雨が止んだら

ススム | モクジ

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 染みひとつないクリーム色の天井に、カーテンの隙間からこぼれる朝日が、一筋のラインをひいていた。
それをぼんやりとみつめながら、眞瀬凌介は3度目の溜息をついた。
「あ〜〜〜……またやっちゃったよ」
 そう呟くと、枕を抱えてゴロゴロとベッドの上を転がった。クイーンサイズの広いベッド。大の男の眞瀬が、右往左往と転がっても、十分余りある広さだ。その時ドアが開いて、ぬっと大柄の男が顔を覗かせた。
「凌介……起きてるんだろ? シャワーを浴びるか、飯を食うか、とにかくサッサと行動を起こせ、オレが8時に出て行くのは解っているはずだろ?」
「ん……解ってる……8時には、出て行けってことだろ……解ってる」
 眞瀬は独り言のようにに呟きながら、気だるそうに起きあがると前髪をかきあげた。
 本来のこの部屋の主らしい男・東城貴司は、その様子を見届けるとドアを閉めた。眞瀬はベッドから降りると、一糸まとわぬ姿のまま、部屋から続くバスルームへと向った。

 蛇口をひねると、熱いシャワーが頭上からふりそそぐ。シャワーを全身に浴びながら、眞瀬はまた溜息をついた。
「……いいかげん、やめないとな……これ……」
 彼は今まで何度同じように反省した事だろうと、自分でも半ば呆れていた。いや、何度も反省するくらいだから「やめなきゃ」と切実に思ってしまうのか?
 体を拭いてバスルームを出ると、ベッド脇のテーブルに無造作に掛けられた服を手に取り、再び溜息をつきながら着替えた。広いバスルーム、クイーンサイズのベッドが小さく見えてしまうほど広いベッドルーム、そのどちらも綺麗過ぎて生活感が感じられず、まるでホテルの様だった。
 ベッドルームのドアを開けて、隣のリビングルームへ行くと、落ち着いた雰囲気のシックなインテリアに飾られた、まるでドラマのセットの様な部屋の中に、これまた映画のワンシーンの様に絵になる姿で、ソファに座りコーヒーを飲みながら新聞を読む東城貴司の姿があった。
「おはよう」
 気を取りなおした眞瀬が、そう声をかけた。
「あと15分しかないぞ」
 東城は、顔も上げずに素っ気無い口調で言った。
「ん、ごめん……ちょっとコーヒー貰うよ」
 眞瀬は、勝手知ったる様子で、キッチンへ行くと、コーヒーメーカーに残っているコーヒーを、カップに移してリビングに戻った。東城の向いに腰を下ろすと、小さく溜息をついてコーヒーを一口含んだ。
「さっきからなんだ?」
 東城は新聞を少し下ろして、訝しげな顔で眞瀬を見た。眞瀬の気だるげな顔は、その整った面立ちに妖しげな色香を漂わせていた。コーヒーカップを両手で包んで、ぼんやりとその中の液体をみつめていた。長い睫毛が、白い頬に影をおとす。
 友人と思っているので、そんな眞瀬の顔を、好みとかという意味で、じっくりと評価した事はなかったが、東城は眞瀬の顔が嫌いではなかった。女顔だとは思うが、女性を形容するような意味での「美人」ではなかった。
「美形」ではあると思うスッキリと整った顔立ちで、「男らしいハンサムな顔」という訳でもなく、どこかユニセックスな雰囲気があった。
 そんな顔の話はともかくとして、今日の眞瀬がいつもと様子が違う事は、とうに気づいていた。目が覚めて以来、ずっと溜息をついている。それはハタから見れば、その整った容姿に色香を加えているだけの情事の後の「それ」と間違えるかもしれない。
 しかし、東城には、それが決して情事の名残の溜息では無い事は解っていた。どんな理由のものかは解らないが……。
「え? ……なに?」
 東城の質問に、一瞬間を置いて、本当に聞いてなかったのか、キョトンとした顔をした。眞瀬の間の抜けた返事に、東城はその整った男らしい眉を、少し上げた。
「別に……」
 東城は、何か言いかけたが止めて、再び新聞に目をやる。髪をきちんと整え、仕立ての良いワイシャツに、品の良いネクタイを絞めていた。後は上着を羽織れば完璧なビジネスマンだ。
 眞瀬は、そんないつもとまったく変わらない様子の東城に、少々舌打ちしていた。こっちはこんなに気だるくてたまらないというのに、この男は……
「……タフだな……貴司は」
 眞瀬は、ちょっと皮肉めいた口調でそうつぶやいた。
「ん? ……夕べのお前も、なかなかタフだったぞ」
 東城は眞瀬の皮肉に顔色ひとつ変えずに、チラリと一瞬眞瀬に視線を送っただけで、新聞を読みつづけながらそう切り替えした。赤くなったのは、眞瀬の方だった。
「変な言い方するな」
「タフだから、タフだと言ったんだ。夕べお前は、何回達ったと……」
「わ〜〜〜〜!!!! 言うな!!!」
 東城の言葉を遮るように、眞瀬は更に赤くなって大声をあげた。
「何をあせってる……他の誰が聞いてる訳でもあるまいし…… ん? 時間だ」
 東城は、淡々としていた。読んでいた新聞を綺麗に畳んでテーブルに置くと、残ったコーヒーを飲み干して立ちあがった。
 東城という人物は、鬼畜で、冷静な男だ。いつも人より1つ高い所に居て、余裕で相手の反応を楽しめるのだ。こういう男だという事は、誰よりも眞瀬が一番良く知っていた。
 恋人なんて関係じゃなかった。「幼馴染み」と言えば聞こえがいいが、お互いに「腐れ縁」だと思っていた。まったく違うタイプのふたりなのに、何故かとても気が合った。恋愛を含め色々な物事に対する価値観が、同じだからかもしれなかった。
 日本国民で、その名を知らぬ者はいないであろうという大企業「東城グループ」の若き社長・東城貴司。その肩書きだけでも、世の女性共が放っては置かないであろうに、天は彼に二物も三物も与えるものだ。
 男の目から見ても「格好良い」男らしい整った顔立ち、長身に、ガッシリとした見事な体格、頭脳明晰で、才覚溢れ、人望もあるとくれば、もうそれは「非の打ち所が無い」とはまさにこの事だろう。冷淡と思えるほどにクールで、鬼畜な性格をのぞけば……
 というのが、眞瀬凌介が評価する東城貴司である。

「どうもお邪魔しました」
「どういたしまして」
 高級マンションのエントランスを抜けながら、ふたりはそんな会話をかわして、それぞれ別々の方向へと歩き出した。東城は地下駐車場へ、眞瀬はタクシーが拾える大通りまで歩き出した。東城の部屋へ泊まった朝は、いつもこんな感じだった。
 もちろん「ただ泊まった」訳では無い。昨夜は、それは激しく熱い夜を過ごした。
 眞瀬が東城と、肉体関係を持ったのは、昨夜が初めてではなかった。だがただの「友人」であり、「恋人」ではないので、そうそう度々の関係ではなかった。
 でも1〜2度という訳ではなく……「ただの友人関係」にしては、すでに回数を重ねてしまっていた。実はそれが、今朝の溜息の理由だった。
「マズイ」
 眞瀬はつくづくそう思っていた。何がマズイって、それはもちろん東城と寝た事である。
 いや、寝た事自体というより、すでにもう「何度も」というあたりが「マズイ」のである。何度も念を押すようだが、ふたりの間に決して恋愛感情はなかった。
 東城に至っては「まったく」と言っていいだろう。
「マズイ」と思いながら反省中で、溜息を何度もついている眞瀬にしても、別に「愛」が生まれているわけではなかった。「セックスフレンド」の付き合いなんて、全然OK!割り切った交際なんてお手の物のふたりである。
 眞瀬の溜息の理由は、「友人である東城と、何度も肉体関係を結んでしまって、このままでは友達ではいられなくなる……」な〜〜んて、陳腐なメロドラマの様な理由ではなかった。
 では何がマズイというのだろうか? 何がマズイって……それは……
「気持ち良過ぎんだよ!!!」
「は?!」
「え?」
 眞瀬は、そこがタクシーの中であった事を思い出して我に返った。
「あ……いや、なんでもありません。あ! その先のポストの前で止めてください」
 眞瀬は慌ててタクシーを降りると、そこから少しだけ歩いて、同じ通り沿いにある自分の経営する雑貨店へと向った。入口の鍵を開けて入ると、中からまた鍵をかけた。
 OPENするには、まだ早い時間だったからだ。薄暗い店内を奥のカウンターまで進み、中の椅子に腰を下ろした。
「ああ……クソッ」
 眞瀬は舌打ちして、カウンターの上の呼び鈴を指ではじいた。マズイマズイとつぶやいていたのは、東城とのSEXが、気持ち良過ぎる事だ。
だからと言って、別に東城との肉欲に溺れるという訳ではない。東城の体が忘れられないという訳でも無い。
 ただ彼のポリシーに反するからだった。「男の沽券に関わる」と言ってもいいかもしれない。だって、眞瀬は基本的に「タチ」なのである。
解りやすく言うと「男役専門」と言った所だろうか。
 彼は、昔っから生粋のゲイだ。女性経験はゼロではないが、断然男の方が好きだ。そして彼の好みは「守ってあげたくなる」「構ってあげたくなる」年下の子である。どちらかというと、小動物系が好きかもしれない。
 その点から言っても、東城が恋愛対象ではないのは明かだった。
 そんな東城とのSEXの場合、眞瀬の立場はというと……「受ける側」「女役」「ネコ」である。話し合って決めたと言う訳ではなかった。自然とそうなったのではあるが、最初はそれ自体に特別不満はなかった。自分より図体のデカイ東城を押し倒す方が、余計に大変である。
 それに別にそういう経験が、今までまったくなかったという訳ではない。若気の至りで、昔そういう事もした事ある。だから東城にバージンを捧げたという訳ではない。だけど「やっぱりそっちは、性に合わない」と、もうここ10数年、ずっと「タチ」をやってきたのだ。なのに……。
 東城が上手すぎるのだ。気持ち良過ぎるのだ。軟派な性分の眞瀬は、ついつい「こんなに気持ちいいなら、ネコ専門でもいいかも……」なんて、このまま流されてしまいそうになるのだ。
 東城に抱かれる夜、熱く燃えて、激しく乱れまくる自分の姿を、後になって冷静に思い出せるから始末が悪い。東城から意地悪く思い出されるまでもなく、何度も自分から「もっと」と懇願して足を開き、何度も腰を動かし、何度も天国へ昇りつめた事を、ちゃんと覚えているのだ。
 本当は、そっちの方が合っているのかも……なんて考えてしまいそうになるから「マズイ」のだ。10数年ずっとタチをやってきて、好みのタイプも「かわいい子」だ。
 今更ネコになんてなれっこ無い!
 現在交際中の「かわいい」恋人達に「オレはやっぱり抱かれる方が気持ちいいから、抱いてくれ」なんて死んでも言えるものか!(言われる彼らも困るだろう)かと言って、好みとは正反対のガタイの良い野郎共と恋愛なんてできそうもない……。
 眞瀬は、ブルッと小さく身震いをした。
 一瞬、筋肉隆々としたマッチョな「兄貴」との恋愛を想像してしまったからだ。
「そんなの無理だ……あんなの相手に恋愛感情なんて芽生えないよ……」
 それともいっそ、心と体は別と割り切って、恋愛相手は今までどおりの「かわいい恋人達」で、セックスフレンドは……東城?
「ん?」
 眞瀬は、脳裏に浮かんだ東城の顔に、首をかしげた。
「まてよ……そこんとこがずっとひっかかってるんだよ。抱かれる相手が東城ひとりに決まってしまっているようだから、何かが違う気がするのかも……なんか……まるで、東城が特別な人で、東城を愛してしまっているからみたいじゃないか……愛? ぶっ……くくくっ」
 眞瀬は、自分で言った独り言に、ひとりで受けて笑い出した。
「あはははは……そうなんだよな〜〜〜、もういっその事、東城とのSEXに溺れて、東城を忘れられない、愛してしまった……っていう方が、こんなに悩まないで済むのかもな。こんなに、あいつとのSEXが気持ち良くって『ネコ』には目覚めそうなのに、ぜ〜〜んぜん、あいつに愛情も未練もないんだよな〜〜〜だから困るんだよ」
「ネコ」に目覚めそうだからといって、今更他のマッチョな兄貴に抱いてもらう為に、ナンパする気にもなれない。そこまでしてまでは……と思うのだ。
 そんな心と体は別で、この「快楽に正直な体」は、以前にも増して、東城とのSEXを求めてしまっているのだ。
 そもそもはじめて東城と寝たのはいつだっただろうか……? そんな事をふと考えたとき、窓を打つ雨の場面が、脳裏にフラッシュバックした。
「あぁ……」
 眞瀬は「そうか」というように、小さく吐息のような声をあげた。

 5年前、付き合っていた子が、交通事故で死んだ。
 あの頃も今と同じ、数人いた恋人達のうちのひとりだった。来る者拒まず去る者追わず、愛していたし、大事にしていたけど、本命ではない、軽い付き合いの関係だと思っていた。だけど、あんな別れ方は初めてだった。突然といえば突然過ぎる別れ……
 辛くて辛くて、酒に逃げて、だけど悲しみを紛らわすことができなくて、気がついたら東城にすがっていた。東城がなぜあの時自分を抱いたのか、なぜ自分も東城に抱かれたのか、今でも解らない。どんな風に抱かれたのかも覚えていない……ただ気がつくと、外は嵐の様なひどい雨が降っていて、時折音を立てて、窓に雨粒が叩きつけられていた。
 窓ガラスを流れ落ちる雨のしずくを眺めながら、あの子が交通事故に遭ったのも雨の夜だった事を思い出して、涙が止まらなかった。
 それがトラウマになったのか、その後しばらくの間は、雨が降るとブルーな気分になり、特に情緒不安定なまま酒に酔ったりしている時に、側に東城がいると、そのまま抱かれたりしていた。まあ、そんな全ての条件が揃うことなんて、1年の内にそう何度もある訳がなく、結局その年に2〜3度関係を持っただろうか?という程度だった。
 その後も、東城と何度か寝たが、年月と共に、悲しみも薄れ、雨で鬱になる事もなくなり、元のように恋人を作り、恋愛を楽しめるようになって、もう東城に抱かれる必要もなくなっていた……はずだったのに……
 そういえば、去年は1度も抱かれていなかった。いや、一昨年もだ。3年前は?
「んん〜〜〜……」
 眞瀬は頭を抱え込んで、がしがしと髪の毛を掻き回した。
「そうだよ……東城とのSEXなんて、初めてやったあの年だけじゃないか……いや次の年もか? だけど1回か2回……そんなにいつまでもズルズルとやってた訳じゃなかったよな……なのに……なのに……」
 今年は何としたことだろう! 今年に入ってまだ半年なのに、昨夜を入れて、もう5回も東城とSEXをしているのだ。今月なんて2回じゃないか……
 あれは4月だ……お互い最近ずっと忙しかったが、なんとか時間が取れて、ふたりだけで花見をしたのだ。ふたりでゆっくり花見の時期に酒を飲むなんて、何年振りだっただろう。それも仕事の事や、お互いの悩みとか愚痴とか、そんな理由の飲み会ではなく、ただ「イベント」という理由に託けた酒席なんて久しぶりだった。
 そのせいだろうか、なんだかとても酒が美味くて、いつもよりかなりたくさんの量の酒を飲んでしまった。きっかけは……解らない。酔った勢いの何かだろう。どっちが先に言い出したかも定かではない。眞瀬から誘惑したような気もするし、東城が眞瀬をからかって、イタズラにちょっかいを出した気もする。
 とにかくこれまた久しぶりに、ふたりは関係を持ったのである。そしてこれが、眞瀬にはとにかく「良かった」のだ。
 久しぶりだったから? かもしれない。昔と違って、気持ちも安定していて、快楽を楽しみやすかった? のかもしれない。酒に酔ったせいで、気持ちが高揚して感受性が強くなっていたせい? かもしれない。
 まあ、東城のテクニックが良かったせいもあるだろう。とにかくとても良かった。正直告白すると、今まで経験したSEXの中で、一番良かったと思う。だから「快楽に正直な体」に、ついつい気持ちが負けてしまったのだ。
東城を酒に誘い、酔った勢いに託けて、もう5回も…………。
 その度に、後悔し、反省し、「もうやめよう」と思うのに、ついついやってしまうのだ。自分でも「確信犯」だと思っている。
「東城はどう思っているんだろう……っていうか、オレがこんな事で悩んでいるのを知られたら……」
 眞瀬は、全身から血が引いていく音が聞こえた気がした。
「いじめられる」
 そう思った。子供っぽい発想の様だが、実は冗談事ではない。マジな話だ。悪魔の様な、陰険な笑みを浮かべた東城の顔を想像してしまった。
「あ……あんな鬼畜に弱みを握られたら、どんな目に合うか解りゃしない……恐ろしい……」
 気づかれる前に、自分の気持ちを早く整理して、こんな関係も辞めないとダメだ。元の自分を取り戻さないと……戻れるのだろうか?
 希望としては、好みのタイプの「かわいい」「構ってあげたい」「小動物系」の子で、東城並のテクニックを持った「タチ」役が出来る相手が恋人になってくれるといいのだが……
「んな子がいるか!」
 我ながらあまりにも馬鹿馬鹿しい発想に、ついつい突っ込みを入れてしまった。その時タイミング良く、店の壁に掛けてあるアンティークのからくり時計が、10時の時報を告げて綺麗なオルゴール音と共に、人形が動き出した。
「もうそんな時間か……店を開けなきゃ……」
 眞瀬は気をとりなおして立ちあがると、店中のロールスクリーンを上げて、入口の鍵も開けると、プレートを「OPEN」に変えた。
「ま……なんとかなるでしょう」
 そうつぶやいて、大きく伸びをした。
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