「ラウシャン、間もなくリューセー様が参られるぞ」
 すぐ上の兄からそう教えられた時、ラウシャンはまだ子供だった。
「リューセー様? リューセー様は先日逝去されたではありませんか?」
「バカだなあ、あれは先代のリューセー様……われわれの兄者であったジュンワン王のリューセー様だ。もうすぐ参られるリューセー様は、先日目覚められて、王位を戴冠された新王のランワン様のリューセー様だよ」
 兄は笑いながら言ったが、それでもラウシャンはまだよく意味を理解できずに、少々キョトンとした様子で居た。
 ラウシャンは正当な王族の血統ロンワンで、王子であった。王子とはいっても、今となっては古い代の王子ということになる。今の王は、ラウシャンにっとては甥になるのだが、ラウシャンよりもはるかに年上であった。
 ラウシャンの父王であるヨンワン王とその妃リューセーは、大変長い治世を行い、長い時代を即位し続けた。二人が儲けた子供も大変多く、ラウシャンは7人兄妹の末っ子であった。二人はラウシャンを生んですぐに逝去した。その為ラウシャンは両親の顔を知らない。
 ラウシャンがこの世に生まれ出た時、誰もが『生まれぬ王子』と諦めていた卵だった。なぜなら母であるリューセーは、卵を産んですぐに逝去してしまったからだ。それは寿命でもあり、安らかな大往生であったという。リューセーの死後、王も後を追うようにすぐに逝去してしまった。その為、育てる者を失った卵は、孵ることも無く死を待つしかなかった。卵はリューセーの魂精によって育てられなければ、この世に生まれ出ることが出来ない。卵は死ぬと、そのまま石化してしまうのだ。
 最後の最後に生れ落ちたその卵を、不憫に思った兄王は、自分の妃であるリューセーに、卵を抱いてもらうように頼んだ。新たなるリューセーによって、卵は抱かれ魂精を与えられた。しかし卵はなかなか育たず、普通ならば1年で孵らなければならなかったが、その卵はいつまでたっても孵る様子は無かった。
 リューセーの持つ『魂精』は、個々によって異なる。産みの親と違う別のリューセーの魂精で卵を育てるという前例が無かった為、やはりダメだったのかと誰もが諦めかけたが、卵は石化することは無く、僅かずつではあるが成長していたため、根気よく抱き続けられ、50年の後にようやく卵が孵りラウシャンが誕生した。
 それでラウシャンは甥よりも年下なのである。
 ようやく卵から孵ったラウシャンは、王宮より離されて乳母によって育てられた。現在の王宮は、すでに現王の住まいであり、リューセーもラウシャンの母ではない。兄王と現リューセーの慈悲で、ラウシャンはこの世に生を受けることが出来たが、無事に孵った以上は、もう王宮に居続けることは許されなかった。他の兄弟達と同じく、王宮よりひとつ下の階層にあるロンワン階級のシーフォン達が住まう居住区にて育てられた。
 ラウシャンは「変り種」と呼ばれていた。生まれ方も変わっていたからであるが、その影響もあるのか、卵から孵った後もとても成長が遅かった。同じ頃に卵から孵った子供と比べてもそれは一目瞭然で、その為普通のシーフォンよりも長生きだろうと囁かれ「ラウシャンだけ、我々とは違う時間が流れているのかもしれないな」と言われていた。
 性格も少し気難しいところが、幼き頃よりもあった。泣いて駄々を捏ねるという事はしない代わりに、物心ついた頃から我が強く、屁理屈を言うほど頭も良かった。
 だから皆は「変り種」と呼ぶ。
 そう呼ばれても眉ひとつ動かさずに、平気な顔をしているから「かわいげの無い子」だとも言われ、皆から敬遠されていた。唯一構ってくれるのはすぐ上の兄・チンランで、明るい性格の彼は、この気難しい弟を気に掛けて、よく相手をしてくれていた。そうは言ってもこの兄とは100歳も年が違う。見た目は親子ほどに歳が離れて見える。

「きっと今度のリューセー様も美しい方だろうな」
 ワハハと笑いながら言う兄の顔を見上げながら、ラウシャンはぼんやりとしていた。
 今度の……と言われても、ラウシャンには『リューセー』の記憶があまりない。実の親であるリューセーには一度も会ったことが無い。親の変わりに卵を孵してくれたという親代わりのリューセーにも、ほとんど会うことは叶わなかった。なぜならラウシャンはまだ子供である為、シーフォンの宴や、公の行事に出ることは出来ない。一、二度遠目に見たことがあるだけだ。
 そのリューセーも今はいない。
兄王とリューセーの治世はとても短いものであった。僅か130年余り。リューセーは、元々この国に来た頃に、胸を病んでいたと聞く。こちらの竜の薬で、ずいぶん元気になったと聞いていたが、やはりどこか弱かったのだろう。アルピンの間で流行った病にかかり、あっけなく亡くなってしまった。
リューセーが、アルピンの病にかかるなど、初めてのことであったため誰もがひどくうろたえた。アルピンの病にはシーフォンはかからない。それはリューセーも同じはずであった。
「大和の国から抱えてきた病の跡に、運悪くアルピンの流行り病が牙を向いたのだろう」と、大人達が話しているのを、ラウシャンはぼんやりと聞いた。葬儀の間中、ラウシャンは親代わりだったあまり顔も覚えていないリューセーの事を思って、ぼんやりと……ぼんやりと『悲しい』と思った。
 とても優しい人だったと、大人達の誰もが言っていた。
 あまりにも呆気なく逝ってしまったので、別れに立ち会える者が限られていたが、病の床で「私が最初に育てたあののんびりやさんの卵の子は、元気でいますか?」と、一度だけ尋ねたそうだというのを聞いたのは、ラウシャンがずいぶん大人になってからだ。


「リューセー様は美しいのですか?」
「ああ、そりゃあ美しいさ……なんだお前は先代のリューセー様を忘れたのか?」
「忘れるほど、近くでお顔を拝見したことはありません」
「ああ……そうか。すまんすまん。とても美しい方だったよ。何よりもあの黒髪がすばらしい。黒い髪はリューセー様だけの色だ。艶があって、夜の闇よりも黒い髪だ。瞳も吸い込まれるほどに真っ黒だ」
 ラウシャンは兄の話を聞きながら、遠めに見たリューセーの事を思い浮かべた。黒い髪。確かに長く美しい黒い髪だったのは覚えている。
「私達の母上様もそうだったのですか?」
「ああ……ああ、そうだよ」
 兄は一瞬驚いたような顔になってから、急に哀れむような顔になって、まだ子供のような姿の弟の頭を撫でた。本当ならば現王ランワンと同じくらいの年頃の、今を盛りの青年の姿であるはずの弟。親の顔も知らぬ弟。
「お前はこれから未来のリューセー様をいくらでも見れるさ。きっと次のリューセー様にだって会えるだろう。もしかしたら次の次のリューセー様だって、運がよければ見れるかもしれないぞ? オレはとうにいないだろうから、お前が実に羨ましい」
 兄は明るい声でそう言って、ラウシャンの頭をクシャクシャと撫でた。


 ランワンの妃である次のリューセーを、ラウシャンは運良く近くで見ることが出来た。婚礼の祝いの行列。花を抱えた子供達が、歓迎の列を作りリューセーを出迎える。その列にラウシャンは加えてもらうことが出来た。一番近いロンワンの血統で、唯一の子供だったからだ。
 その時に見たリューセーの姿が、ラウシャンの見た最初で最後の姿だった。

 美しい人。

 その言葉は、こういう人のためにある言葉なのだと、子供ながらに思った。
 寂しい瞳をしていて、薄刃の剣のような危うい強さを湛えた美しい人。
 誰よりも儚く散った人。


「リューセー様は、オレのトラウマだ」
「リューセー様がトラウマなんですか?」
 タンレンが可笑しそうに聞き返すと、ラウシャンは酒の入った杯を口につけて、何も答えなかった。
「理想の人の間違いでしょう」
 答えないラウシャンを冷やかすようにタンレンが言ったが、ラウシャンは答えずにまだ酒をチビチビと飲んでいる。
「まったく……黙ったままかと思えば、急に変なことを言い出したり……もう酔いが回られたのですか?」
「……そうかもしれんな」
 ラウシャンはようやくポツリと答えると、クククッと笑った。
「まだまだ夜はこれからですよ……なにしろ竜王誕生の祝い酒なんですからね」
「そうだな」
 酒瓶を差し出すタンレンに、ラウシャンはニヤリと笑ってから杯を差し出した。


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