真っ赤な長い絨毯が、玉座へと続く階段の下まで伸びている。その階段のすぐ下まで進み出ることを許されて、タンレンは深く頭を下げ跪いて王への敬意を表した。
「タンレン、長く使者の任を遣わしてすまなかったな。これからは元の国内警備に専念してもらうことになる。頼んだぞ」
「はい、無事に役目を勤め上げることが出来、大変満足しています。後ほど詳細につきましては、ラウシャン様へご報告差し上げます」
「ああ、頼む……ラウシャン、今日はここまででいいだろうか?」
「陛下、お疲れでしたらご無理はなさらないでください」
疲れた様子のフェイワンに、ラウシャンは頷いて侍従達に王の世話をするように指示を出した。
「お部屋には、オレがお連れします」
慌ててタンレンが駆け寄って言ったので、ラウシャンはちょっと不機嫌そうに顔を曇らせたが、頷いてみせた。
「しばらく見ないうちに……また痩せたのではないか?」
フェイワンに肩を貸しながら、タンレンはゆっくりと歩いて王の私室へと向かっていた。後ろから兵士達がついてくる。
「まあ仕方ないだろう……リューセーが来てくれぬのだからな」
フェイワンがクッと笑って、皮肉めいた口調で答える。タンレンは顔を曇らせて、何も答えられなかった。
前王が逝去して、世継ぎであるフェイワンが王位を継承してから60年の月日が流れていたが、未だに来るはずの『リューセー』が現れていなかった。新王が誕生する時、その王の為の新しい『リューセー』が『大和の国』よりやってくると言われている。
シーフォンの王は、その『リューセー』がいなければ、やがて死んでしまうのだ。
フェイワンの父である前王は、伴侶であるリューセーを失い、魂精を得られぬまま我が子を育てるために、自身の魂精をすべてフェイワンに注ぎ込み亡くなった。その最後は枯れ木のように痩せ細り、体も半分ほどに縮み、見るも無残な姿であったと聞く。それでもリューセーを失ってから100年ほどを生き抜いた。それはすべて、命に代えてもフェイワンを成人させるという強い意志によって、生きながらえていたのだろうと思われる。
フェイワンはタンレンと同じ歳なのだが、今はフェイワンの方が遥かに若く見える。体が痩せている上に、若退化を起こしているのだ。このまま『リューセー』が現れなければ、退化が進み、フェイワンの体は子供くらいにまでなってやがて衰弱して死ぬのだと医師が言っていた。
『大和の国』より『リューセー』を呼び出す役目を負う神殿長のバイハンは、竜神鏡が曇っていて向こうの世界が見えなくなっているといっていた。こちらから呼ぶ声も届いていないかもしれないと言っていた。
ベッドにゆっくりと座らせると、フェイワンはハアーッと長い溜息をついた。よほど疲れているのだろう。
「大丈夫か?」
「ああ……まだ自分で歩けるうちはな……父上もリューセーがいなくなってから、随分長く生きたのだし、オレもまだ大丈夫だろう」
「もうすぐお前のリューセー様はくるさ」
タンレンにはそれくらいの言葉しか言えなかった。フェイワンは黙って微笑み返した。
「外はどうだった?」
「まだ我が国の異変は知れ渡っていない……大丈夫だ」
「そうか」
フェイワンは安堵の溜息を漏らすと、ゆっくりと体を横たえた。
「少し眠るよ」
「ああ」
タンレンは一礼してその場を去った。
どうすることも出来ない自分が歯がゆかった。バイハンに、なんとか『大和の国』へ行くことは出来ないものかと、聞きに言った事もあった。来ないのならば連れてきてやると思ったのだ。
かつて初代竜王ホンロンワンが、この世界では大きな魂精を持つ人間をみつけられなかった為、異世界へ行き『大和の国』でリューセーを見つけて連れてきたのだ。神は竜王に異世界へと行く力を授けたという。だから向こうの世界に行くことは可能だろうと思われるが、確かな方法は分からないという。
現王が世継ぎを残せず身罷る時に、王の指輪を新しき王に譲れば、もしかしたら新しき竜王が、新しき伴侶を求めるために、異世界へ行けるかもしれないが、もちろん確かなことではない。
それはタンレンが望んでいることではない。自分が新しい王になりたい訳ではない。フェイワンを救うために、来るべきはずのフェイワンのリューセーを探しに行きたいだけなのだ。
タンレンは暗い顔で思案にふけりながら、自分の住まいへと戻るために長い廊下を歩いていた。その時ふと前方の廊下の端で、四つ這いになっている銀色の髪の人物に目が止まった。
「シュレイ!」
タンレンが驚いて駆け寄ると、シュレイは懸命に床に付いた染みを取っているようだった。タンレンの声に顔を上げて、その姿を確認すると手に持っていた雑巾を脇に置いて、姿勢を正すと座ったまま頭を下げた。
「何をしているのだ」
「床の掃除をしているのです」
「それはお前の仕事ではないだろう。それに……そんな染み、昔からあるものだ。簡単に取れるものではない。気になるならば侍女に命じれば良いではないか」
「私は暇を持て余していますから……」
シュレイは目を伏せてポツリと呟いた。タンレンはグイとその腕を掴むと、立たせようと引っ張りあげた。
「立つんだ。こういう事はやめなさい」
「タンレン様、どうか放って置いてください、私が何をしていようとかまわないではないですか」
「誰に言われた? 誰かに命じられたのだろう?」
「なんでもありませんから!」
「以前も度々こんな事をさせられていたではないか……誰に命じられたのだ。言え!」
「どうかお許しください」
「何事ですか!?」
突然廊下を響き渡る声に、タンレンもシュレイも言葉を止めて顔を上げた。肩ほどの長さの水色の髪をした男が、こちらに向かって大股で歩いてきていた。歳はタンレンよりもずっと上で、中年とまではいかないがそれほど若くは無い。少し痩せ方で神経質そうな目つきをしているその男は、王宮の内事を取り仕切る宮内官の1人シャンライだ。
彼は近くまで来て、タンレンだと気づいて少し顔色を変えた。
「これはタンレン様……その者が何か無礼を働きましたか?」
「……彼にこの仕事を命じたのは貴方ですか? シャンライ」
シャンライの質問には答えず、代わりに問いを返してきたタンレンに、シャンライはちょっとムッと顔を歪ませた。
「そうですが……それが何か? 暇をしている従者に仕事を言いつけるのは私の権利ですから……何か勘違いをされていらっしゃる」
「シャンライ! シュレイは従者とは違う。リューセー様の側近だ。彼の位は、貴方が直接命令を出来る立場には無いはずだ。何か勘違いされているのは貴方ではないのか?」
「で……ですが……リューセー様が現れない今、側近の仕事は皆無……アルピンを遊ばせておくことはないでしょう」
「彼はアルピンではない!!」
廊下に響き渡るほどの大声で、間髪要れずに怒鳴り返したタンレンに、シャンライは驚いて顔を強張らせた。タンレンの怒りを帯びた強い眼差しに、シャンライは完全に威圧されてしまっていた。歳下ではあるが、王族であるタンレンには歯向かうことは出来ない。ましてやこの堂々たる貫禄には、完全に負けてしまっていた。
「彼は連れて行く……今度、このような事をしたらただではおかぬからな」
タンレンは怒りのまま睨みつけると、シュレイの腕を引っ張って、無理やりに連れ去った。
「タ……タンレン様! タンレン様!」
シュレイは蒼白になって、ズルズルと引きずられて行きながら、何度もタンレンの名前を呼び続けていた。タンレンがこんなに怒った姿を見たのは初めてだったので、とても動揺してしまっていた。なぜかよくシュレイの事を気に掛けてくれていた。今までも何度か助けられたことはあった。
アルピンの従者や兵士の間でも、タンレンはとても人気がある。それはアルピンに対しても差別無く、とても優しく心遣いをしてくれるからだ。いつも朗らかで、大らかな人。それがタンレンへの印象だった。それがこんなに怒るなんて……それも相手は、同じシーフォンなのだからもっと驚いた。
タンレンは、王宮の下層近くにある自分の書斎へと入っていった。国内警備の長官を務めるタンレンは、その仕事場を兵舎の近くに設けていた。アルピン達の近くで一緒に仕事をするというのも、他のシーフォン達ではやっていないことであった。
扉を閉めてようやく足を止めたタンレンを、シュレイは不安そうな顔で見上げた。まだ怒っているように見えたからだ。
「タンレン様……」
「お前はなんでも素直に聞けばいいというものではない……自分の立場を考えなさい。リューセー様の側近というのは、唯一無二の『治外法権』である地位なのだよ? お前はシーフォンはおろか、陛下にだって発言出来る立場なのだ。それにアルピンでもない。自分を貶める必要は無い。もっと堂々としていなさい」
タンレンは一度深く溜息をついてから、いつもの穏やかな口調でシュレイを諭すように語った。シュレイがその瞳をみつめると、いつもの優しい瞳に戻っていた。
「ですが……リューセー様がいらっしゃらなければ、私は無用の存在です。何年も長い間、何もせずにこの城に居る訳にはいきません……別に下働きなど平気ですから……」
「オレが嫌なんだよ」
「タンレン様?」
タンレンはふいにギュッとシュレイを抱きしめていた。シュレイは驚いて目を丸くしていたが、抵抗する術は無くされるがままだった。タンレンはそのまま乱暴にシュレイの唇を吸った。
「んっ……」
これにはさすがのシュレイも、一瞬拒むように身を捩じらせたが、強く体を抱きしめられてそれはかなわなかった。重ねられた唇が、やんわりとシュレイの唇を愛撫した。初めての経験に、シュレイは驚きと共に体を強張らせた。なぜタンレンがそんな事をするのか分からない。ようやく唇が離れて、瞳をみつめられても、シュレイは目を大きく見開いたまま固まっていた。
「身の置き所が無いのなら、オレの所に居ろ。オレの仕事を手伝え」
「タ……タンレン様の? ……あの……なにを?」
「いいから! オレの側に居ればいいんだ」
タンレンは言って再び強く抱きしめた。シュレイは戸惑いながらも目を閉じる。タンレンが何に苛立ち、なぜシュレイにこんなことをするのか、シュレイには理解できなかったが、彼には従うつもりで居た。必要だというのならば役に立ちたいと思う。もしもこの城で、自分の存在が必要でなくなってしまったら、きっとその時は母のように殺されてしまうのだ。シュレイは目の前の温もりに、縋りつくように身を寄せていた。