ビジネスマン的恋愛事情 〜恋愛指南編〜

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ビルとビルの間、金網に囲まれた小さな空き地に、その土地の持ち主の好意で設置されたバスケットゴールのおかげで、土日だけ貸出されるストリートバスケのスペースがあった。
平日は、その土地の持ち主の資材置き場とされているそこは、土日だけほとんど無料に近い低料金で貸出される。
ストリートバスケを楽しむいくつかのグループが、毎週集まって賑やかにプレイしていた。
ガシャンと激しくボールを叩きつける音がして、リングがギシギシと鳴った。
ワッと歓声があがる。
「ナイス!聡史!」
キャアキャアと女の子数人が、黄色い声をあげていた。
ダンクを決めた西崎が、額に汗を滲ませて、ニヤリと笑った。
西崎は、時々こうして週末を仲間と共にバスケをして過ごしたりしていた。
故障していた膝も、随分良くなっていた。
次の攻撃にすばやく移ろうと、体制を変えた瞬間、西崎はハッとなって動きを止めた。
「お……おい、聡史!?」
耳を澄ますような仕草で、立ちすくむ西崎の様子に、チームメイトの二人は、ギョッとなって叫んだ。
「しっ!」
西崎は、人差し指を立てて、静かに!という仕草をしながら、コートの外へと歩き出した。
その後ろで、ダーンというボールが入る音がしていた。
自分の荷物の側まで来て、疑惑が確信へと変わった。
「この曲は……柴田さん?!」
そう思った瞬間、ものすごい速さで、荷物に飛びつくと、服の下に埋もれていたウェストバッグを引っ張り出して、その中の携帯電話を取り出した。
携帯からは『TRUE LOVE』の着メロが流れていた。
「も……もしもし!!」
10回コールで切ろうかと思っていた柴田は、勢いの良い西崎の声に、少しビックリして電話を落としそうになった。
「柴田さん?!」
「あ……もしもし……」
柴田は、気を取り直して答えた。
「西崎か?今……マズかった?」
「あ……いえ、すみません……ちょっと電話から離れてて……大丈夫ですよ、どうかしました?」
「あ……いや……別に用という訳ではないんだが…………」
柴田は、ちょっと口篭もった。
「聡史!!馬鹿!何やってんだよ!!」
仲間が怒って叫んでいたが、西崎は耳を塞いで無視した。
「あ……誰か呼んでるんじゃないか?」
「いえ、なんでもないです……友達と遊んでいただけですから……今日の用事はもう済んだんですか?大丈夫ですか?」
今日、柴田が別れた奥さんと会うと聞いていたので、少し気にはなっていた。
「え……ああ……うん……大丈夫だよ……ごめんな、急に電話したりして、本当に何でも無いんだ……ただ……君の声が聞きたくなっただけで……」
そう言う柴田は、目を閉じて、携帯に頬擦りでもしそうな顔で、西崎の声に本当に癒されている自分がいる事に気がつかされていた。
「柴田さん……」
西崎は、柴田のその言葉に赤くなった。
「あ……オレ……何を言ってるんだか……馬鹿だな」
柴田は、ハッと我に返って、自分が口走った乙女チックな台詞に、耳まで赤くなった。
「邪魔して悪かったな……また明日会社で会おう」
「あ……はい……電話、嬉しかったです。ありがとう……柴田さん、愛しています」
「馬鹿」
柴田は、嬉しそうな声で、テレ隠しにそういうと、「じゃあ」と言って、電話を切った。
西崎は、まだ夢でも見ているかの様に、携帯をジッとみつめて立ち尽くしていた。
額から汗が流れ落ちるのを、無造作に右袖で拭うと、放り出した皮ジャンを拾い上げて、バッとすばやく羽織った。
「聡史!!聡史!何してんだよ!!」
ウエストバッグとヘルメットを拾い上げている西崎の元に、仲間が駆け寄ってきた。
「悪い……オレ、急用が出来たから帰るわ……また今度な」
「なんだよ!……女か?」
「……最愛の人だよ」
西崎は、そう言ってウィンクをすると、コートの脇に止めていた大型バイクにまたがってヘルメットをかぶった。
仲間の二人は、顔を見合わせて舌打ちした。
「ごちそうさま!」
「うまくやれよ!」
二人は、やけっぱちで西崎に向って叫ぶと、ゲラゲラと笑い出した。
西崎は、片手を上げて二人に答えると、エンジンをふかした。
バルルルと爆音をあげて、大通りに向って発進した。

柴田は電話を切った後、しばらく目を閉じて幸せそうに余韻にひたっていた。
知らず知らず口元がほころぶ。
電話の向こうの西崎の表情を思い浮かべた。
驚きながらも、嬉しそうに笑う西崎の顔。
少しして、小さく溜息をついた。
やっぱり電話をしない方がよかったかな……と、少し後悔した。
むしょうに西崎に会いたくなってしまった。
ぼんやりと広いリビングを見まわした。
昨日いくつか不動産屋をまわって、単身者に丁度良さそうな1DKの物件を見たりして、狭いけれど自分だけの空間には程好い部屋を考えていたのに、遼子はこの家はいらないと言った。
たしかにこうして自分が、この家に残されて見ると、遼子の言う気持ちがとても解る。
ひとりで住むには広過ぎるし、そこに今まで9年間一緒に暮らした思い出がある分、その寂しさは更に大きくなる。
遼子は、次の住まいが決まったら、ここにある荷物を全部引き取ると言っていた。
それらがなくなったら、更にこの家は寂しくなるだろう。
まるで心にポッカリと穴が空いたように、家のあちこちに空間が出来るだろう。
いっそここを売ってしまおうか……そんな事を考えながら立ちあがると、キッチンへと向った。
コーヒーメーカーのスイッチを入れて、棚から豆を取り出して計量するとセットした。
食器棚にある愛用のマグカップを取ろうとして、その横にある色違いのカップに目が止まる。
最初の結婚記念日に、柴田が買ってきたものだ。
「ペアカップだなんて、結構乙女チックなのね」と、遼子に笑われた。
そういいつつも、二人で9年も愛用していたのだな、とちょっと感慨深くなった。
遼子が家出をして、3ヶ月間一人暮しをしている間は、それほど寂しいとは思わなかった気がする。
全てが片付いてスッキリしたから、寂しさが増してしまったのか、それとも西崎との恋愛が始まったから独りが寂しく思うのか……。
コーヒーを注いだカップを片手に、リビングに戻った。
ソファに座り、再び小さな溜息をついた。
西崎を意識し始めて半年……いや、自覚は無かったが3年前から特別に思っていたかもしれない。その気持ちにハッキリと気づいたのは2ヶ月前。結ばれたのは2日前。
随分怒涛の様な日々だなと思う。
1日会わないだけで、こんなに恋しく思うなんて……。
たったここ数日で、自分がとても変わってしまった気がする。
会社の部下達に気づかれないだろうか?いや、もうそんな事はどうでも良かった。
ただ、今メキメキと頭角を現している西崎の仕事に、支障をきたさない事だけを考えなければ……その為にも、やばり自分がしっかりしないと……。
コーヒーを一口飲んで、また溜息を漏らす。
その時、インターフォンが鳴った。
立ちあがって受話器を取った。
「はい、柴田です」
「柴田さん、オレです。西崎です」
「に……西崎!?」

柴田は、激しい胸の高鳴りに、ぎゅっとセーターの胸元を掴んだ。
心臓がバクバクと鳴っている。
「なんで?」
なんでここに西崎が来ているのだろう?
時計を見ると4時20分を指している。
電話をしてから30分あまり、西崎が先程どこに居たのかは知らないが、友達と遊んでいると言っていたはずだ。
電話の様子も外の様だったし、にぎやかな声も聞こえていた。
ゆっくりと玄関に続く廊下へ向おうとした時、再びチャイムが鳴った。
今、玄関の前に西崎が辿りついたのだ。
慌てて玄関に駆け寄ると、ドアをあけた。
そこには、走ってきたのか、少し息を弾ませて頬を上気させながら、ニッコリと笑って立つ西崎の姿があった。
「西崎……どうして……」
「柴田さん、すみませんいきなり……なんだか柴田さんの声を聞いたら、どうしても顔を見たくなっちゃって……」
西崎はそう言って、恥ずかしそうに笑った。
「大丈夫そうですね」
「え?」
「いえ……なんでもないんです……もしかしたら、柴田さんがちょっとヘコんでいるのかも?と思ったもので……声が元気なかったし……でも、顔を見て安心しました。柴田さん、大丈夫ですよね」
「あ……」
柴田は、みるみる顔を赤くした。
どうして、西崎はこんなに自分の事が解るのだろう。
胸の奥がギュッと絞めつけられる思いがした。
「じゃ、オレはこれで……明日会社で会いましょう」
西崎がそう言って、帰ろうとするのを、柴田は腕を掴んで引きとめた。
「西崎……」
「し……」
西崎が、柴田さんと呼ぼうとした時、ギュッと柴田が抱きついてきたので、言葉を飲んだ。
「あ……あの……」
柴田は、西崎の胸に顔をうずめて、ぎゅっと強く抱きついた。
西崎は、周囲を気にしてキョロキョロと見た。
「し……柴田さん、誰かに見られますよ」
しかし柴田は聞いていないようだった。
西崎は慌てて玄関の中へと入ると、ドアを閉めた。
「柴田さん……」
「愛してる」
柴田が小さくそう呟いたのを、西崎は聞き逃さなかった。
思わずギュッと抱きしめた。
強く強く抱きしめた。
「愛しています……柴田さん」
柴田は、西崎の腕の中で、強く痛いほどに強く抱きしめられて、嬉しさで気が遠くなりそうだった。
この強い腕が恋しかったのだ。
今、本当に愛されているという実感があった。
西崎は、いつもこうして自分を幸せにしてくれる。
きっとこれからもずっと、柴田が望むことをすべてしてくれるだろう。
柴田が顔をあげて、西崎を見た。
優しい眼差しで見つめ返してくる。
柴田が目をつぶると、そっと西崎が唇を重ねてきた。
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