真っ暗な部屋の真中で、彼はその大きな体を丸めて目を閉じていた。眠っている。もうずっと長い事。
 いや、眠る事しか出来なかった。もう起きあがる力は無い。重い瞼を時々開けるのがせいいっぱいだ。時々せいいっぱいにがんばって、頭を少しばかり持ち上げると、高い頭上の天窓を見上げる。そこには遠い記憶になりかけている青い空が見えるのだ。力の続く限り上を見上げてから、やがてガクリと首を落とす。長い首を曲げて、丸めた体の内側に頭を治めると、再び眠りに落ちる。
 これが彼の日課だ。
 目を閉じて、空を飛ぶ夢を見る。最後に空を飛んだのはいつだったか?自らの半身でもある赤い髪の青年を背に乗せて、青空を悠々と飛んだのはいつだったか……もうずいぶん遠い記憶のような気がする。
 赤い髪の雄々しい青年も、今ではその姿も変わり果て、小さく縮んでしまったと聞く。すっかり衰弱して、今はもう寝たきりだ。自分と一緒だ。彼の命が尽きる時、自分の命も尽きるのだ。
 最近、こんな暗闇の中に居ても、外の世界の異変を感じている。空が……良くない。
 彼はこれでも竜王なのだ。竜達を束ねる王だ。その竜王が長く不在でいる事は、決して良い事ではない。元々獰猛な種族である竜が、大人しく規律正しくいられるのは、竜王の力があるからだ。その竜王が瀕死の状態で、姿をみせない今、竜達が落ちつきを無くし始めている。空が震えている。

 このままではどうなってしまうのだろう。

 彼は目を閉じたまま考えていた。こんな事になってしまったのは、『リューセー』が来ないからだと聞いた。
 あの赤い髪の青年……彼の半身、シーフォンの王であるフェイワンの為に、異世界からやってくるというリューセー。シーフォンの王は、リューセーの魂精が無くては生きる事は出来ない。それは竜王も同じだ。人間の体を持つ半身が、リューセーから魂精を貰わなければ、竜王も力を貰えない。
『忌々しい』
 竜王は心の中で毒づいた。
 異世界から来ると言うリューセー。『大和』という国の人間らしい。アルピンと同じ、人間の体しか持たない。低俗な生物ではないか……と思う。
 竜族は、太古の昔よりこの世界を治めてきた。神の次に尊い存在なのだ。だが古の贖罪のために、この様な不自由な体になった。
 竜王はリューセーの魂精無くば生きられず、竜王が死ねば……次の竜王がすぐに選ばれなければ、やがて竜達は制御が利かなくなり、獰猛で残忍な野生に戻り、暴走し国を滅ぼし、自らの半身……シーフォンをも食い殺してしまうだろう。それは滅亡への道。
 リューセーが来たら……もしも遅れてリューセーが来たら、間に合ったら……その時は、ちょっと脅かしてやろう。そう考えていた。ずっとそんな事を何度も考えた。
 こんな目に会わせているリューセーが憎い。低俗な生き物の癖に……どうせアルピンのように、弱くて、小さくて、みっともない姿をしているに違いないのだ。
 いじめてやろう……そんな事も考えた。
 リューセーが来たら、いじめて、脅かして、怖がらせて……散々仕返しをしてやろう。
 竜王は、いつもそんな事を考えては、ググググッとのどを鳴らしていた。真っ暗な部屋の真中で……。


「ジンヨン!! 元気か?」
 声を聞く前から分かっている。階段を駆けあがる足音だけで分かる。かすかに薫ってくる良い匂いで分かる。龍聖がその姿を現して、声をかけてくる前に、ジンヨンは体を起こして、お座りをして待ち構えていた。
 龍聖は満面の笑顔を浮かべて、手を大きく振りながらジンヨンに向って走ってくる。
 なんて愛くるしい笑顔なのだろう。竜王は目を細めてグルグルと喉を鳴らした。頭を下げて、鼻先を龍聖の前へと突き出すと、その柔らかい手で優しく鼻先を撫でてくれるのだ。そして頬を寄せて頬擦りをしてくれる。
 リューセーはとても優しくて、とても綺麗で、とても良い香りがする。暖かいし、とてもステキだ。
 大好き、大好き。
 リューセー大好き。
 ジンヨンがその長い尾をブンブンと振って見せると、龍聖がアハハハと明るく笑う。
 笑顔も実に良い。
 幸せだ。幸せ。
 ただ言葉が通じないのが唯一の障害だ。
 あの赤い髪のあほうが、なかなか上手く自分の言葉を通訳してくれないのがムカツクと思っていた。この思いを伝えられなくて、イライラする。
「ジンヨン大好きだよ。ジンヨンはオレの事好き?」
 龍聖が頭に抱きついたままそんな事を言ってきた。
 なんてかわいいのだ。
 ジンヨンは、グルルルッと唸ってみた。
「好き? オレの事好き? わー! うれしいありがとう!!」
 龍聖はそう言ってまた頬擦りしてきた。

 結構気持ちは通じているものだ。


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