晴れ渡った竜の飛び交う空に、威勢の良い若者達の掛け声と、剣の交わる金属の透き通った音が響き渡っていた。
「タァァァッ!!」
「うわっ!」
 その中でも一際元気の良い声がして、鈍い音と共に、相手の剣が宙を飛んでいた。
「ダメじゃないか!もっと根性見せろよ!」
「勘弁して下さいよ……タンレン様! タンレン様と同等に剣を交えられるのは、フェイワン様くらいしかいないんですから……」
 剣を弾かれた兵士が、情けない声を上げたので、タンレンは両手を腰に添えて大きく溜息を吐いた。
「フェイワンは、今日も来ないのかな……」
つまらなそうに呟くタンレンの様子は、まだ少年の幼さを感じさせた。ようやく成人を迎えようかというまだ歳若い青年だった。その明るく爽やかな気性と、その美しい容姿は、初夏の若木を思わせるような瑞々しさに輝いていた。
「陛下の容態が思わしくないと伺いました」
 側に居た別の兵士が告げたので、タンレンは顔を曇らせた。
「そう……陛下が……」
 今、この国の人々の誰もが、もっとも案じていることだった。ここ最近、国王が体調を崩して公務を休む事が多くなった。もう長くは無いかもしれないと、陰口を叩く者も居たが、それもやむを得ない事だというのも、まだ年若いタンレンでさえ解っていた。
シーフォンの王、竜王の生命の根源であるべきリューセーが、不慮の事故で早世して随分になる。それはタンレンが産まれたばかりぐらいの頃の出来事で、親やいろんな人から伝え聞いた話でしか知らない。だがシーフォンの誰もが、リューセーを失った王が、そう長くは生きられない事を知っていた。特に世継ぎの居る場合は、更にその寿命を縮めていく。
 王の世継ぎもまた、成人となる為にはリューセーの存在が不可欠だった。王となるべき者は、生まれた時から他のシーフォンとは違う生態を持つ。通常の食物では、生命を維持する事は出来ない。王自身が、リューセーの魂精によって生命を維持するように、その世継ぎも王のリューセーが、成人するまで魂精を与えて育てる。そのリューセーを失ってしまった場合……世継ぎを育てるために、王は自らの命を削っていくのだ。
 こんなに早く、リューセーが亡くなるなど、今までのエルマーンの歴史ではなかった事だった。現王は、歴代の王の中で、もっとも短い生涯を閉じる事になるだろう。しかしそれも定められた運命。太古の昔に、竜の一族が契約した贖罪。
「フェイワンが成人するまでは、生きていて頂かないと……」
 タンレンは、周りに聞こえぬくらいに小さく呟いた。
「陛下がもう長くはないかもしれないというのは本当ですか?」
 側に居た若い兵士が、不安そうな顔をして尋ねた。
「嘘を言ってもしかたが無いし、病という訳では無いから治る見込みも無いし、正直に言うと確かに、陛下はもう長くは無いだろう……だが安心しろ、アルピンのお前達と我々シーフォンの寿命は違う。長くはないとは言っても、お前が中年の良い具合のオヤジになるくらいまでは生きていられるだろう……それに新しいフェイワンの治世に変わるだけだ」
 タンレンはそう告げると、剣を腰の鞘に納めて城内へと歩き出した。


タンレンは、フェイワンの元へと向っていた。きっと王の身を案じて、側に居るのだろうと思う。フェイワンとは従兄弟同士だ。それと同時にもっとも親しい友人でもある。大らかで明朗快活な性格であると共に、とても優しくて繊細な面を持つフェイワンの事を、タンレンは誰よりも案じていた。
日々自分の為に命を削り、弱っていく父王を間近に見守るしかないフェイワンが、どれほど心を痛めているだろうか? と思うと居たたまれなくなる。
 タンレンとて、そんなフェイワンの為に何もしてやれる事は無いのだが、気丈に振舞うフェイワンが、愚痴や弱音のひとつでも吐いてくれる相手になってやれれば良いと思っていた。八つ当りでもしてくれればいいとも思う。フェイワンには少しでも笑っていて欲しいと願う。
 長く続く廊下を歩いていると、前方に子供がうろうろと歩いているのに気がついた。
「おい、お前……そこで何をしている」
 早足で近づくと子供に声を掛けた。ビクリとなって、その子は恐る恐る振りかえると怯えた顔でタンレンをみつめた。
 まだ幼い子供だった。5〜6歳くらいだろうか?だがその顔を見てタンレンは驚いて言葉を失った。それは見た事もないほどに美しい少女だった。背中に届くほどの長い銀髪と、真っ白な肌、紅い唇。タンレンは、しばらくぼんやりと見惚れてしまっていた。だがやがてハッと気づいて、驚きと共に眉を寄せた。
「お前……シーフォンではないな? なんでこんな所に居る」
「ご……ごめんなさい……あの……そこの部屋で、待っているように言われたけど……あの……小用を……したくなって……あの……ごめんなさい……お許し下さい」
 その子は今にも泣きそうな顔で、震えながら廊下に跪いて頭を深く下げながら弁明した。その様子にタンレンは慌てて首を振った。
「お……怒っている訳じゃないのだぞ……ただ、見かけぬ顔だったから、尋ねただけだ……アルピンの子供が城の中をウロウロとしているなど……誰に連れられて来たんだ?」
 タンレンは一生懸命に宥めようとした。しかしその子は震えたままで顔をあげようとしない。泣いているのか?とタンレンはうろたえてしまった。
「タンレン!」
 その時聞き覚えのある声がしたので、タンレンは少し安堵した。
「フェイワン!」
 真っ赤な長い髪の青年がこちらに向って駆けてきた。タンレンと同じ位の年恰好だった。
「どうしたんだ? ……ああ、お前、こんな所に居たのか? 右大臣が捜していたぞ」
「ご……ごめんなさい、ごめんなさい」
 何度も謝りながら泣き出したその子を見て、フェイワンは驚いた顔をした後チラリとタンレンを見た。
「タンレン……こんな小さな子をいじめてはいけないぞ?」
「オ……オレは別に……」
「シュレイ、もういいから、早く行きなさい……この廊下をまっすぐに行った突き当りの部屋の前で右大臣が待っている」
 フェイワンが優しく宥めながらその子を立たせると、その子はタンレンに何度も頭を下げてから言われた通りに駆けて行った。
「……あの子はなんだ? 知っているのか?」
「ああ……オレのリューセーの側近となる子だ」
「え!? じゃあ……あれは男か?!」
「そうだ」
 驚いてポカンとなるタンレンの様子に、フェイワンはニヤリと笑った。
「なんだ? 女の方が良かったのか? あんな幼いのが好みか?」
「バ……バカ言え!! ただ……ちょっと驚いただけだ……第一、アルピンであんなに美しいなんて有り得ない。髪の色だって……」
 タンレンが驚くのも無理は無かった。シーフォンが支配しているこの国の民達であるアルピンは、皆茶色の髪をしている。女性達の中には、もちろんかわいらしいと思う見目の者もいるが、顔立ちも割りと平坦な顔立ちで、決して不細工な訳では無いが、シーフォンの様に彫りの深い美しい顔立ちとはまったく違う物だった。
「あれは特別なんだ」
 フェイワンはそれだけ言って、それ以上は語らなかった。
「特別? ……混血という事か? しかしリューセー様の側近とは……それならば、いずれ去勢の手術をされてしまうのだな……かわいそうに」
「まあな」
フェイワンも小さく溜息を吐いた。少し顔色が悪いように思う。タンレンは疲れた顔のフェイワンをみつめて胸が痛んだ。
「フェイワン……そんなに陛下のお加減は悪いのか?」
「ん?」
「次のリューセー様を迎えるための準備を始めるなど……」
「……ああ」
 頷いて少し俯いたフェイワンをみつめて、タンレンはその肩をそっと宥めるように抱き寄せた。


ランワン王はその苦しみに耐え続け、皆が案ずるよりはずっと長く生き延びた。フェイワンもすっかり成人し、父王の名代として、立派に政治を行えるようになった頃、ようやく安堵したようにこの世を去った。それはアルピン達の時の流れに換算すれば100年近くの年月に値する。長いようだが、歴代の竜王の治世としては最も短い。
 国王崩御後、すぐに新王の戴冠は行われない。慣例で、シーフォン達は喪中に入ることになり、5年間祝い事を執り行ってはならなかった。その間の施政は、新王となるフェイワンが行うのだが、まだあくまでも『王の名代』という事にされていた。
 喪が開けて、ようやく新王の戴冠式が行われて、新しい治世が始まるのだ。
「国内警備の全権は、お前に任せる」
 タンレンは、新たな治世で、新たな任命をされて、身も引き締まる思いで居た。フェイワンの為ならば、どんな事でもするつもりではいたが、あまりにもフェイワンがタンレンを優遇するのは良くない事だと危惧していた。年下のユイリィはともかくとして、前王の時まで、国内警備の全権を任されていたラウシャンが、どう思うだろうか? それが心配だった。
「ラウシャン殿には、外務大臣の席を用意している……オレの側にはお前に居て欲しいのだ」
そうフェイワンに言われては、もう何も言えなかった。そんな事を考えながら廊下を歩いていると、前方を横切る人影を見てハッとして足を止めた。
「シュレイ……」
思わずその名を呼んでいた。呼ばれた方は驚いて足を止めるとタンレンをみつめた。あれから長い年月が経っているのだ。それはもうあの幼い子供の姿ではなかった。しかし成長しているとは言っても、まだタンレンよりも年下の17〜8歳くらいの青年のように見える。それは不思議な光景だった。アルピンならば、もうとうにタンレンを追い越した年頃になっていてもおかしくなかった。いや……そんな事よりも、タンレンが驚いたのは、あいかわらず透き通るような美しい容姿と、歳を経てもそれが『シュレイ』だと解ってしまった自分にだ。考えるよりも先に、その名を呼んでいた。
「あの……なぜ私の名を?」
 彼は上品な仕草で礼をしてから尋ねてきた。
「いや……なぜだろうな……忘れた事が無かった」
 タンレンは独り言の様に呟いた。
 同じ相手に、同じように偶然に、二度も見惚れた場合は、それを何と言い表すのだろう?
 何かが始まる予感がした。


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