カリフォルニア・ドリーム

モドル | モクジ

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 氷上は、玄関のドアの前で開けることを躊躇して佇んでいた。中に司郎がいるはずだ。色々と言いたいことはたくさんあるけれど、どれも気持ちの中で整理されていない。司郎が何を考えているかも分からないし、裕也のことをどう思ったのかも分からない。それを全部聞いて、話して、ハッキリとさせたいのだけど、心のどこかでそれを嫌がっている自分がいた。それはいつもの氷上自身だ。ずっと面倒な事から逃げ続けていた氷上自身の心だ。真実を突きつけあうのが怖い。相手の本心を知るのが怖い。
 後方で階段を上がってくる人の足音がしたので、仕方なく中へと入ることにして、ごくりと唾を飲み込むとノブに手を掛けた。
「た……ただいま」
 ほとんど独り言のように小さく言って、パタンとドアを閉めた。部屋を見回すと、リビングのソファに座る司郎の姿があった。腕組みをして、目を閉じて、何か考え事をしているような素振りだ。すうっと大きく深呼吸をしてから中へと進み入った。
「ただいま」
 側まで来てもう一度言うと、少し間を開けてから、司郎が目を開けてこちらを見た。
「……おかえりなさい」
 司郎が口を利いてくれたことで、ちょっとだけ安堵した。氷上は黙ったままで向かいのソファに腰を下ろす。先ほど裕也と一緒に飲んでいたマグカップがそのままテーブルに置かれていた。
「彼……日本に帰ったんですか?」
「ああ」
 氷上がわざとぶっきらぼうに答えると、司郎はそれ以上何も言わずに、変な沈黙が流れた。司郎は気まずいような顔をして、視線をテーブルの上に落としている。
「オレ……裕也の話なんて、お前に一度もしたことないよな?」
 思い余って、氷上が先に口を開いた。たくさんある聞きたいことのひとつ……でもこれだけはハッキリと聞いてみたかった。だって司郎は裕也に向かって「貴方の事は伺ってます」とキッパリ言い切ったのだ。あの時は驚いた。ハッタリにしたってあまりにも言い切りすぎてたし……第一なんでそんなハッタリを司郎が言う必要があるのかなんてのも分からない。
「話はされてません」
 司郎がなんだか不機嫌そうに言ったので、氷上もムッとなった。
「じゃあなんで……」
「でもオレ知ってましたから!」
「え?」
「貴方が、いつもオレに誰かを重ねているの……知っていましたから……だからあの人を一目見て分かりました」
 司郎は強い眼差しで言い切った。
 氷上はハッとなって赤くなる。なんて事をこいつは言い出すのだろうと思った。それこそハッタリだ。
「バ……バカ言うな! いつオレがお前に、裕也を重ねたって言うんだよ!! 第一、あいつはオレの親友で……そんな変な意味での思いなんてないんだからな!」
「覚えていないんですか? 前に貴方がオレに言ったんだ……『オレが唯一知っている誠実な人に君はとても似ているから』って……あれって藤崎さんの事なんでしょ?」
氷上はみるみる真っ赤になった。そういえばそんな事を口走ってしまったような気もする。
「そ……それは……そうだけど……でも……別に……」
 上手く言い繕えない。動揺してしまって言葉がみつからない。
「オレ……負けたくないから……どんなにあの藤崎さんがいい男だって……氷上さんと親友だって……氷上さんを好きだって気持ちは誰にも負けないし……渡したくないから、だからああ言ったんです」
 司郎が鼻息荒く言ったので、売り言葉に買い言葉で、氷上も声を荒げた。
「何勝手な事言ってんだよ!! あれ以来、散々人を無視して、触ろうともしないくせに!! 童貞捨てたらもうオレなんかに用はなくなったんだろ! こんな年上の男の体なんて、気持ち悪くて抱きたくなくなったんだろ! それとも想像と違っててがっかりしたのかよ!!」
「なっ……あんた何言ってんですか!!! 誰がいつそんな事!」
「あの時だって……SEXした後だって、がっかりした顔をしてたじゃないか!」
「ガッカリなんてする訳ないでしょ!!」
「じゃああの顔はなんなんだよ! なんであれっきりオレに触らないんだよ!!」
 もうほとんど痴話喧嘩……ただのバカな怒鳴りあいだった。人が聞いたらきっと呆れるだろう。だが二人ともとても真剣だった。
「あんまり良すぎて、虜になりそうで……やばかったんですよ!!」
「……は?」
 司郎の言葉に、氷上はキョトンとなった。
「だから……オレ……自分を自粛しないと、もう暴走しそうで……本当は毎日毎日、貴方を抱きたくて……もっともっと抱きたくて……もうどこにも出したくなくなって、一日中でも抱いていたいって……それくらいに嵌りそうで……だけどそしたら絶対貴方に嫌われると思ったから……だって、体だけが目当てじゃないって……ずっとSEXしなくても、貴方の側にいられるだけでいいなんて、格好つけて言ったくせに……オレ…こんなケダモノで……もう少し間を置いて冷静にならないと……オレ……むちゃくちゃ欲情しちゃうし……今のオレだと、貴方に触るだけでも勃起しちゃいそうだし……あの時の事を想像しただけで、オレ、何回も風呂とかトイレで抜いたし……ほんとうにヤバイから…」
「解った!! 解ったからもうそれ以上言うな!!」
 氷上は真っ赤になって叫んで司郎の言葉を遮った。
「お前……お前さぁ……」
 そこまで言いかけて、氷上は真っ赤な顔のまま頭を抱えてうなだれた。
「ひ……氷上さん?」
 沈黙が続き、頭を抱えたままの氷上の様子を、心配そうに司郎はオロオロと見ていた。
 氷上は深い深い溜息をひとつ吐いて、やがてクククッと肩を震わせて笑いはじめた。
「氷上……さん?」
 司郎はますます心配そうな顔になる。
 笑い声は次第に大きくなり、氷上は顔を上げるとゲラゲラと笑った。司郎は何が起こったのか理解できずに、ただ呆然とそれをみつめていた。笑って笑って、やがて氷上は何度か溜息をついた。
「まったく……バカだよね」
「え? ……オ……オレですか?」
「そうお前……そしてオレも…」
 分からなくてまた首を傾げた。
「言ってくれよ…司郎。言ってくれないとオレは分かんないよ……オレ……お前に嫌われたって思ってたんだ……全然あれっきり触れてもくれないから……やっぱり男相手はダメだったんだって……お前、初めてだし、純情だから……だからSEXしなきゃ良かったって……そう思ってたんだ」
「だからそんな事……」
「うん、分かった……分かったよ……言ってくれたから……司郎、オレ……そういうのすごく不安なんだ。そういうので傷つくのが怖くて、オレからは怖くて聞けないんだ……だから何でも言って欲しい……どんな小さなことでも…二人に関係する事なら、なんでも言って欲しい……オレの事好きなら…これからずっとオレの側にいてくれるのなら、なんでも言ってよ……オレを不安にさせないでよ」
 最後のほうは、今にも泣き出すんじゃないかってくらいに、顔を歪めて笑い顔で言っていたので、司郎は大股で氷上の側に行くと、ギュウッとその体を抱きしめていた。
「すみません氷上さん……すみません。オレ、全然自信ないんです。オレ、まだ氷上さんを惚れさせる自信が全然なくて……どうやったら大人になれるか分からなくて……自分の欲望を我慢することが大人なんだとか思ってて……全然ダメなんです。すみません」
 氷上は、司郎の背中に腕を回してギュウッと抱きついた。
「バカ……お前はそのままでいいんだよ! オレを振り回すくらい、自分勝手にやれよ! 我が儘なくらいにオレを独占したがれよ! オレが嫌がるくらいに、前みたいにしつこく好きだって、オレにまとわりつけよ……オレはそれくらいするお前に惚れたんだから!! それくらい束縛してほしいんだよ!!」
「ひ……氷上さん」
 司郎は驚いて我が耳を疑った。だが強く抱きついてくる氷上の腕の確かさを実感していた。
「氷上さん……愛しています」
 もう一度強くその体を抱きしめた。


 氷上は椅子の背もたれに、思いっきり寄りかかりながら、椅子を後ろに倒れそうになるくらい斜めにして、片足を机の角に乗っけて、足を曲げ伸ばししながらゆらゆらと揺らしていた。
 ペンを口に咥えて、製図机に広げられたデザイン画をぼんやりと眺める。
 遠くでドタドタという賑やかな足音が聞こえて、その音の主を思って「やれやれ」と苦笑した。バタンと激しくドアを開けて、ドタドタと騒がしい足音が近づいてくる。
「くるな」と思ったと同時に、氷上の部屋のドアが開き「氷上さん聞いて!!」と元気な声で飛び込んできた。
「騒がしいぞ」
 氷上は、冷静な口調で言うと、口に咥えていたペンを手に持ち、再びデザイン画を書き始めた。
「採用されたんだ!」
「なにを?」
「ほら、今、氷上さんがやっている映画で……監督がさ、車をデザインしてみろって言うから、描いて持っていったんだ。そしたら採用してくれたんだ! 初めてだよ! 初めてのオレの仕事!」
「そう……良かったな」
「氷上さんの助手だけでなくて、オレデザインが初めてスクリーンに出るんだぜ!!」
「うん、おめでとう」
「多分一瞬しか出ないとは思うけどさ……オレのデザインなんだぜ!」
「すごいな」
 キラキラと目を輝かせて、大興奮の状態で語る司郎に対して、氷上はとても冷静で、淡々と相槌を打っていた。
「ああ〜〜……ギャラが貰えるんだぜ!」
「もう今まで3回も貰っているじゃないか」
「それはっ……全部氷上さんの助手としてのギャラだから、スタジオからでなくて、氷上さんからお給料を貰ってたんだもん。ギャラじゃないよ」
「なんだよ、オレからの給料が不満なのかよ! お前『こんなに貰っていいんですか?』とかいってたくせに!」
「誰もそんな事言ってないでしょ!? そんなんじゃなくてさぁ〜〜!! もう!! 意地悪しないでよ! 氷上さん!!」
 司郎がジダンダを踏むように言うと、氷上はペンを置いてクルリと司郎の方を向くと、冷静な無表情が、みるみる満面の笑顔になっていく。アハハハと笑って立ち上がると、司郎に抱きついた。
「ごめんごめん! おめでとう! 今夜はお祝いだな」
 氷上はニッコリと笑って言うと、チュッとキスをした。司郎もその体を抱きしめると、深く唇を吸った。

ハアハアと肩を大きく揺らしながらうつ伏せに横たわる氷上の上から、司郎はゆっくりと体を起こした。ズルリとペニスが引き抜かれると、氷上が「んんっ」と声をあげる。 ベッドの上に胡坐をかいて座り、ふう……と息を吐いていると、氷上がモゾモゾと体を動かした。
「ったく……こんな昼間っから調子にのりやがって……お祝いするとは言ったけど……体で祝ってやるなんていってないだろう」
 氷上は気だるい様子で、ブツブツとつぶやいた。髪をかき上げて体を起こすと、サイドボードの上に置かれたタバコを手を伸ばして取って、ゴロリと体を投げ出すように仰向けに横たわった。
「すみません」
 司郎は頭を掻きながら謝ったが、本気ですまないとは思っていないようだ。ヘヘヘッと笑っている。氷上はチラリとそれを見て溜息を吐くと、1本タバコを口に咥えた。
「寝タバコは危ないですよ」
 司郎が咎めるように言ったが、氷上は無視してライターで火を付けると、すうっと深く吸った。司郎はもうそれ以上何も言わなかった。モゾモゾとゴムを外すと、口を結んでティシュに包んでゴミ箱へと放り込んだ。
「なにニヤニヤしてるんだよ」
ポツリと氷上が呟くので、司郎は自分がニヤついているのに気づいて顔を両手でゴシゴシと擦った。
「ニヤついてます?」
「すげえニヤついてる」
「氷上さんがすごくかわいかったから」
「バカ」
氷上がゲシッと足で蹴ると、司郎は嬉しそうに笑う。もう氷上に何を言われても、真に受けてショックを受けたりスネたりする事はなくなった。氷上が誰よりも寂しがり屋で、甘えん坊で、テレ屋で、テレ隠しに口が悪くなるということを十分に知ったから、司郎は何を言われても平気だ。
今だって、怒っているようにしているけれど、十分にSEXして満足させることが出来ていると思っている。なんならあと2〜3ラウンドは出来るんだけど、そうすると本当に怒りそうなのでやめているだけだ。続きは夜のお楽しみ。
「アメリカンドリームってよく言うけど、本当だなぁ〜と思って……嬉しくって」
 司郎がニコニコしながら言った。氷上は半分になったタバコを、灰皿に放り込むと煙を吐きながら両腕を組んで枕にして、司郎の顔をみつめた。
「夢が叶った?」
「うん……オレ、3つ夢があったんだけど、こっちに来てもう2つは叶った」
「ふたつ? …ひとつは仕事だろ? あとは?」
 氷上の問いに、司郎はまたニヤニヤと笑う。
「世界一の恋人を作る事……それはこうして叶った」
「ばっ……ばかじゃないのか! お前! なんだよ世界一って! どういう基準だよ」
 氷上は思わず起き上がっていた。真っ赤になって怒っている。それを見て司郎はフフフッと笑った。
「基準って……オレが世界一だって思う人がそうだよ……美人で、かわいくて……氷上さんは最高の恋人なんだからさ」
 真っ赤になって言葉を失くしている氷上を他所に、司郎は尚も話を続けた。
「もうひとつはね、これから叶えるために努力するんだけど……その世界一の恋人と一緒に暮らす家を建てること……庭付きで……犬も飼いたいな〜……寝室には天窓があって、寝ると星が見えたりしたらいいですよね?」
 ニコニコ顔で楽しそうに語る司郎を、氷上は真っ赤になったまま唖然となってみつめていた。
「お……お前……夢見すぎだ……オレはそんな家には一緒には住まないからな! このドリーマー!」
 しかし司郎はそれも無視して話し続ける。
「氷上さん、今の仕事が終わったら、一度日本に帰りましょうよ」
「な……なんでだよ」
「氷上さんのご両親にご挨拶したいんです」
「は?」
「氷上さんをオレにくださいって言います」
「ば……ばかか? 何言ってんだよ!」
「そいでこっちに帰ったら、仕事がんばって家を建てましょうね」
 司郎はニッコリと笑った。
「そこで二人でずっとずっとず〜〜〜っと一緒に暮らしましょう」
「バ……バカバカバカ!」
 氷上はこれ以上にないくらいに真っ赤になって、ゲシゲシと司郎を蹴ったが、司郎はアハハと嬉しそうに笑っている。
 3つ目の夢が叶うのも、そう遠い話じゃない気がした。

                                                                             END
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