ビジネスマン的恋愛事情 〜恋愛指南編〜

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ソファに二人並んで座りぼんやりとしていた。
西崎は、柴田の肩を抱き、柴田はその西崎の胸に体を預けていた。
長い長い燃えるようなキスの後、虚脱感に見まわれたように、二人はずっとこうして余韻にひたっていた。
言葉は何もなかった。
西崎は、心の底から満たされた気分だ。本当に心から愛する人と、こうして気持ちが通じ合えたのだ。幸せ過ぎて怖いくらいだ。
柴田は、ぼんやりとなった思考の中で、自分がなんでこうなってしまったのだろうかと考えていた。
元々ゲイの素質があったのに、今まで気づかなかっただけなのか、それともそんな性別を超えて、西崎が自分の運命の相手だったのだろうか、と。
「西崎……」
ようやく柴田が口を開いた。
「なんですか?」
「君は……元々ゲイなのか?」
「……ええ……そうです」
西崎は、小さく深呼吸をした。
「オレ……自分が同性愛者なのだと自覚したのは、大学生になってからです。自分で言うのも変ですが、中学・高校と結構女子にモテたんですよね……それはルックスだけでなくて、女の子達が言うには、オレが女子に優しいからみたいでした。中学生の頃の男って、ちょっと色気づきはじめながらも、中身は子供だから、好きな女の子にわざと優しく出来ないっていうか……乱暴な口を訊いたり、いじめたりするでしょう?オレって昔からスポーツやっているせいか図体はデカかったし、結構硬派だったんですよ……だけど女子に優しかったから、人気があったんです。でもそれは……女子の気を引こうとかそんなんじゃなかった……別にモテたからと言って、嬉しいとも思わなかったし、告白されても付き合いたいとかも思わなくて……興味がなかったんです」
西崎は、とても穏やかな口調で、自分の事を語った。
低いテノールの声が、耳に心地よかった。
柴田は、その声を西崎の胸越しに聞きながら、自分の昔とオーバーラップさせていた。
「だけど……高校卒業の時に……バスケ部の後輩から告白されたんですよ……もちろん男子のね……その時は、とても驚いて……その子があまりにも真剣だったから……でもオレはまだその事を真剣に理解してあげれるほど大人じゃなくて……同性愛の知識もあまりなかったし……ただ本当にビックリしてその場を誤魔化して逃げてしまったんです……だけどその後……オレはずっとその子の事が忘れられなかった……それはその子が好き嫌いという意味ではなくて……つまり、普通の男女の恋愛の様に、真剣に男のオレに好意を寄せて、今まで告白してきた女の子達とまったく変わらない真っ直ぐな瞳で、オレを好きだと言ったあの後輩の気持ちを思うと……そんな恋愛も有りなんだっていう初めて知る驚きと、女の子達の告白よりも興味を持ってしまっている自分自身と……」
柴田は顔をあげて、西崎を見た。
西崎は、とても優しい目で柴田をみつめた。
「大学に入って、サークルで仲良くなった先輩が、実はゲイだと解って、その人には同じ大学に恋人がいて、とてもオープンな人だったんですよ、オレはとても興味を持ってしまって……色々本とか見せてもらったり、2丁目に連れて行ってもらったり……そこでハッキリと自覚してしまったんです……オレは男性相手にしか性的欲求が沸かないんだって……だけど、オレはどうしてもそれをオープンに受け入れる事ができなくて……世間体も気にしたし、家族にももちろん秘密にしていた。だから無理に女性と付き合ったりして……だけどうまくいく訳がなくて……それは、きっと柴田さんなら解ってくれると思う……その時の女性との関係は……」
柴田は、静かにうなずいた。
「そう……それはまるで、オレと妻との関係の様だね……解るよ」
柴田はそう言って、少し遠い目をした。
「オレ……そんなで、ずっと中途半端な男だったんです……ちゃんとゲイとしても生きられず、女性とも付き合えず……今まで、特定の恋人はいなかったし、女性でも男性でも、真剣に恋をした事がありませんでした……だけど……貴方に会ってしまった……」
その言葉を聞いて、柴田はハッとなって顔をあげた。
西崎の優しい眼差しに、恥ずかしくなって目をふせる。
「……その……それが不思議なんだが……なんで……オレなんだ?こんな……一回りも年上のおじさんなんか……」
「じゃあ、なんで柴田さんはオレなんですか?」
西崎が、少し笑いの混じった口調で、そう答えたので、柴田は西崎をチラリと見た。
「それは……」
「オレは一目惚れですね……それに……おじさんおじさんって言うけど、世間一般的にあなたは『おじさん』と呼ばれる類の者ではないとおもうんですけどね〜よく歳よりずっと若く見られるでしょう?」
「……まあな」
「34〜5にしか見えませんよ……それに美人だし」
「からかうなよ、オジさん相手に美人だなんて」
「からかってないです」
そう答えた西崎の目は笑っていたが、至って真剣そのものそうだった。
「柴田さんって若い頃、モデルにスカウトされたりしませんでした?」
その問いには、さすがにちょっと気まずそうな顔になって、柴田はしばらく考えた後、コクリとうなずいた。
「ほらね、やっぱり……」
「昔の話だ」
「今でも十分美人ですよ……20代の頃なんて、その辺の女性よりずっと綺麗だったんじゃないんですか?」
「馬鹿言うな」
柴田は笑って、恥ずかしそうにうつむいた。
茶色の長い睫毛が、頬に影を落とす。
大きくて、キリリと涼しげな瞳と、高くて綺麗な形の鼻、一見ハーフにも思われがちな日本人離れした整った顔立ちをしていた。
本人にはあまり自覚はないが、街を歩けば誰もがふと目を止めてしまう美貌である。
初めて会った人は、多分モデルか俳優だと思うだろう.
まさか大手エレクトロニクス企業の敏腕部長だとは、誰も想像できないし、仕事で初めて会う商談相手は、常に困惑されがちだった。
彼のその抜きん出た才能と、行動力がなければ、見た目だけで判断されて馬鹿にされていたかもしれなかった。
『他社の上役達のマドンナになっているなんて、本人には言えないな』と西崎は、内心苦笑した。
以前接待ゴルフにお供した時、そこで懇意になった自分と同じ位の年齢の相手先社員から、そんな話を聞いた事がある。
「それで?話が反れましたけど……なんでオレを選んだんです?」
西崎が、柴田に問い掛けた。
柴田は、困ったような顔になって、しばらく考え込んだ。
「君が……君があんまりオレをみつめるからだ」
「は?」
柴田のスネたような言い方に、西崎はキョトンとなった。
「君が悪いんだ……君が毎日毎日オレを熱い目で見るから……」
「オレの事が忘れられなくなりました?じゃあ、オレの勝ちだ」
西崎はそう言って笑った。
「笑い事じゃない……おかげで、オレは妻と不仲になったんだぞ」
「あ……すみません」
西崎が、あまりにも深刻に謝ったので、柴田は慌てて顔をあげた。
「いや、違う……それは君のせいじゃない……今にして思えば……元々オレは無理していたし……夫婦生活を演じていただけなんだと思う……良い夫になろう、良い家庭を作ろうって……妻を愛していなかった訳ではないと思うけど……あれはもしかしたら、友情だったのかもしれない……妻の事は好きだった。本当にお互い良いパートナーだったと思う……でもきっと彼女の前では、オレは良い夫ではなかったと思う……9年間……喧嘩ひとつしなかったのは、別に仲がいいからじゃない、物分りの良い夫になろうと我慢していたからだと思う。それは妻も一緒だ……妻はきっとオレに別の形の……普通の夫を求めていたのかもしれない……でもオレには出来なかった……不仲というか、そもそもはね……初めて、妻がオレに不満をぶつけてきたんだよ……『他に好きな女がいるでしょう?』って……浮気の疑いをかけられたんだ……オレは浮気なんてしてなかったし、第一彼女がそんな事を言う女性だとは思わなくて、オレはそっちの方が驚いたんだ……根拠も無い嫉妬なんてする女性だとは思わなかった……だけど、それはオレの勝手な思い込みなんだよな……オレは9年間も暮らしていたのに、彼女の事を何も理解していなかったんだ」
「浮気……したんですか?」
西崎が少し意地悪な口調で言ったが、目は真剣だった。
まるで彼までも嫉妬しているようだった。
「……浮気……なのかな……その時は自覚がなかったんだけど……それは……オレが……君を好きになり始めていた時だったんだ」
柴田のその言葉に、西崎は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに嬉しそうな顔になり、柴田を抱きしめた。
「こ……こら」
柴田が咎めるのも無視して、西崎は柴田にキスをした。
何度かついばむような軽いキスの後、深く口づけた。
「ん……」
柴田は少しだけ抵抗したが、形だけだった。
不思議と、柴田は西崎とのキスを自然に受け入れていた。
むしろ心地よくて、もっとしたいとさえ思っていた。
以前の柴田だったら、男とのキスなんて、考えも及ばなかっただろう。
西崎のキスは、強引で、情熱的だった。
頭の芯まで溶けていきそうな心地になる。
自然と柴田の腕が、西崎の背中にまわる。
長いキスの後、離れるのを惜しむ様に、何度も軽くキスをしてみつめあった。
「愛しています」
西崎がそうつぶやいた。
柴田は、深く息を吸って、目を閉じた.
「自分でも……未だに君とこうしているのが不思議なんだが……嫌じゃない……それが不思議なのかな?……オレも……君を愛しているんだ」
柴田は、目を閉じたままそう答えた。
『生きていてよかった……』西崎はそんな事を思って、幸せに浸っていた。
もう「ドッキリカメラです」と言われても仕方ないくらいの心境だった。
この腕の中には、3年間想い焦がれていた人がいて、自分を『愛している』とまで言わせてしまっているのだ。
ずっとこうしていたいと思った。
そんな事を思った所で、ふと今が何時なのか気になって時計に目をやった。
深夜2時を過ぎていた。
「もうこんな時間」
思わず口にだしてしまった。
本当は時間なんて気にしたくなかった。
だけど未だに、どこかこの状態が信じられないでいる為、ついつい柴田に嫌われたくない、迷惑に思われたくないという思いが、気遣いとなって態度で出てしまうのだ。
「……本当だ……」
柴田は、少し興ざめしたような口調で答えた。
「……もう帰るのか?」
その言い方が、あまりにも名残惜しげだったので、西崎はウッと言葉をつまらせた。
「えっと……いきなり自宅にお邪魔しちゃって……初日からこんな遅くまで……」
西崎は、なんとも間抜けな返事をゴニョゴニョと言った。
柴田は、西崎の気持ちを思って、少し可笑しくなった。
「もう電車も無いだろう?……泊まっていくといい……どうせ明日は土曜で休みだし……」
「え?」
柴田のあまりにも思いがけない申し出に、西崎は驚いて赤くなったまま固まった。
「あ……いや……別に深い意味はないんだが……あの……客間はあるし……」
柴田は、そこで初めて自分の言った言葉の重大さにハッとなった。
つられて赤くなって、おろおろとした。
その柴田の様子に、西崎は思わず吹き出した。
「え?」
「あ、いえ……すみません……変な言い方をしたオレが悪いです。大丈夫です。いきなり襲ったりはしませんよ、おとなしく泊まらせて頂きます」
西崎が笑いながら、ペコリと頭を下げた。
「馬鹿」
柴田は、赤くなってそう言った。
「もっとも、ベッドに行かなくても、ずっと朝までこうしていたいんですが……ダメですかね?」
西崎が、控えめにお伺いをたてながらも、その目はとても積極的だった。
「イヤ」とは言わせないという目だったが、そんな風にされなくても、柴田もずっとこのままでいたいと思っていた。
「そうだな……今夜は眠れそうに無いよ」
柴田はそう言って、西崎の胸に顔をうずめた。
西崎も柴田を抱きしめた。
二人の温もりが、お互いをとても心地よくさせていた。
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