少年はいつも窓の外を眺めてばかりいた。遠くで遊ぶ子供たちの姿を、いつも眺めていた。窓にはいつもカーテンが引かれていて、少年は姿を隠すようにしてその隙間から外を眺めるばかりだった。
 それは物心付いたころから、母親にそうするように厳しく言いつけられていたからだ。それは毎日のように言い聞かされる言葉。まるでそれが何かの呪文のようにさえも思えるほどだった。
「絶対に外に出てはいけませんよ」
「絶対に人前に出てはいけませんよ」
「お母さんの居ないときに、誰か訪ねてきても絶対に出てはいけませんよ」
 その母は、日中は畑仕事をして、夜は機を織る。布が一反織りあがれば、それを町まで売りに行く。そうして生計を立てていた。
 空が茜色になる頃、町に行っていた母が戻ってきた。窓の外をずっと眺めていた少年が、母の姿をみつけて笑顔を浮かべる。
「シュレイ、ただいま。誰もこなかった?」
「はい、母さん。今日は誰も来ませんでした」
 見た目は5〜6才の幼い少年であったが、とても年よりも大人びていてハキハキと答える。母は微笑むと、少年の頭を撫でたので、少年も嬉しそうに微笑む。顎のラインくらいの長さに揃えて切られた髪は、銀色をしていた。
「布が思ったよりも高く売れたの。母さんの織った布は、ここの町でも評判がいいみたい。また織ってくれって店屋の主人に頼まれたのよ?」
「母さんの織った布は綺麗だもの」
 母親は、少年の言葉に微笑みながら、背負っていた麻袋をテーブルの上に置いて、中から買ってきた果物や肉の燻製などを取り出した。
「お前にお土産もあるのよ?」
「お土産?」
 首を傾げて尋ねると、母親は袋の中から1冊の本を取り出して少年に渡した。
「本!? 僕に?」
「1冊しか持っていないから、同じ本ばかり何度も何度も読んでいたでしょ?これは少し上の歳の子供が読むものみたいで、ちょっと難しいらしいけど、シュレイなら大丈夫よね?」
 少年は、満面の笑顔を浮かべて何度も頷きながら、本を大事そうに抱え込んだ。
「難しい方が、時間を掛けて読めるから嬉しい……ありがとう母さん」
 本を抱えて早速読むために、奥の寝室へと駆けていく少年の姿を見送りながら、母は寂しそうに微笑んで小さなため息をついた。
 我が子が不憫でならない。こんな小さな事でもあんなに喜ぶなんて、それならばもっともっとあの子が喜ぶことをしてやりたいと思っていた。だが暮らしは決して裕福ではなく、生活にかかる他の物の値段からすると、高値である本はそうそう頻繁に買い与えてやることは出来なかった。母一人子一人、貧しくとも慎ましくひっそりと身を寄せ合って暮らしていた。父親は健在ではあるが、訳あって一緒に暮らしていない。
 訳あって……。少年は不義の子だった。
 父親はとても高貴な身分の者で、もちろん妻子があった。母親はその家の侍女として働いていて、主人に目を掛けられて、不義を通じてしまった。そして子供まで出来てしまったのだ。
 主人の計らいで、離れた地でひっそりと少年を産んだ。その頃は主人も、度々訪れてくれて、暮らしも保護して不自由の無いようにしていてくれたのだが、やがて彼の妻に知れてしまい、それからはシュレイ達親子に危害が及ぶのを恐れて、主人は一切手助けが出来なくなってしまった。親子もまた転々と町や村を移り住み、逃げて隠れ住む日々を送っていた。
 親子が隠れ住む理由は、それだけではなかった。少年・シュレイが普通の子ではないので、この国の民達の間に紛れて暮らすことが出来なかったのだ。
 彼女達の住む国・エルマーン王国は竜族である『シーフォン』が治める国であった。従属する国民は『アルピン』といい、その種族自体が違っていた。アルピンは『人間』であったが、『シーフォン』は竜族であり、所謂『人間』ではない。その外見だけでも明らかに違っていた。
 少年の父親は、その『シーフォン』であったので、少年はシーフォンとアルピンとの混血で、特にその血が濃く出てしまい、アルピンにはあり得ない美しい顔立ちと、銀色の髪・青い瞳を持っていた。そしてそれは外見的なものだけではなく、その体の成長がとても遅いという特徴があった。
 シーフォンはとても長寿な生き物であり、アルピンの5倍以上の寿命があった。その為アルピンから見れば『不老不死』に見えてしまうほどなかなか歳をとらない。混血である少年は、シーフォンほど長命ではないが、それでも成長が遅く、外見は5〜6才の幼さではあるが、年齢はすでに10歳になっていた。
 外見だけであるならば、異国の者との混血だと嘘も吐くことが出来るが、歳をなかなかとらないのでは、すぐにシーフォンの混血だとバレてしまう。父親の本妻の目を逃れて、隠れ住む身の上としては、それはとても困ることだった。
 その為親子は、一所に長く住むことが出来ず、また少年も人の目に付くところに出ることが出来なかった。いつも家の中に息を潜めるように隠れ住み、外で遊ぶ子供たちを遠くに眺めることしか出来なかった。
  自由に外へ出られるのは、人目の無い夜ぐらいしかなく、時折母に許されて、昼間の短い時間家の周りを、髪を隠すように深くフードを被って、一人で花や虫を眺めて遊ぶくらいしか出来なかった。
  母はそんな我が子が不憫で仕方なかった。今の何よりもの不安は、確実に自分のほうが先に死んでしまうということで、自分が死んだ後、この子はどうやって生きていくのだろう? と、そればかりを気に病んでいた。
 母はそんな我が子の将来の為に、昼も夜も働いて少しでもお金を稼ぎ、慎ましく暮らしてそのお金を貯蓄していた。いつか自分が死ぬときがきたら、このお金を息子に渡して、この国を出てどこか異国で暮らすように言うつもりで居た。
 国を出ることは簡単なことではなかった。だが噂で、お金を払えばなんでも請け負ってくれる行商人がいると聞いた。その者に頼んで、商人の荷物に紛れて出国できれば……異国ならば、この子も一人で生きていけるのでは?……そう考えていた。だがそれには、もう少し成長が必要であった。今のままでは中身がいくら大人であっても、外見が子供のままでは、異国でさえも一人では生きていけないだろう。少しでも外見が成長するまでは、母親がこうして隠して守り育てる必要があった。
『それまでは、どんな事をしても逃げ延びたい』
 母親は暗い顔でため息をつく。
 主人の妻は、とても気性の激しい女性だった。気位もとても高い。王族の姫君なのだから仕方が無いのかもしれないが、その気の強さは、侍女として傍に居たのでよくよく知っている。彼女はきっと自分達を許さないだろう。それは分かる。優しいが気の弱い主人が、その妻を止めることが出来ないこともわかっている。
 彼女は小さく溜息を吐くと、テーブルの上の食材を食料壷へと仕舞った。その時たくさんの人の気配を感じて、ハッとなり顔を上げた。
  わざと少し人里離れた森の中の家に住んでいる。遠くに畑や人の通る道を眺めることは出来るが、家の周辺で人の声を聞くことは無い。そっと窓辺へ近づき、カーテンの隙間から外を伺った。
 見たことの無い異国の風体の男達が5人、こちらへと向かってきている。彼女は顔色を変えて、奥の部屋へと駆け込んだ。
「シュレイ! 早く隠れるのよ!」
 ベッドに座って、一生懸命本を読んでいた少年の腕を掴んで立ち上がらせると、力任せにベッドを動かした。現れたベッド下の床をダンダンと叩くと、床板が浮いて蓋のように開いた。
「さあ、この中へ!」
 母親は少年を床下へと押し入れた。
「シュレイ、いつも言っている通り……解っているわね? 何があっても出てきてはだめよ? 安全になるまで、絶対に出てきてはダメ……解ったはね?」
 母親に言われて、シュレイはコクコクと頷いた。突然の事に驚いてはいたが、こういう時の事は、母から何度も言い聞かされていた。
 狭い穴の中に座ると、母親が再び蓋を閉めた。その上に再びベッドを動かして元通りに戻すと、台所へと走った。裏口を乱暴に開けると、その外へ少年の靴の片方を放り投げた。そして扉は開けたままにして、居間へと戻ると台所へ続く扉を閉めた。
 その時ちょうど玄関の扉が叩かれた。母親は大きく深呼吸をすると、扉へと近づく。
「どなたですか?」
「開けろ! 開けないとぶち破るぞ!」
 荒々しい男の声に、母親は覚悟を決めてからゆっくりと扉を開けた。
 そこには異国の男が立っていた。その格好は旅人のようではあるが、格好や雰囲気から傭兵か何かのように感じた。金で雇われれば人も簡単に殺しそうだと、そんな直感を覚えた。
 アルピンという種族は、闘争心をほとんど持たない。人と争うことを苦手とし、競い合うことを嫌う。その為にはるか昔には、他民族の奴隷であったり、戦闘種族の狩りにあったりして、絶滅の危機に瀕していた。それが神の啓示で、シーフォンに従属し守られて、今日の繁栄に至っていると、ずっとずっと民族間の伝説として伝えられてきていた。その民族の本能が、危険な相手を無意識に察知する。それは草食動物が肉食動物を警戒するようなものに似ていた。
 この国の兵士はアルピンだから、例え命令でも無抵抗な女子供を殺すことは出来ないだろう。もしもあの女主人が、憎い相手を殺したいと思うのならば、兵士には命令せずに、異国のものを雇うに違いなかった。そう瞬時に判断した。
 彼女はその時もうダメだと諦めた。自分の命は助からないだろう。後は息子の無事だけを祈るだけだった。愛しい我が子。愛しい人の子供。許されない相手だとわかっていたが、それでもあの人を拒むことは出来なかった。とてもとても優しいシーフォン。彼女だけではなく、他の侍従や侍女達アルピンにとても優しい人だった。
「女! 子供はどうした?」
「知りません」
 彼女はひるむことなく、キッと睨み返してキッパリと言った。男達はチッと舌打ちをすると、彼女を押しのけてズカズカと家の中へと入っていった。
「何をするんですか!」
 彼女の叫びを無視して、家中のドアを乱暴に開けて回った。奥の寝室の扉もパンッと勢いよく開けると、ベッドをめくりあげたり、下を覗き込んだり戸棚を開けたりと、家中を荒らしまわっていた。そんなに広くは無い家で、5人でそうやればすぐに見終わってしまう。少年が見つからないので、男達はイライラとし始めていた。
「おい! どこに隠した!」
「知りません」
 一人が彼女の顎を掴んで無理やり上を向かせながら、脅すような荒い口調で聞いたが、彼女は気丈に振舞った。
「おい! 裏口が開いていて、子供の靴が片方落ちていたぞ!」
「逃げたな!」
 その報告にリーダーらしき男が舌打ちする。
「子供の足だ。そう遠くには逃げていないはずだ! 追え!」
 男の指令で、2人の男達が外へと飛び出していった。
「さてとまずはお前を先に始末しようか……それにしても、アルピンの割には美人だな。さすがシーフォンをたぶらかしただけの事はある」
 男のいやらしい笑いに、彼女はギュッと目を閉じた。
「殺すなら……さっさと殺しなさい」
「いや……どうせ殺すなら……楽しんでからだ」

 真っ暗な中で、シュレイはジッと息を潜めていた。こんなときのための事は、母から何度も教えられていた。自分の身の上も知らされている。父親はいないのではなく、父と呼んではいけない人だということ。自分はシーフォンの混血で、普通のアルピンとは違うこと。父親の本当の奥さんが、自分達を憎んでいて探しているということ。だから一所に長く居れずに逃げ回っているということ。そしてもしも追っ手に見つかった時は、こうして床下に作った隠れ場所で、安全になるまでジッと隠れている事……。
 ドタドタという荒々しい男達の足音をジッと聞いていた。すぐ近くに来たときは怖くてドキドキした。しかし静かになった後、母親の悲鳴でハッとなった。胸が痛くなるくらいにドキドキする。母親の悲鳴はずっと続いていた。居たたまれずに、シュレイは恐る恐る頭上の床板をそっと押し上げた。開いた隙間から、外を伺い見ると人影が見えたのでギクリとなった。人影は居間にいた。寝室のドアが開け放されているので、こちらから向こうが見えるのだ。一瞬怖くなって再び隠れようとしたが、見えていた人影がハッキリと確認できた瞬間、全身の血が凍りついた。
 そこには全裸にされた母親の体に圧し掛かる3人の男達の姿があった。そこで何がおきているのか、シュレイにはまだよく分からなかった。ただ泣き叫ぶ全裸の母親の体を嘗め回し、両手両足を掴んで拘束し、大きく開かれた股の間に、一人の男が下半身をむき出しにして何かをしている。男が腰を前後に動かすたびに、母親の体がユサユサと揺すられる。一人の動きが止むと別の男が同じようなことを始めた。泣き叫んでいた母親が、やがて疲れ果てたように、ただ嗚咽して苦しげに涙を流していた。3人の男達は散々母親を陵辱し、それが終わるとグッタリとなった母親を見下ろして満足そうに笑った。そして一人が横においていた剣を抜くと、母親の首めがけて振り下ろした。

 シュレイは悲鳴を上げなかった。ただ大きく目を見開いて硬直してみつめていた。血の気を失った唇がワナワナと震えて、全身がガクガクと震えて、失禁してしまっていた。

「殿下!」
 兵士が悲鳴に近い声を上げた後に、ドカドカと駆け込んできたフェイワンは、その家の中の惨状を目にして顔を歪めた。
「なんとむごい……」
 家の中は血の匂いが充満している。その光景と血の匂いに、吐きはじめる兵士が数人いるほどだった。
「あまりにも哀れだ。何か覆って丁重に扱え」
 フェイワンは兵士に指示して、女の亡骸にシーツを掛けて包むようにしてから、外へと運び出させた。家中の窓を開けて回る。
「子供はいないか?」
「はい、姿はありません」
「村人の通報によると、見たことの無い異国の男達がウロついていたらしい。タンレンに連絡して、すぐに国内をくまなく捜索させろ。それからラウシャンにも連絡して国外へと出ていく者にも注意を払うようにしろ!」
 フェイワンは家の中をグルリと見回していた。ふと、何かを感じて家の奥へと入っていった。子供の遺体がみつからないのならば、まだ子供は無事だろうと思っていた。男達は殺すのが目的だから、連れ去ることは無いだろう。第一あんなに綺麗な子供を連れていたら、この国の中では目立って仕方なく、足手まといになるだけだ。多分家の中にいる。そう直感を感じていた。
「ベッドを動かせ」
 兵士達は言われたとおりにベッドを動かした。フェイワンはその場に跪くと、目を閉じて気配を伺うようにしていた。手で床を撫でてからトントンと叩く。
「ここが開くぞ」
 フェイワンの支持で、兵士が床板を開くと「ああ」と声を上げた。銀色の髪の少年が、膝を抱えて真っ青な顔をしてガクガクと震えていた。それを見てフェイワンはホッと安堵する。
「シュレイだな?」
 微笑んで見せてやさしく声を掛けると、少年は目にいっぱい涙を溜めてフェイワンの顔を見上げた。真っ赤な髪と金色の瞳。この国に住むものならば、それが何の証であるか誰でも知っている。それは『竜王』の証だ。
「オレはフェイワン。この国の皇太子だ。安心しろ、お前の父親の願いで、お前を助けに来たのだ。もう案ずることは無い。大丈夫だ……さあ、おいで」
 フェイワンが優しく囁いて手を差し伸べると、シュレイの大きな青い瞳からボロボロと涙が零れ落ちた。フェイワンはシュレイの体を穴の中から引き出すと、ギュッと抱きしめてやった。シュレイは震えながら、その腕にしがみついて泣いた。


 心に深く刻まれた瑕は、一生消えることは無い。


「いやぁぁぁぁぁ―――っっ!!」
 ミンファは悲痛な叫びを上げて、髪を掻き毟り床に伏して泣き叫んだ。
「貴方の身内の苦しみを思い、これからあの塔の中で、自らの罪を悔い続けなさい……私の母を殺した罪と共に……」
 シュレイはしがみついて狂ったように泣き叫ぶミンファの身柄を兵士に渡して、振り向きもせずその場を立ち去った。復讐は終わった。これが自分の望んだ結末だったのかは分からない。長いときの流れと共に、あの女への憎しみは薄れてしまっているのかもしれない。それでもあのような哀れな姿を見ても、同情の心は湧き上がらない。
 ただ心に深く刻まれた瑕が、いつまでも……これからもずっとジクジクと痛み続けるのだ。


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