雨・雷・嵐のち秋晴れ

ススム | モクジ

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 季節は秋。
 高校2年生の秋は、とても忙しい。体育祭が終わるとすぐに、中間考査があり、それが終わると修学旅行と文化祭。
 10月11月が、あっという間に過ぎ去って、気がつくと期末考査と冬がやってくる。
 何度かの進路調査も行われ、三者面談もある。楽しい行事ばかりではなかった。
 試験と面談がある時期は、みんな緊張した面持ちで、教室の中が一種独特の雰囲気になる。その中で、全然いつもと変わらずマイペースな人物が二人いた。藤崎裕也と氷上慎吾の両名だ。
 氷上は、夏休みのホームステイでの経験が後押しして、自分の将来への明確なビジョンが決まったらしい。もうその顔には、まったく何の迷いも無く、むしろ晴れ晴れとさえしていた。高校卒業したら、すぐにアメリカに渡り、叔父の元で、映画などの特撮用の模型デザイナーになるのだ。ぜひ進学をと勧める担任の言葉も、まったく聞いていなかった。自主性を尊重する氷上の両親は、氷上の強い意思を聞いて、反対どころか応援する姿勢のようだった。
 一方藤崎は、以前と変わらずマイペースだった。進路については、めずらしく少々悩んだようだったが、今はとりあえず決心をつけているようだ。慶応を目指すというので、担任も大喜びだった。
 藤崎はこう見えても、体育バカではなく、実はすごく秀才だった。学年で常に3位内を保っていた。しかし特にガリ勉をしていると言う訳でもなく、本人曰く、授業を集中してよく聞き、予習復習を毎日かならずしているだけ……だそうだ。


 夏休みが終わって、氷上はアメリカから帰国した。一回り逞しくなったようでもあり、いつもの氷上の様でもあり、藤崎は特に何も聞かずにただ「おかえり」とだけ言って出迎えた。
 氷上は、ずっと藤崎にたくさん話したい事があったと言わんばかりの勢いで、夏休み最後の夜を一晩使って話し込んだ。
 そして9月からまたバイトには氷上が復帰し、藤崎は代役を終えた。しかし先にも述べたように、高校2年生の秋は忙しい。気がつくと11月に入っていて、もう修学旅行を目前にしていた。
 旅行先は3泊4日の韓国だ。
 みんなが旅行を前に、落ち着きを無くしていた。海外旅行が初めての者も多く、パスポート申請を慌しく行ったりしていた。そんな頃に、ちょっとした事件が起こった。


 事件というには少しオーバーかもしれない。しかしそれに直面した当人にとっては、大変な事件だった。
 始まりは、母親の何気ない一言からだった。
「慎吾ちゃんは、恋人はいないの?」
 ある日のちょっと遅い夕食の席で、氷上慎吾の母親が、いつもののんびりとした口調でそう言ったのだ。バイトのせいで、いつも慎吾だけがひとり家族より遅い夕食を摂る。
「え? 何? 急に……いないよ」
 氷上は、とてもあっけらかんと答えると、パクパクと好物のエビフライを口に頬張った。
「あらそうなの……じゃあ、裕也くんに先を越されちゃったのね」
 その言葉に、氷上は思わずむせ返った。飲み込み損ねたご飯を喉に詰らせそうになって、胸を叩きながら慌てて水を飲んで流し込む。
「な、何それ! どういう事?」
「あら? 知らなかったの? 変ね……裕也くんに恋人が出来たんじゃないの?」
「まさか! だってあいつ、オレには何も言ってないんだよ!? 出来たんなら言うはずじゃん……なんでまたそんな事……」
「この間、裕也くんのお母様とお茶した時に、そんな話になったのよ。なんか夏休み頃から様子がおかしくなったって……よく外泊をするようになったんですって……それも夏休みが終わってからも……あれは絶対女にのぼせているんだって……あ、これは裕也くんのお母様の言い方を真似したのよ?! とにかく絶対彼女が出来たんだっておっしゃるのよ。9月も10月も毎週の様に外泊しているけど、氷上さんの家じゃないでしょ? って聞かれたから、思わず正直に『ウチじゃないです』って言っちゃったのよ。でもね、別に怒ってはいらっしゃらなかったわ。成績は下がってないから、彼の自覚にまかせるんですって」
 そのほのぼのとした口調とは正反対に、すっごい内容の話に、氷上はご飯を食べるのも忘れて、ポカンと口を開けて驚いていた。
「が、外泊って……彼女が出来ただって!?」
 そんな事、一言もあいつは言わなかった。彼女どころか、ずっと毎週どこかで泊まっている事さえも……。
 親友だと思っていた藤崎が、自分に対して秘密を持っている事がとてもショックだった。大事件だ! 氷上にとっては大事件だった。これは明日にでもすぐ問いたださなければ! と思った。
 そして無償に腹が立ってきて、なんだかその夜はなかなか眠れなかった。そう、本当は帰国して、最初に藤崎に会った時、なんだか違和感を感じていたのだ。
「オレの知っている裕也じゃない」と、なんとなく思ったりしたのだ。
 とても大人びた表情をする裕也……以前から大人びた所はあったけど、なんだか「大人の男」って雰囲気を感じたのだ。それはやっぱり彼女が出来たからだったのだろうか? 外泊って事は、もちろんやっぱり……。
「わぁ〜〜〜〜〜!!!」
 変な事を考えそうになって、氷上は一人であせった。やはり今夜は眠れそうにない。


 翌日、ものすごい決心をして家を出たはずなのに、「おはよう」と、いつもと変わらぬ爽やかな笑顔の藤崎を見たら、急に言葉が出なくなってしまった。隠し事をするような奴じゃないと信じている。この目の前にいるのは、親友の藤崎裕也だ。
 自分に何も言わないと言う事は、何もないからだ。きっとそうだ。氷上は、疑惑を無理矢理心の奥にしまいこんだ。
 そんな氷上を更に追いこむ衝撃的な事実が待っていた。楽しかった修学旅行から、帰国したばかりの空港でそれは待っていた。空港での解散で、それぞれ帰る者、家族が迎えに来ている者、みんな到着ロビーでバラバラになっていた。氷上は父親が車で迎えに来ていた。
 一緒に付いてきた妹を抱っこして、再会を喜んでいると、あっという間に女生徒達に取り囲まれた。パニックになりそうだったので、早々に引き上げる事にして、父親が「裕也くんも一緒に帰るといい……呼んでおいで」というので、人込みの中から裕也の姿を探した。
「さっきまで側にいたのに……トイレかな?」
 キョロキョロと辺りを見まわしながら、トイレの方向へと歩いて見た。少し歩いた所で、50M程先の柱の影に、藤崎の姿を確認した。後姿をちょっとみただけで、すぐに藤崎だとわかる。小走りに近づくと、話し声が聞こえた。
「うん、じゃあ今夜行くから……うん、それじゃまたあとで」
 そう言い終わると、藤崎は携帯を切って、二つ折りに閉じながらクルリと振り向いた。そこでばったりと氷上と向き合う形になって、藤崎はものすごく驚いたようだ。
「し……慎吾」
「裕也……それ……」
 慌てる藤崎の様子を無視して、氷上が驚いた様子で携帯電話を指差したので、藤崎はハッとなった。
「あ、ああ……バイト代で買ったんだ。あれ? 言ってなかったっけ? 慎吾も携帯持ってないからさ……番号を交換できないから、言うのを忘れていたかも……ごめんな」
「なんで急に?裕也、別に携帯には興味ないって言ってたじゃん。クラスのほとんどが持っていたけど、裕也が興味ないって言うから……だからオレも別にいらないって思って買ってなかったのに……」
「うん、ごめんな……バイトしたら、まとまったお金が入ったものの、ほら、オレってお前と違って、特に金の使い道がある訳じゃないしさ。それに前から、兄貴が携帯持てってうるさかったんだ。お前となかなか連絡つかなくて困るってさ、ほら、バイトしたりして家にいなかったりするし……」
 氷上は藤崎の言い訳を、腑に落ちないという顔で聞いていた。こんなにダラダラと言い訳をするなんて、それこそ藤崎らしくなく思える。今の電話の相手は誰なのだろう? その相手の為に携帯を買ったのだろうか? 氷上は、藤崎の話を聞きながらも、ずっとそんな事を考えていた。
「そんなに怒ったのか?」
 氷上がずっと口を「への字」にしたまま睨みつけているので、藤崎はちょっと困った様子で尋ね返した。
「何かオレに隠し事してない?」
「う……」
 氷上の問いに、藤崎は唸ったまま、目を伏せて黙り込んだ。それが藤崎の答なのだ。氷上はとてもショックだった。
 もう怒りとかなんとかの次元ではない。藤崎は否定しない。隠し事があるのだ。そしてこう問い詰められても、尚もその事について言うつもりは無いようだ。
 氷上はショックのあまり、しばらくの間放心状態で、ただ藤崎をみつめるだけだった。
 藤崎はずっと辛そうな表情で、目を伏せて黙り込んでいる。長い様で、短い緊迫した時間が流れた。
「慎吾!?」
 父の声でようやく我に帰った氷上は、黙ったままクルリと藤崎に背を向けて、歩き出そうとしたが、一瞬動きを止めると、背を向けたままで「ほら、帰るよ」と小さくつぶやいて歩き出した。
 本当はこんな奴このまま置いていこうかとも思ったが、やはりそれは出来なかった。藤崎は、先に行く氷上に何か言おうとしたがやめた。黙って荷物を抱えると後について行った。
 帰りの車内は、とても重苦しい空気に包まれていた。二人の様子に、喧嘩をしたんだな……と父親は察して、あえて何も言わなかった。


「慎吾くん、どうしたんだい? 今日は調子が悪そうだね。別に休んでもよかったんだよ? 修学旅行から帰ったばかりで、疲れているだろう?」
 カウンターに肘をついて、何度か溜息をつく氷上に、眞瀬が優しく声をかけた。
「あ、すみません……大丈夫です。ただ、ちょっと悩み事があって……」
 眞瀬の笑顔には不思議な効力がある。なんでも相談したくなってしまうのだ。氷上は思わず情けない声でそう言った。
 眞瀬は、「おや?」という顔になると、黙って店先に行き、辺りの様子を伺うと、ロールスクリーンを下げて、ドアを「CLOSE」にした。
「あれ? 眞瀬さん……まだ……」
「うん、今日は早仕舞いね。どうせあと20分だし……オレもこの後、用があるから丁度いいよ。で? 何? オレが聞いてスッキリするなら、全部吐き出しちゃったら?」
 眞瀬はニッコリと微笑みながらそう言うと、氷上に椅子を勧めた。二人はデザイン家具調の折りたたみ椅子に、向かい合って座った。
「裕也が……なんか変なんですよ……」
「え?!」
 氷上が、思い余ったような口調で言ったので、眞瀬はとても驚いてちょっと大きな声を出してしまった。めずらしい眞瀬の驚き振りに、氷上もちょっと驚いたが、話の先を続けた。
「なんか……オレに隠し事をしているみたいなんですよ。今までそんな事1度もなかったのに……聞いても教えてくれないし……」
「隠し事?」
 眞瀬は、「まさか……」と思ったが、恐る恐る尋ねて見た。
「あいつ……彼女がいるみたいなんです」
 眞瀬は、ぶっと吹き出した。
「か……彼女ねぇ……」
 眞瀬は、笑いそうになりながらも一生懸命堪えた。
「裕也くんが? なんかそんな素振りでもあったの?」
「だって……よく外泊しているそうだし……それにあいつ、オレに内緒で携帯電話を買ってたんですよ」
 氷上は、とても憤慨しながらそう言った。眞瀬には、その言葉が、チクチクと良心を攻撃してくるように感じた。
 そう、その外泊先が、実はオレの所なんだとか、携帯は夏休みの終わりに、「バイトに来れなくなったら、連絡しづらくなるから」と言って、彼がわざわざ買ったのだとか、氷上の言う『彼女』とはオレのことなんだよ……とか、いっぱい氷上に言えない秘密を、眞瀬も持っているのだ。
 藤崎の秘密は、眞瀬の秘密。
 氷上は、藤崎の親友なのだから、藤崎が告白できないうちは、眞瀬の口から白状する訳にも行かない。
「ごめんね」と心の中で何度もつぶやいた。
「まあ、裕也くんにだって、親友だろうと親だろうと言えない事とかってあるんじゃないのかな? 別に慎吾君を裏切っている訳ではないと思うよ……親友だからこそ、どうしても言えない事もあるんじゃないのかな……」
「彼女の事が?」
「う、うん……た、例えば……おおっぴらに出来ない相手とか……」
「え? 何それ? 秘密の恋って事? 人妻?」
 その反応に、とうとう我慢できずに眞瀬は大爆笑してしまった。あまりにも、眞瀬が大笑いするので、氷上が驚いてポカンとした顔で見ている事に、ようやく気がついて、眞瀬は急いで笑うのをやめた。
「ご、ごめんごめん……いや、人妻との恋なんて……なんか裕也君とは想像つかないなぁと思って……」
「そうですよね」
 氷上もちょっと笑ってみせた。眞瀬はなんとか誤魔化せたかな? と思いながらも、これからどうしようかと考えをめぐらせた。
「木下さんが言っていたけど……あいつがバイトしている間、すっごく女の子にモテモテだったんですってね。まあ学校でもモテてるけど……年上に人気があるみたいだからなぁ。女子大生とかOLとかに告白とかされたのかな? どうです?」
 眞瀬は、ちょっと苦笑した。
「そうだね……まあ手紙とか、プレゼントとかを貰っていたみたいだけど……慎吾君は中学生の女の子とかに人気あるよね、王子様みたいだから……」
 眞瀬はさりげなく話を反らしてみたりした。
「やっぱりここで知り合ったのかなぁ……」
「何? 寂しいの?」
「え?」
「さっきから聞いていると、なんだか……秘密にされているのを怒っているというより、慎吾君が振られて寂しいって感じに聞こえるよ? 取られたみたいで寂しいんじゃないの?」
「そ、そんなんじゃないです」
 氷上は、真っ赤になって慌てて否定した、
「ねえ、慎吾君は、高校卒業したらアメリカに行ってしまうんだよね。そしたら二人は離れ離れだ。裕也君だって寂しいと思うよ? 彼女が出来たかどうかの真相はともかくとして……今までふたりがずっとベッタリだったんなら……そろそろお互いに自立しなきゃね。距離を置いても親友でいる為には、やっぱりお互いを信じていないとダメだよ?裕也君が、慎吾君にどんな秘密も、打ち明けられやすい状況を、慎吾君が作ってあげる事も必要なんじゃないかな? 子供の頃の秘密と、大人になってからの秘密って、質が違うから、いくら親友でも言い出しにくい事はあるよ」
 氷上は、その言葉を噛み締めるように、うつむいたまましばらく考え込んでいた。
「解りました……オレ、もうちょっと待ってみます」

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