熱帯夜の過ごし方

ススム | モクジ

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 眞瀬は愛車に乗って、高速道路を軽快に走っていた。真っ赤なフォードマスタングが、夏の日差しを浴びて輝いている。エアコンをガンガンに利かせた車内では、エリック・クラプトンの曲が流れていた。
 今日の商談が上手くいったので、眞瀬はとてもご機嫌で、曲に合わせて口ずさんでいる。薄いブルーの色の入ったお洒落なブランド物のサングラスをかけて、長めの髪を後ろでゆるめに束ねていた。
 時計を見ると2時を少し過ぎていた。この分だと、吉祥寺には3時前には着くだろう。少し早めだが、そのまま店に向おうと思った。
 8月に入ったばかりの夏真っ盛りだった。学生達は夏休み中である。
 この時期は平日でも、夏休みと言うこともあって、昼間になれば学生達の客が多くなる。女子高生達は、買い物をしなくても、ワラワラと店にたむろして、不必要に店が混雑してしまうのだ。
 いつもは4時からしか店に行かないのだが、この時期は、特に用が無ければ、できるだけ早くから店に行って、一人で店番をしている木下のサポートをしてあげるようにしていた。
 そう決めたら少しでも急ごうと、アクセルを少し踏み込んで、更にスピードをあげた。


 眞瀬は、駐車場に車を止めると、店に向って歩き出した。もうすぐ3時だというのに、日差しはまだまだ強かった。路面に影が濃く映る。
「あち〜〜」
 今日は商談だった為、麻のジャケットを羽織っていた。車を降りるなりドッと汗が噴き出して、たまらずジャケットを脱ぐと、小脇に抱えてヒラヒラと右手で顔を扇いだ。
 店が見える所まで来ると、数人の女性客が、入れ替わり出入りしているのが見える。今日も客が多そうである。
「これがそのまま売上に繋がっていればありがたいんだけどね」
 眞瀬は、苦笑しながらつぶやいた。店の前まで来て眞瀬のすぐ後ろから、同じように店に入ろうとしていた女子高生2人の存在に気づき、眞瀬はドアを開けて「どうぞ」とニッコリ笑って中へと誘った。
 二人は、「きゃっ」と顔を見合わせて嬉しそうに笑うと、眞瀬の顔をチラッチラッと見ながら、ペコリと会釈して中へと入っていった。
「いらっしゃいませ」
 よく通るテノールの声が出迎える。
「あれ?」
 眞瀬はそう言って、サングラスをはずした。
「裕也君、また来ていたのかい?」
 店の奥で、接客を手伝うエプロン姿の藤崎の姿を見て、眞瀬がそう声をかけた。
「あ……はい」
 藤崎はテレ臭そうに小さくうなずいて、今接客中だった女性に品物を渡して「ありがとうございました」とお辞儀した。
「眞瀬さん、そんな言い方ないんじゃない?」
 奥から包装用の箱を数個手にした木下が現れて、そう眞瀬に釘をさした。
「あ……いや、ごめん、別に故意はないんだけど……」
 眞瀬は困った様に笑いながら、店の奥に行き荷物とジャケットをロッカーに入れた。
 しばらくガヤガヤと賑わった店内も、客の集団が去ったのか、ふいにガランと静かになって、3人は小さく息をついた。
「あ……さっきはごめん、ついあんな言い方をして……悪気はなかったんだよ」
 眞瀬は、慌てて藤崎に言い訳をした。
「ただ、昨日も来ていたし……君のバイトは夜からなのに夏休みに入ってから、結構昼から来る事が多いみたいだから、なのにその間のバイト代はいらないって、この間7月のバイト代を渡す時に言ってただろ?」
「オレ、暇だから遊びに来ているだけですから……木下さん一人で用が足りる時は手伝ってませんし……家にいると、親から『うっとうしい』って言われるんですよ」
 藤崎はそう言って笑った。本当は、ちょっとでも長く眞瀬の側に居たいのだ。眞瀬もその事はよく知っている。だけど、それと仕事は別だ。
 来てくれるのは嬉しいけど、だからって無料働きさせてしまうのは、経営者としてどうだろう。それこそ公私混同なような気がする。
 藤崎がどうしてもお金を受取らないと言うのなら、少しは働く事を咎めてもいいのではないかと思ったのだ。なのに、最近藤崎のファンとなっている木下の前でだと、すっかり自分が悪者にされてしまうのだ。
『オレだって、裕也を叱りたくなんてないやい』
と、子供の様に心の中で文句を言って見たりした。
「藤崎君が手伝ってくれると本当に助かるわ〜〜〜、特に今日は本当に!!」
「今日は?」
「ええ……丁度1時頃だったかしら、年配のご夫婦のお客様がいらしてね、窓際に飾ってあったイタリア製の大皿の食器セット……あれをお祝い返しにしたいからって、5セット注文されたのよ。それも夕方取りに来るから、それまでに包装しておいて欲しいって……眞瀬さんが来てからお願いしようかとも思ったんだけど、今日は昼から商談で神奈川の方に行くって聞いていたから、早目に来てくれるか解らなかったし、いつもどおり4時にしか、もしも来なかったら、それから5セットの包装は大変でしょ? だから在庫を確認して、裏の倉庫から持ってきておいた方が良いって思ったんだけど……あれって大きなダンボール箱に6セット入りで、重かったよな〜〜〜って思って、どうやって持ってこようか? お客さんも次々来るし、店はそんなに空けられないし……って困っていたら、そこに現れたのがこの救世主!!」
 木下はそう言って、バンと両手をヒラヒラさせながら、藤崎を煽った。藤崎は、テレながら笑った。
「すごいわよね〜〜〜、あの箱を軽々と抱えて運んでくるんだもん。やっぱり男の子よね〜〜〜、力持ちよね〜〜〜〜、眞瀬さんだったら、やっとこ抱えられたくらいよね」
「オレの事は余計だよ」
 眞瀬は笑いながら突っ込みを入れた。
「あ〜〜〜、ウチの孝太も、こんな子に育てなきゃね〜〜〜、いや、育ってほしいわ〜〜〜」
 木下の言葉に、眞瀬と藤崎は笑った。
「女の子にもモテモテだしね」
 木下はそう言って、意味深な微笑みを浮かべた。
「なんで木下さんが知っているの?」
 眞瀬はその訳知りな含み笑いの木下の様子を見て、何気なく尋ねた。
「え? だってね今日も3人、女子高生が、藤崎君に名前を聞いてきたんだから! かわいい子だったわよね」
 キャッキャッと笑いながら、木下がそう答えた。
「あ、それは……」
 慌てて藤崎が弁明しようとした時、ドアが開いて4人組みの女子高生が入ってきた。
「いらっしゃいませ」
 木下は、何事も無かったかのように接客を始めた。藤崎は、困った顔でチラリと眞瀬を見る。眞瀬は、ニッコリと笑って「気にしてないよ」と言うような顔をした。


 その日は、夜までバタバタと忙しかった。学生の客は、小物をちょこちょこと買うので、売上がというよりも、手間が余計にかかる気がする。客の出入が多い日は、店じまい後の在庫確認が大変だった。
「ごめんね、在庫確認まで手伝わせて……遅くなっちゃったね」
「いえ、大丈夫です」
 藤崎は、ニッコリと笑って答えると、猫やウサギの小さな陶器製の根付けを、数を数えてチェックした。
「こっちの棚はOKです」
「ありがとう……裕也」
「はい?」
「今日……ウチに泊まるか?」
 その言葉に、藤崎は驚いて顔をあげると眞瀬を見た。眞瀬は少し恥ずかしそうな顔をした。
「いや……一緒に夕食でもと思ったけど、このまま遅くなるようだったら、うちに泊まればいいと思って……明日は、店も休みだからさ」
 眞瀬は、ぶつぶつと言い訳を言った。藤崎は、クスリと笑うと、嬉しそうに「はい」と答えた。
 二人が恋人同士になって1ヶ月になる。特に二人の関係に、目立った進展も無く、7月の初旬は、藤崎の期末テストなどがあって、1週間バイトを休んだりした。
 それ以降は、今までどおりバイトの時間に、店で会うくらいで、デートというデートもしていなかった。
 藤崎が遠慮しているのか、眞瀬がまだ踏み込めない所があるのか、あれ以来まだ1度も肉体関係をもっていなかった。夏休みに入って、健気に毎日店へと早い時間からやってくる藤崎に、「やっぱりもっと恋人らしくしてあげた方がいいよな」と、眞瀬は考えさせられた。
 藤崎は、17才の高校生である。同じ男として、その時期が一番性欲があり「やりたい盛り」のはずだと思った。藤崎は、眞瀬に気を使っているのか、恋人同士になってからも、以前と態度は変わらず、特に強引な事もしてこない。何度か遠慮がちに、キスをしたいと言ってきたくらいだ。
「きっと我慢しているんだろうな」
と思うと、なんかとてもかわいそうになる。
 眞瀬の方から、誘ってあげてもよさそうなのだが、なんだか眞瀬も、ちょっと気恥ずかしく思って、なんだかそのままうやむやにしてしまっていた。
 藤崎の事は愛しているし、側に居たいし、いつだってキスしたり、Hだってしたいとは、もちろんながら思っている。だけど立場上、必然主導権を持っている眞瀬としては、自ら「抱いて欲しい」と言うのは、今まで「タチ」だったプライドが残っているのか、なんだか恥ずかしいのだ。
 だからと言って、このまま待っていても、藤崎は絶対に無理に押し倒してはこないだろうし、自分も藤崎も、蛇の生殺し状態だと思った。
 それからこれは、眞瀬本人には自覚がないのだが、藤崎が女の子から名前を聞かれていたという話が、嫉妬心を燃え上がらせて「泊まっていかないか」という、いきなり直球の発言を言わせてしまう原動力になったというのも確かだ。
 二人は戸締りをして、家路を急ぐことにした。鍵を閉めた眞瀬が、藤崎に「行こうか」と振り向いて手を繋ごうとした時、ふいに目の前に人影が現れた。
「凌介……こんばんは」
「卓巳……」
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