ビジネスマン的恋愛事情 〜恋愛指南編〜

ススム | モドル |モクジ

  6  

「今日、何か予定があるって言ってませんでした?」
西崎は、パスタを頬張りながら、向かいに座って同じ様に食事をする柴田に尋ねた。
二人は、満足するまで愛し合った後、しばらくくつろいでシャワーを浴びると、少し遅目の昼食を食べていた。
作ったのは、西崎である。
柴田の台所に勝手に入り、冷蔵庫の中などを色々眺めた後、手際良くペペロンチーノとサラダを作ったのだ。
「何もないんだもんな〜」と西崎が笑いながらも、なんとかみつけたジャガイモとキュウリとカニ缶でサラダを作り、ニンニク、鷹の爪、ベーコン、ちょっと萎びたピーマンでペペロンチーノを作ったのだ。
料理音痴の柴田は、それにとても感動してしまった。
その単純に感動する柴田を見て、西崎は苦笑して「全然料理をしないんですか?」と聞いたくらいだ。
柴田の言い訳によると、全然しない訳ではないが、柴田の料理のレパートリーは、目玉焼きと野菜炒めだという。
それを聞いて、西崎は大爆笑した。
「それ、料理じゃないっすよ〜〜〜!!なんか完璧な人だと思っていたけど、そういうのを聞くとホッとするな〜」

そして、冒頭に戻る。
「ん? ……西崎、これ美味いよ……お前、料理上手いな……手際も良いし……」
「ええ、一人暮しが長いんで……という話じゃなくて、いいんですか?用事って」
「あ……うん、これからでも済む用だよ、それに今絶対って訳ではなくて、今日できたらいいなって話だから……家をね、探すつもりなんだ」
「家……ですか?」
柴田は、サラダを食べながらうなずいた。
「ここは、慰謝料として、妻にあげるつもりなんだ……だから、どこか住む所を探さないといけないと思ってね……明日、妻と会う予定だから、それまでに決まっているといいなぁと思っていたんだけど……」
「そうなんですか……」
西崎は、しばらく考え込んだ。
「探すの付き合いましょうか?」
柴田は、その申し出に少し考えこんだ。
「嬉しいけど、今日はもうこれを食べたら帰ってほしいんだ」
「え……」
西崎がちょっとショックを受けたような顔をしたので、柴田は慌てて身を乗り出した。
「あ、違う……違うんだ……その……今日、このままずっと君と一緒にいたら、甘えてしまって……その……また今夜も君を帰せなくなるかもしれない……オレは、正直な気持ち……まだ自分自身の変化にとまどっているんだ……君を好きだと……愛していると自覚してまだそんなに経っていないのに、こんな風に君と結ばれてしまって……本当の自分を見失いそうで怖いんだ……今までの人生で、こんなに恋にのめり込んだ事がないんだ。こんな風に体を求めたり、ずっと一緒にいたいとさえ思ってしまうほど、愛してしまうなんて……自分の中にこんな感情があったなんて……本当に今、自分が信じられないくらいに……」
柴田は、話しながら椅子に腰を下ろした。
テーブルの上のナフキンをギュッと握り締めて、うつむいた。
「何もかも忘れて、無我夢中で愛し合えたらどんなにいいかとさえ思う……今朝、君に抱かれながらそんな事を考えていた……だけど、オレはもうそんな無茶が出来る若者ではないし、冒険に臆病になっているいい歳の大人で……社会的な顔もあるし……会社での君との関係もある……君との関係をオープンにできればいいのだけど……多分それは無理だろう……仕事場でのオレと、プライベートでの君の恋人としてのオレを……使い分けられる様に、心の整理をしなければいけないと思うんだ……今、君にのめり込み始めている事に、少しブレーキをかけないと……オレ……自分の変化が怖いんだ……」
「柴田さん……」
なんという事だろうか……西崎は、目の前の愛しい人が話す言葉の一言一句を聞き逃さない様に、注意深く聞きながらも、そのあまりにも信じられない言葉と光景に、背中が寒くなるような衝撃を受けていた。
柴田は、そんなにも自分を愛してくれていると言うのだ。
嘘の様だと思った。
嬉しいより何より「信じがたい事実」という方が先で、鳥肌が立った。
西崎は、しばらくの間うつむいて考え込んだ後、コップの水を飲み干した。
「柴田さん……すみませんでした。オレ、ちょっと調子に乗りすぎていました……なんだか、今のこの状況がオレの夢の中のような気がして……今、離れてしまったら、明日から元に戻ってしまうかもしれないという不安があったんです……柴田さんの気持ちも何も考えないで……本当にすみません……そうですよね……オレなんかずっと前からゲイなんだし、そういう自覚があって、柴田さんに一目惚れして、それからずっと3年間片思いで……だけど、柴田さんは、ついこの前まで、女性と結婚して、普通の生活をしていて、男と恋愛するなんて、きっと夢にも思わなかったのに……この急な変化に、気持ちがそう簡単についていけるわけないですよね……オレ達は、これからずっと恋愛していくんだから……あせっちゃダメですよね」
西崎はそう言うと、ニッコリと笑った。
「そうだね」
柴田も微笑み返した。
ふたりは、食事を終えると、仲良く後片付けをして、西崎はおとなしく帰って行った。
柴田は、西崎を送り出した後、玄関のドアを閉めて大きく溜息をついた。
この2日間がなんだか、ジェットコースターの様に過ぎていった気がした。
西崎の情熱が、熱い嵐の様に思えた。
別れ際に交わしたキスも熱かった。
「オレはもう、今までのオレではなくなっている……」
もう今までの自分がどうだったかさえも、思い出せなくなっていた。
遼子との恋愛はどうだったんだろう?
初恋は?
それらがすべて、色褪せて何も思い出せなくなっていた。
少なくとも、今のこんな情熱はなかったと思う。
今の今まで、ずっと自分を「淡白だ」と信じてきたのだ。
この自分の中の情熱に、未だとまどうのも無理は無かった。
のろのろとリビングに戻ると、崩れる様にソファに腰を下ろして、頭を抱えた。
小さく溜息をつく。
本当は、西崎の提案に心が揺れたのだ。
昼前に起きてシャワーを浴びている時も、西崎が昼食を作ってくれている間も、一緒に食事をしている時も、「西崎に帰ってほしくない」「もう少し一緒にいたい」と、無意識に引き止めたいと考えていたのだ。
だから西崎が、食事の途中で「午後から予定」の事を持ち出した時、聞こえないフリをしたのだ。
そしてその時、自分の無意識のそんな行動にハッと気づかされたのだ。
自分の女々しく、弱い部分を知らされて、とても怖くなった。
このまま彼にのめり込んでいく自分が怖かった。
一体自分はどんな風になってしまうんだろう……会社で、西崎の上司として、変わらぬ態度でいられるのだろうか……。
それに先程は、西崎には言わなかったが、明日遼子に会う前に、元の自分を取り戻す時間も必要だと思っていた。
今のままの状態で、遼子にあったら、どんな風に思われるだろう。
その事も恐れていたのだ。


翌日、いつものように目覚め、いつものように支度をした。
極力西崎の事を考えない様に努め、平常を取り戻そうと努力した。
柴田のいつもの日曜の朝は、平日より少し遅めの8時半に起床し、シャワーを浴び、パンとコーヒーの簡単な朝食を摂りながら、TVのニュースを見て、その後は新聞を読むという始まりだった。
いつもなら、それから掃除や洗濯をして昼までを過ごし、午後からは外出したり、時々近くのプールに泳ぎに行ったりして過ごす。
結婚時代の日曜の過ごし方は、もっと色々あったが、一人になってからは、大抵こんな休みを過ごしていた。
今日は、昼食を遼子と一緒にする約束をしていたので、10時過ぎには家を出た。
銀座まで出て、本屋などで少し時間をつぶして、心の準備をした。
11時半に、遼子とは何度も来た馴染みのレストランで待ち合わせしている。
少し早めに店に着くと、いつもの席に座って待った。
コーヒーを飲みながら、ぼんやりとウィンドウの外を眺めていた。
「あいかわらず早いのね、待たせたかしら?」
聞き覚えの有る明るい声に、ハッと顔をあげた。
テーブルの向かいに、遼子がニッコリと笑って立っていた。
「あ……」
柴田が慌てて立ち上がろうとするのを制して、遼子はゆっくりとコートを脱ぎながら、向かいの席に座った。
「ひさしぶりです……元気だった?」
「ああ……君の方こそ」
遼子がとても自然だったので、柴田も緊張が解けて穏やかな表情になった。
「話は後にしましょう……とりあえず何か食べない?私、朝食摂ってないから、ペコペコなのよ」
「ああ、そうだな」
柴田はボーイを呼ぶと、メニューを頼んだ。
改めて、二人は向かい合うと、互いに小さく深呼吸をした。
「遼子……」
「あ、待って……その前に、私、彰にずっと言わないといけなかった事があるの……あんな風な別れ方をしてしまって、本当にごめんなさい……いきなり家を出た私が悪いの……どうか、彰には謝ってほしくないの……それがずっと言いたかったの」
「遼子……そんな……君は何も悪くないよ……すべてはオレが悪いんだ」
柴田の言葉に、遼子は微笑んで首を振った。
「浮気も何もしていない貴方に、変な言いがかりをつけて、勝手に家を出たのは私よ……貴方は何度も私との話し合いを試みようとしてくれたし、関係の修復に努めてくれた……誠意はとてもあったわ……悪かったのは私……」
その言葉に、反論しようとしたが、ボーイが現れスープとサラダをテーブルに置いたので、言葉を止めた。
遼子は、スープを一口飲んだ。
「ねえ……彰……私達の結婚ってまちがっていたのかしら?……貴方は今まで幸せだった?」
「もちろんだよ」
柴田はキッパリと答えた。
柴田の真面目な表情に、遼子は安堵の顔をして微笑んだ。
「じゃあ……まちがってなかったのね……私ね……本当の所……ずっと不安でしかたなかったの……貴方との結婚生活に、いつも不安を感じていたの……貴方は、何一つ落ち度の無い最高の夫だった……だけど私は?私は彼にとって最高の妻なのかしら?……それがいつも不安だったの……貴方がなぜ私と結婚してくれたのか……本当はそれさえも、自分で自信が持てないほどの不安だったのよ」
「そんな……なんでそんな事……」
柴田は、とても深刻な顔になったが、遼子は懐かしく昔を思い出すような顔でクスリと笑った。
「貴方は……王子様なのよ」
「え?」
「みんなの憧れだったわ……貴方の会社の人はもちろん、私のように外の会社の者まで……だってちょっとした芸能人より格好良いんですもの……ハンサムで、優しくて、仕事が出来て……完璧な男性……誰もが憧れていた、もちろん私も例外ではないわ……一緒に仕事をしながら、ずっと貴方に憧れて、貴方に好かれたいと思った……女性としても、もちろんだけど、貴方に認められたくて、仕事もがんばったわ、仕事をするには不純な動機かもしれないけど、正直な所貴方と仕事をして、自分の上司に認められるよりも、貴方に認められるほうが、仕事が成功するような気がしたし、自分の身になるとも思えたのよ……あの頃の私……本当に貴方に夢中で、貴方に認めてもらう為に、本当にがんばったと思うわ……だから……貴方に私的に交際を申し込まれて、結婚まで進んだときは、内心「勝った」と思ったの……周りにいるすべてのライバル達にね……ひどい女でしょ?」
遼子はそう言って笑うと、話をしている間に運ばれてきた、メインディッシュを少し食べた。
柴田は、黙って聞いていた。
「不安だって言ったのは……だから……自分に自信が持てなかったからなの……私の中では、私の方が貴方に夢中で、貴方に好かれたくて、良い女になろうとがんばった訳だから、自分の素顔をさらけ出していなかったし、どこまでがんばれば、貴方とのバランスが保てるのか解らなくて……ずっとずっと、結婚してからも、自分を作りつづけていた気がするの……だから貴方のせいではないのよ……多分、無理しすぎちゃったんだと思うの……貴方は以前、私に「自分は愛情に淡白な所があるから、物足りなく思われるかもしれない」って告白してくれたわよね……私には、それが貴方の本心かどうか解らなくて……もしかしたら、私を安心させる為にそう言ってくれただけなのかも……とか思ったりしたの……」
「遼子……それは、本当だったんだ」
遼子はコクリとうなずいた。
「ええ……貴方が嘘をついていない事は解っているの……ねえ……結局私達、お互いに気を使っていた様に思わない?貴方は、愛情に淡白な事を気にして、私に出来る限り愛情表現を露にしようと気を使って、私は貴方に釣合う女になろうと気を使っていた……」
柴田は、遼子のその言葉にハッとなった。
確かにそうなのだ。
彼女がそんなに、自分に対して気を使っていたことは解ってあげれなかったが、確かに自分は、彼女を愛そうと「努力」してしまっていたと思う。
それがやはり、彼女に悟られてしまっていたなんて……。
「彰……ほら、冷めちゃうわよ……食べましょう」
「あ……ああ」
しばらくの間、ふたりは黙って食事を続けた
ススム | モドル |モクジ
Copyright (c) 2016 Iida Miki All rights reserved.