万年筆とボールペンのセットだった。
金文字で西崎のイニシャルが入っていた。
「なんか…新卒者へのプレゼントみたいだけど…お前、100円ボールペンみたいなのを使っているし…もうすぐ課長になるかもしれないんだから、それくらいのアイテムを内ポケットに入れておきなさい…すごく書きやすいんだよ…実は私も愛用している…お揃いだ」
柴田は微笑みながら、自分の背広の内ポケットから色違いの万年筆を取り出して見せた。
「……なんか大人の仲間入りって感じですね」
西崎が笑いながら言った。
「随分大きな子供だな」
柴田も笑いながら答えた。
「ありがとうございます…実は、こういうのを持つのが一流ビジネスマンのステータスみたいなイメージがあったんで…憧れだったんですよ…無くさない様にしなきゃ…」
西崎は早速それを内ポケットに入れた。柴田はキッチンへ行くと冷蔵庫から缶ビールを2本持って戻ってきた。
「ちょっとだけ飲んで行かないか?」
「ええ…喜んで」
西崎はビールを受取ると、上着を脱いでソファの背もたれに掛けた。
「…それで…西崎は、休暇はどうするんだ?実家に帰るのか?」
「いいえ…実家には帰りませんけど…柴田さんは?」
「私も帰らないよ…というか、もう実家はないからね、両親は他界したし…大宮に兄がいるけどね……あの…ちょっと考えていたんだけど、温泉かどこかに行くとかはどうだろう?…その…特に正月予定がないならの話だけど…」
「え?!いいんですか?」
「うん…クリスマスをゆっくりすごせなかったからね…お前に何か希望があれば、それでもいいよ」
柴田の提案に、西崎は少し考え込んだ。
「でも…今から正月の旅行は無理ですよね…オレは…休暇の間ここに居候したいんですけど…ダメですか?」
「え?そんなのでいいのか?」
「そんなのって…これだけでも十分ですよ…柴田さんとふたりっきりで、10日も過ごせるんなら、場所はどこだって…というか、オレがそうしたいんです。それが一番幸せ!お願いします!!」
西崎があんまり熱心に言うので、柴田は思わず笑い出した。
「解った…解ったよ…じゃあ、明日の夜からでも荷物を持っておいで」
「やった!」
西崎はガッツポーズを取ると、ビールを一気飲みした。
「じゃあ、明日の為にもう帰ります」
「明日の為にって…そんな大袈裟な」
柴田は呆れて言ったが、西崎はいたって真面目な様子で立ちあがると上着を羽織った。柴田も立ちあがって、「仕方ないな」という感じに苦笑した。
「名残惜しいですけど…準備があるんで…いや本当に…」
「準備って…着替えだけでいいぞ、日用品はウチのを使えばいいんだから」
「違いますよ…柴田さんはあまり料理とかしないから関係ないかもしれませんけど…10日も家を留守にするんですから、冷蔵庫の中身を整理しないと…今夜しか時間がないんですから」
「…そんなに慌てなくても、別に来るのは明後日でもいいんだよ」
「いいえ、絶対明日から来ます!では、また明日」
西崎は、柴田に軽くキスをすると、カバンを持ってさっさと帰っていた。柴田は呆れたようにポカンとしていたが、プッと吹き出すと、一人残された部屋でしばらく笑いつづけた。


翌朝、柴田がそろそろ出掛けようかと、ネクタイを結び始めた時、インターフォンが鳴った。こんな早朝から誰だ?と思って出ると、西崎だった。驚いていると、しばらくして柴田の部屋までやってきた。
「おはようございます」
「どうしたんだ…こんな朝っぱらから…」
「いえ…昨日冷蔵庫の整理をしていて、とりあえず冷凍がきかないやつを持ってきました。柴田さん家の冷蔵庫に入れさせてもらおうと思って…」
西崎はそう言いながら、スーパーの大きなビニール袋を片手に上がり込んできた。柴田は、ポカンとなってそれを見守っていた。西崎は、テキパキと食材を冷蔵庫に詰めると、満足そうな顔で立ちあがって、柴田を見た。
「あ、それと、これはオレの荷物です」
そう言って、肩に下げていた大きなスポーツバッグを床に下ろした。そこで初めて我に返った柴田は、プッと吹き出して笑い出した。
「な…なんですか?」
西崎は、キョトンとなって、笑いつづける柴田の様子を眺めていた、
「あはは…あは…ごめんごめん…お前…そんな満足そうな顔で…遠足に行く子供みたいだぞ」
西崎は、その言葉にちょっとムッと口を尖らせた。
「いいじゃないですか…嬉しいんだから…」
「まったく…」
柴田は苦笑しながら、西崎にそっと抱きついた。背中に腕をまわして、西崎の広い肩に顔をうずめた。
「柴田さん…」
西崎は少しの驚きと嬉しさで、顔を上気させながら口元をほころばせた。柴田の体をそっと抱きしめる。
「まったくお前は…なんでそう…」
柴田が小さく独り言のようにつぶやいた。
「呆れました?怒ってます?」
柴田は何も答えないで、顔をうずめたまま嬉しそうに微笑んでいた。西崎はなんでそう柴田が喜ぶことばかりするのだろう…と柴田は思っていた。
柴田の家に泊まりに来る事を、こんなに子供の様な素直さで喜びを表現されると、何も言えなくなってしまう。柴田も西崎と長い時間、ずっと一緒に過ごせるのが嬉しかった。でもそれを表立って大喜びするのは躊躇われて、普段と変わらぬ顔をしていたのだが、西崎が自分の分まで喜びを表現してくれているようで、とても嬉しかった。
普段は男らしくて、歳よりもずっと落ち着いた所のある西崎は、時々こんな風にとても子供っぽい所をみせる。それら全てが、柴田を惹きつけるのだ。
「ほら…もう行かないと遅刻するぞ…今日までは仕事なんだから」
柴田は顔をあげて、西崎をみつめながら言った。
「はい…一緒に行きます?」
「…ばか」
二人はキスをした。
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