智也の受難

モクジ

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「藤崎先輩……オレ……本当に先輩の事が好きなんです。真剣なんです」
「……まあ、落ち着け大場……とりあえず話をしようよ」
 人気の無い部室。智也はジリジリと迫り来る相手と対峙しながら、一歩、二歩と後退りをした。
「話し合うことなんてありません……おれが先輩を好きなのは、もう何度も何度も何度も何度も言って来たじゃないですか」
 彼はかなり切羽詰った顔でそう言った。
「あ……あれはいつも飲みの席だったし……ほら、冗談かと思って」
「だから、真剣ですっていってるでしょう?!」
「解った!! 解った! 本当に解った!! だからまあ、待て……」
 智也は顔を引き攣らせながら、両手を前に出して相手を制するようにしながら、また一歩と後退る。今の状況では、そんな事は言われなくても解っている。その切羽詰った顔で、目を血走らせながら言われては、これがもう冗談でない事は分かっているし、状況的にもただの告白で済ます気ではない事は解っていた。
―――襲い掛かって強硬手段に出る気だ―――
 相手は大学の柔道部の後輩だ。
 智也は2年前に大学を卒業しているが、今も母校の大学の柔道部で、後輩達の指導の職に付きながらも、自らも鍛錬していた。だから目の前に居る大場という青年は、現役の大学生である為、本当の後輩というわけではない。むしろ立場的には生徒だ。
 いや、そんな説明はどうでもいい。とにかく智也は今窮地に陥っていた。目の前に居る後輩から、相談があるといって、部員達が皆道場に出払っているこの時間、部室へと呼び出された。この大場という後輩は、以前からずっと智也に『好きです』と言っていた。もちろんその『好き』は『LOVE』の意味で、悲しいことに後輩は男性である。だから当然ながら、智也はずっとそれを避けて、うまく交わし続けてきた。
「オレ、そっちの気は無いから」という言葉は何度も言ったはずだ。それが断りの文句になっているはずだと信じていた。だがどうやら、彼の気持ちに対しては、その程度のお断りではダメだったようである。
 将来ある後輩……かなりの有望株だ。彼が真剣であればあるほど、ヘタに断って、メンタル面で影響があっては困ると思って、柔らかく柔らかく断ってきた。そう柔道家なのだから『柔』の精神だ。いや、それもちょっと違うな……と、智也は、あまりの緊急事態に頭が混乱していた。
 この目の前の「ケダモノ」の顔になっている男をどうしたらいいのか……そればかりをグルグルと考えていた。
「先輩!! 一回だけでいいですから!!」
 大場はそう叫ぶように言って、智也めがけて飛び掛ってきた。
「一回って……なにがっ!?」
 智也は『66kg級』、大場は『90kg級』の選手だ。体格がまず違う。飛び掛ってくるというか、覆いかぶさってくるというか、とにかく襲い掛かってきた。
 ダダンッ!! ガタガタガタガタッ……
 激しい音がして、そばにあった椅子と机がひっくり返った。それと共に埃が舞い上がる。
「あ……すまん……ついっ……」
 智也は苦笑しながら、足元に大の字になっている大場へと声を掛けた。
「……見事な一本背負いです……」
 大場は苦しげな顔でそう答えた。


「裕也! 居るか?」
 ドンドンと扉を叩くと、少し間をおいてから、ゆっくりと扉が開かれた。顔を出した青年が、智也を見て驚いたような顔になった。
「智兄……」
「よお! お袋からの届け物」
 智也はニヤリと笑ってから、紙袋を掲げて見せた。

「結構綺麗にしてるんだな」
 智也は中へと通されて、1Kアパートの6畳間の中心にある小さなコタツに足を突っ込みながら、辺りを見回した。
「これが?」
 裕也はその言葉に苦笑しながらも、コタツの上に山積みになっていた書物やノート類を、とりあえず重ねて床へと下ろした。
「まあ……大学生男子の一人住まいの部屋としては、綺麗な方じゃないの? 実家に居た頃のお前の部屋からすると、びっくりするくらい汚いが……お前がここまでしちまうって事は、相当勉強ばっかりしてて、掃除する余裕もないんだろうな」
 ベッドは朝起きた時のままのようなありさまで、部屋の隅には脱ぎっぱなしの服が、何着分か固まりになって転がっていた。本棚の本は今にも落ちてきそうなくらい乱雑に、ただ重ねておいているといった感じだ。だがゴミが散らばっている訳ではない。
「うん……まあ……眞瀬さんが時々来て掃除してくれるからね」
「へえ……」
 智也はその言葉にちょっと驚いたように眉を上げて見せた。裕也は、智也が持ってきた袋の中身を確認している。中には新品の下着とか、お歳暮でもらったハムや食料品が入っていた。
 しばらくして裕也がマグカップにコーヒーを入れて持ってきたので、智也はそれを受け取った。
「正月は帰ってくるんだろ?」
「んー……多分」
 裕也の曖昧な返事に、智也は眉間を寄せる。 「なんだよ、正月くらい帰ってこいよ。お前は末っ子なんだから、お袋も心配なんだよ」
「でも休み明けにはレポートの提出もあるし……年末も正月も無いって感じなんだよ」
「じゃあクリスマスも?」
「うん」
「わっ……そりゃあ、恋人も怒るだろう?」
「眞瀬さんは解ってくれているよ。それに普段は会いに来てくれてるし……」
「ふーん、上手くいってんだな」
「うん、まあね」
 裕也は頷いて視線を逸らした。  智也はちょっと会話に困って、誤魔化すようにコーヒーを啜る。実のところ、理解ある風にはしているのだが、弟・裕也の恋人は男性で、つまり弟はゲイで、そんな二人の関係を知っていながらも、普通の『弟の恋人の話を聞く』というには、ちょっとばかり微妙な気まずさを感じていた。智也自身は至ってノーマルなのだ。ヘテロなのだ。同性愛については偏見はないが、同意は出来かねる。つまり弟がゲイだという事は否定しないし、その話を聞くことに抵抗は無いのだが、彼と気持ちの共有は出来ないのだ。
 例えばここで弟の恋人が、普通に女性であれば兄としても「女心は分かってるのか?」とか「妊娠しないようにちゃんとしろよ」とか、からかう事だって出来るのだが、ゲイの弟には、とてもではないがそんな事は冗談でも言えそうに無かった。自分が男であるから、変にリアルな想像をしてしまって、顔面蒼白になりそうだ。
「芳兄は、正月帰ってくるのかな?」
「ああ……兄貴のことだから、律儀に帰ってくるんじゃねえ? 案外、東城さんを連れてきたりして……」
 智也はニヤリと笑いながらそう言ったが、裕也の表情を見て『失敗した』と思って口を閉じた。
 藤崎三兄弟の真面目な長兄・芳也もまたゲイになってしまっていた。現在恋人と同棲中だ。弟の裕也は、自分の事は棚に上げて、兄がそうなってしまったことを快く思っていない。なぜなら相手の東城という男のことを知っているらしく、その上心象が良くないようだ。
智也は困ってまたズズズッとコーヒーを啜っていたが、ふとある事が脳裏をよぎって、飲みかけていたコーヒーが喉を通らなくなってしまった。それは最近ずっと悩んていることだ。
 智也はコトリとカップを置くと、真面目な顔で裕也を見た。
「なあ……裕也」
「なに?」
「お前……女の子は全然ダメなのか?」
 智也の問いに、裕也は少しばかり眉を寄せた。智也はジッと真面目な顔で裕也を見つめている。
「これ、真面目な話だ。お前にはあまり面白い話じゃないだろうけど答えてくれ」
 すると裕也はしばらく考えてからコクリと頷いた。
「女の人と付き合ったことないし、試したことも無いけど……多分ダメだと思うよ。高校の頃も、友達とみんなでAVを見たりしたことあったけど、女の裸を見ても、そういうエッチな映像を見ても、全然興奮しなかったんだ」
「そっか……」
 智也は小さく呟くように答えてから、じっとコーヒーをみつめている。
「あのさ……兄貴も……ゲイになっただろ? そういうのって、生まれつきの体質とかあるんかね?」
「芳兄に限ってはそんな事無いよ。絶対あいつに騙されたんだ」
「……まあ、騙されたかどうかは解らないけど……あの兄貴がさ、家を出てまで選んだって事は本気って事だろう? あの兄貴だからこそ……無理矢理ってだけじゃあ、男とそういう関係にならないだろうからさ」
 智也の言葉に、裕也は黙り込んでしまった。多分このことについては、智也よりも裕也のほうがずっと理解しているはずだ。だからこそ認めたくない気持ちもあるのだろう。そんな裕也をまたジッとみつめた。
「なあ……オレもそういう可能性ってあると思うか?」
「え?」
 裕也は突然の言葉に驚いて、智也の顔を見つめた。
「だって兄さん、女性の恋人がいるでしょ? 今はどの彼女か解らないけど……次から次に彼女を変えて……女好きじゃないか」
「ひどい言いようだな……でもまあ……そうだよ。今付き合っている彼女も居るし、今までずっと女としか付き合ったこと無いよ」
「じゃあ兄さんは大丈夫なんじゃない?」
「だけど……オレ……やたらと……男に告白されるんだよな……」
 智也の言葉に、裕也は目を丸くしてから、しばらく何も言わなかった。智也も目を伏せて、困ったような顔でカップの中身を見つめている。
「昨日も大学の後輩に襲われそうになった。でも奴だけじゃないんだ……まあ、そうしょっちゅうって訳じゃないが……大学の頃から、1年に3〜4人は、男に告白されてた」
「それで……どうしてるの?」
「もちろん断るさ、オレはその気は無いからな、どんなにかわいがっている後輩だろうと、受ける気は無い」
「じゃあいいんじゃない?」
「そ……そうかな?」
「なに? 兄と弟がゲイになったから、そういう血筋じゃないかって心配してた?」
「あ……いや、そういう訳じゃないけど……」
 智也は心を見透かされたようで、ちょっと気恥ずかしくなった。チラリと横目に裕也を見ると、裕也は微笑んでいたので、少しホッとした。
「すまん、別に悪い意味じゃないんだ。そんな風に遺伝とか血筋とかの所為にするなんて、お前や兄貴に失礼だよな。すまない」
「ん、いいよ、解ってる。智兄はずっとオレの味方だったからね」
 そんなに善人じゃないんだけど……と思いながら、智也はちょっと困ったようにまたカップを手にとってコーヒーを啜った。
「こういうのは、本人の気持ちの問題だから大丈夫だと思うよ。相手に好きになられてしまうのは仕方ないけど、自分がそれを断れるならば大丈夫じゃない? 兄さんは全然その気は無いんでしょ? 同情して流されたりしない限りは大丈夫だよ」
「同情して流されたりって……いや、それも無いだろう。んー……いや、どう考えても無理、相手が親友だって無理、男とエッチは出来ない」
「うん、じゃあ心配しなくてもいいよ」
「そっか」
「そうだよ」
「すまんな、お前にこんな話……」
「いや、大丈夫だよ。それにほら、オレ、弁護士志望だから、こういう話を聞いてケアするのも勉強だし」
 裕也はそう言ってクスリと笑った。贔屓目ではないが、我が弟ながら、裕也は本当に良く出来た弟だと、智也はいつも思っていた。
 その後、裕也が楽しそうに「そっかあ兄さんがねえ」なんて、からかうのですっかり気持ちも和んでしまった。智也も安堵して、ケラケラと笑いながら話に相槌を打つ。
「そうだよな、オレの美貌がいけないんだよな! 女にもモテるばかりか、男にも」
「すごいよね、前に女優さんと噂がなかったっけ?」
「あ、あれ? 嘘、嘘、ただの噂! 会ったことも無いし……つーか、ぜひ付き合いたいくらいだし」
「男優さんにもモテたりして」
「ばっか、お前! ハハハハハ……でもまあそうだよな、オレ次第だよな。大体男相手に勃たないのに、エッチのしようもないもんなぁ。オレがその気にならなければ成立しないよな」
 そう言った智也に、裕也が曖昧な返事しかしなかったのだが、智也はそれに気づかなかった。裕也は少し首を傾げて見せた。
「いや、まあそれはどーにでもやり方はあるかもしれないけど……」
 裕也は小さく呟くようにそう言いつつも、なんだか智也が勘違いをしているような気がしてきた。
「智兄……あのさ、告白してきた相手って……」
 そこまで言いかけたところで、智也が真面目な顔になってジーッと裕也を見たので、驚いて言葉を止めた。
「なあ……お前から見て……正直、オレってどうよ? その……男から見て魅力あるのか?」
 裕也は少し考えるようにジーッと見つめ返した。
「……そうだね……オレは兄弟だし……好みもあるから難しいけど、客観的に見て、色気があるのかもね」
「色気〜〜〜?」
「襲いたくなる気もまったく分からないでもないかも……」
「襲いたくなるって……でも『抱いてください!』って言われても困るだけだし」
 笑いながらいう智也に、裕也はまた首を傾げた。
「え? 逆だろ?」
「は?」
「いや……だから、『抱いてください』じゃなくて、『抱かせてください』だろ?」
「ばっ……かっ、おまっ……何言ってんの! 『抱いてください』だろ!」
「え……だって襲われそうになるんだろ? いつも」
裕也に真顔で問われて、智也は困惑気味に答えた。 「でも相手は皆年下だし」
「年は関係ないよ……オレだって眞瀬さんより年下だし……智兄相手だったら、逆だろ?」
「はぁ? なんだよそれ」
「だって、智兄はどー見ても『受け』だろ? 『ネコ』だろ?」
 智也は裕也の言葉に、しばらく固まってしまっていた。言葉もなく口を半開きにして微動だにしなくなっている。
「……それ……オレが女役……って意味?」
「そうだよ」
 智也は遠くなりそうな意識の中で、今までの窮地の場面が走馬灯のように脳裏をよぎった。あいつも……あいつも……あいつもあいつも……みんなオレを抱きたいと思っていただと? ……と、そんな事を考えていた。
 今までずっと勘違いしていた事を知ったと同時に、自分の立ち位置を知ってしまって、本当にこれからずっと大丈夫なんだろうか? と急に不安になってしまったが、あまり考えたくないと、思考が止まってしまっていた。

 智也の受難は、まだまだ続きそうである。
モクジ
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