ビジネスマン的恋愛事情 〜恋愛指南編〜

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「仕事の方は、もう大丈夫なのかい?」
「ええ!あの後、死に物狂いで片付けましたから!」
西崎は、ニコニコと笑って答えた。
ふたりは、前回よりも早く、8時前には会社を後にしていた。
「クスクス……いつもは、死に物狂いでやってないのかい?」
「いつもは、一生懸命やっています」
柴田の突っ込みに、西崎はサラリと笑顔でかわした。柴田は楽しそうに笑った。
以前ふたりで行った柴田ご用達の和食の店に行き、前回と同じテーブルに通された。
ふたりは、色々な話をし、美味しい物を食べて、酒を酌み交わした。
前回の時も、とても楽しい時を過ごせて、この店の居心地の良さも手伝って、随分長居してしまったが、今日もすっかり居座ってしまっていた。
柴田は、西崎との会話がとても楽しかった。
西崎は、とても頭がいいと、柴田はつくづくと思った。
話術もさる事ながら、その話題の豊富さには舌をまくほどだ。
柴田が、どんな話題をふっても、上手に会話を盛り上げてくれる機転の良さがあった。
とても年齢が10歳も離れているとは思えなかった。
彼は、とても歳より大人びていた。
「君は本当に面白いね」
柴田は、とても楽しい気分になっていた。
西崎と一緒にいる時間がとても心地よい。
「そうですか?……柴田さんから見たら、オレなんて鼻タレでしょう?」
「どうせ、オレはオジさんだよ」
「いやいや、そういう意味じゃなくて……なんかオレは、落ち着きが無いし、子供地味た所があるんですよ……もう30を過ぎたのだから、もう少し落ち着いてもいいんでしょうけどね」
「君は、随分大人だと思うよ……子供みたいなのはオレの方だ」
柴田は小さく笑って、酒を一口飲んだ。
「……そうですね……見かけは、オレと同じ位に見えますよね……それに、柴田さんはかわいい」
「か……」
西崎から『かわいい』などと言われるとは思いもよらず、一瞬絶句して、赤面した。
西崎は、そんな柴田の様子を眺めながらクスクスと笑う。
「そういう所が、かわいいんですよ」
西崎は、更にそう言った。
柴田は、赤面したまま、必死に平静を取り戻そうと努力した。
「お……おじさんをからかうものじゃないよ」
「柴田さんは、おじさんなんかじゃないですよ……ここ数日、我社の女子社員達の注目を一身に浴びているくせに……」
その言葉に、柴田はようやく平静を取り戻して、酒を飲んで苦笑した。
「……人の不幸は蜜の味っていうだろう?……離婚話が面白いだけさ」
「違いますよ!」
西崎は、ふいにムキになった口調で身を乗り出した。
「貴方は何も解っちゃいない……彼女達は大喜びなんですよ。だって憧れの柴田部長が独身になったんですからね!!昨日も今日も、よその部署の女の子達まで用も無いのに、ウチの部署に来ていたの知らないんですか?みんな、いつも以上に、化粧を念入りにして、髪も綺麗にセットしたりして……みんな貴方を狙っているんですよ」
西崎があんまりムキになるので、柴田は少し驚いたが、苦笑して手をヒラヒラと振ってみせた。
「そんな事はないよ……第一オレのような男はやめたほうが良い」
「なぜです?」
「……オレは……何の落ち度も無い妻を不幸にしてしまった。彼女の9年間の人生を、オレと結婚したばかりに、無駄にしてしまったんだ……他の人生を歩めば、きっと幸せになれただろうに……」
柴田は、自嘲気味につぶやいた。
「不幸だったなんて、誰が言ったんですか?奥さんがそう言ったんですか?……オレは……柴田さんの家庭の事は知らないし、奥さんにも会った事はありません……だけど、人から聞いた話しでは、とても仲の良いおしどり夫婦だと……みんなが羨むような夫婦だと聞いていました。オレが嫉妬してしまうくらいにね」
西崎があまりにも、サラリと『嫉妬』などという言葉を使ったので、柴田は一瞬その意味を理解しなかった。
「オレはね……妻を愛する事が出来なかったんた……いや、愛していた……と思っていただけだったんだ……妻だけじゃない……オレは、今まで誰も本気で好きになった事が無い……心にどこか欠陥があるのかもしれないんだ……だから、もう誰かと付き合いたいとか思ってはいけないんだ」
そう言って、柴田はグラスの酒を一気に飲み干した。
「……誰かが……貴方を好きだと告白しても?」
「ああ」
「本当に誰も好きになれない?」
「ああ」
「……オレでは……ダメですか?」
「え?」
柴田は驚いて、思わず聞き返してしまった。
西崎が、真剣な眼差しで、ジッと柴田をみつめていた。
柴田も、視線を逸らす事が出来ずにいた。
「オレが……貴方を好きだと言っても……考えてはもらえませんか?」
とうとうその時が来てしまった。と柴田は思った。
いつか彼から告白される事は、薄々覚悟していた。いや、待ち望んでいたのかもしれなかった。
今日、夕食に誘ったのも、こうなる事が解っていて、心のどこかで期待しながらいたのかもしれない。
柴田は、ゴクリとつばをのみこんだ。
頬が上気し、手の平が汗ばんだ。
何と答えればいいのだろうか?柴田は、混乱する思考の中で、どうすればいいのか懸命に考えようとしていた。
本当は、断るのなら簡単なはずだった。「何、冗談を言ってるんだい」と言って、その言葉の真意をうやむやにして、振ったとしても気まずい雰囲気にならない為のかわし方はいくらでもあるはずだった。
しかし、柴田はすでにこの時点で「振る」という事を念頭に置いていなかった。
根本的に忘れていたのかもしれなかった。
「好きだ」という告白に「オレも好きだ」と答える事は、さすがに躊躇しているが、「そんなつもりはない」と断るつもりもなかった。
ただ、とにかくどう答えればいいのか、その事ばかりグルグルと考えていた。
「柴田さん……オレは真剣です」
「あ……」
西崎が、真剣な顔で、「真剣」だと言うから、柴田は更に動揺した。
この時になってはじめて「ああ……冗談だろうと、かわせばよかったのか」という事に気がついた。
上司と部下である。男同士ということを置いておいたとしても、上司である柴田は、立場を利用して、強引に無かった事にできるはずだった。
しかし今、柴田は西崎から先に『真剣だ』と釘を刺されたような物だ。
柴田は、ますます混乱してしまった。
一方の西崎は、言うつもりはなかったのに、つい「ウッカリ」と口がすべって告白してしまったのだった。
「好きだ」と言った瞬間「しまった」と、内心あせった。
でも目の前の愛しい人は、怒るでも断るでもなく、頬を染めてパニックを起こしている。
ここはもう引き返せない、押しの一手を打つしかなさそうだ。
柴田の気持ちは、確信している。西崎の事を好きなはずだ。だが、大人のズルさと、離婚したばかりの気弱さから、恋愛に臆病になっているだろうと思えた。だから、告白は絶対に焦らないと決心していたはずだったのに……。
今夜の柴田が、あまりにも色っぽくて兆発的だったから、ついつい口走ってしまったのだ。
それに最近、かなり焦りを感じていたのだ。
柴田が離婚したのは、内心とてもラッキーだと思った。
だが噂は、ものすごい勢いで社内を駆け抜け、「ラッキー」と思っているのが、自分だけではない事が、あからさまに思い知らされたのだ。
この3日、社内の女子社員が、異常なくらいに喜色ばんでいる。
誰もが、競う様にめかし込んで、遠巻きながらも柴田に色目を使って、自己主張していた。
西崎とは違い、元々はノーマルな柴田だ。
女性がライバルでは、勝てないかもしれないと、少々ヘコみ気味になっていた。
そんな矢先に、柴田から食事に誘われたのだ。
前回、あんな事をして、気持ち悪いと思われても仕方がないのに、同じ店での食事に誘われたのだ。
それが「OK」の返事だと、西崎が勝手に理解してしまったとしても、誰も咎めないだろう。
「柴田さん、オレは貴方を愛しています。初めて会った時から……離婚したばかりの貴方に、こんな事を言うなんて、非常識かもしれないし、ホモなんて気持ち悪いと思われるかもしれませんが……この気持ちに偽りはありません。貴方の返事をすぐに欲しい訳ではありません。ただ……オレが好きだという事をちゃんと受け入れて欲しい。上司である貴方にこんな事を言うなんて、クビも覚悟の事です。生半可な気持ちじゃない……貴方を欲しいと真剣に思っています」
柴田は、胸を締めつけられるような苦しく甘い痛みを感じた。
この若くて、ハンサムで、優秀な、社内でも人気ナンバー1の男が、こんなにも自分を求めているという優越感にも似た恍惚とした痛み。
体の奥が熱くなる。
「ま……待ってくれ……とりあえず……ここを出よう」
柴田は、慌てて席を立った。
西崎も後に続いた。
勘定を払うと言う西崎の言葉を無視して、さっさと支払を済ませると足早に店の外へと出ていった。
外気の冷たさに、手に掴んだままのコートを羽織ると、早足で歩き始めた柴田を、西崎は追いかけた。
「柴田さん……待ってください」
西崎の呼びかけに、ふと足を止めたが、柴田は振り向かない。
西崎は、柴田が怒っているのかと思ったが、もう今更言ってしまった言葉は消すことは出来ない、とりあえず誠意は見せなければと思った。
「柴田さん、おれ……」
そう言いかけて、覗き込んだ柴田の顔を見て、西崎はハッとした。
頬を染めて、羞恥とも恥じらいとも取れるような潤んだ瞳で、西崎を見上げたからだ。
ドクンと心臓が高鳴り、西崎の顔まで紅潮しそうだった。
「柴田さん……オレの気持ち……本当なんです……解って貰えますか?」
西崎は、はやる気持ちを懸命に抑えて、落ち着いた口調で柴田に告げた。
柴田は、困った顔で目を伏せた。
「愛しているんです」
西崎がその言葉を続けると、柴田は顔を上げて、真っ赤になった。
辺りをキョロキョロと見る。
「ば……馬鹿!そんな事をこんな所で言うな!」
「でもオレ……」
西崎がむきになって言葉を続けようとした時、柴田は走ってくるタクシーに気づき手を上げて止めた。
「あ……」
柴田が逃げる。と西崎は思った。もうダメだとも思った。
諦めの溜息をついた瞬間、グイッと右腕を掴んで引っ張られたので驚いた。
「え?」
訳が解らないまま、西崎はタクシーに乗せられていた。
もちろん柴田も一緒である。
「神楽坂までお願いします」
柴田は、運転手にそう告げて、一呼吸おくと、キッと西崎を見た。
「頼むから、車を降りるまで一言もしゃべるな……部長命令だ」
柴田は、トーンを落としてささやく様にそう告げた。
でも……と、西崎は口を開こうとしたが、右腕をギュッとまだ掴んだままの柴田の手の熱さを思って諦めた。
どこへ連れていかれるのだろう?と、少し不安に思いながら、チラリと柴田の横顔を見た。
柴田は、目を伏せて何かを考え込んでいるようだった。
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